第30話
レフに問答無用と引っ張り込まれたのはほかでもない、重火器保管庫、そこに併設された射撃練習場だった。
勤務中、匿われたものと同じ物を携帯するレフだからこそ立ち入りは許可されているのか。入ったところの棚からイヤーマフを掴み出すと百々へ押しつけ、放っておけずついてきたストラヴィンスキーもろとも隣り合う薄暗い射撃レーンへ移動している。薄暗がりのはるか向こう、ターゲットはブロックに囲われ亡霊よろしく浮かんでおり、前にして銃を抜いたレフは軽く引いた後ろ足へ重心を預けるが早いか、引き金を絞っている。とたん小さくとも爆発は手の中で起きると、銃はターゲットへ弾丸を、側面から回転させて薬莢を、機械的なリズムを刻み吐き出してみせた。
つまりレフは移送車警護の危険を警告しているのだ、と思えてならない。ならそれはすでにビッグアンプルの夜で体験している、と百々は眉間へ力を込めていた。
やがてむわん、と鉛臭さが、いやこれが硝煙臭さというものか、熱さえまとい薄暗がりへ広がってゆく。まったくもって狙ったのかどうか、という間合いだった。合計八発の弾を撃ち終えたレフの腕が、かまえていた銃を下ろしてゆく。
「お見事」
深くうなずくストラヴィンスキーは何をや感心した様子だ。耳に、レフは銃の上部をスライドさせると親指の腹で、側面の小さな突起もまた押し上げ固定してみせた。動作には滞りがないどころか、一瞬だろうと視線すら向けられることもない。一部始終は馴染み切っており、ままにグリップを握り替えると、レフは百々の前へ銃を突き出した。
「撃ってみるか」
問う口調にはなんら力むところがない。だからして百々も聞き返すように顔を上げる。
「ちょっとそれ、マズいですよ」
ストラヴィンスキーだけが慌てふためいていた。
「右利きも左利きもなければ反動も少なく軽い銃だ。扱い易さでは名が通っている。お前でも手順さえ覚えれば簡単に撃つことができる」
だとしてレフは目もくれず、百々もただ熱の残るそれへ視線を落とす。確かにその通りだと、テレビやスクリーンでごまんと目にしてきた動作を蘇らせた。あまりに鮮明なら迷うほどの段取りも見いだせず、なぞるなど造作もないことだと思う。
だが差し出されて気づかされていた。前にしたなら体験済みだ、など勘違いにもほどがある。だから撃ってみるかと誘うレフは、想定する事態が起きた時、対峙した相手を制圧、そのためなら傷つける覚悟はあるのかと問うていた。参加させろと言う百々へ、瀬戸際でオマエはそれができるのかと確かめていた。
「だからちょっと待ってくださいって。僕たちはライセンスがあるから許可なく立ち入れますけど、だいたい百々さんを連れ込んだ地点でアウトじゃないですか。チーフに知れたらまた一喝、食らっちゃいますよ」
まくしたてられたレフの視線が、初めてストヴィンスキーへと逸れる。
「なら誰がこのことをチーフへ知らせる」
「それは僕にきま……」
飲み込んだストラヴィンスキーの放つ笑いは自虐を極めていた。
「止めない僕も同罪、かな。は、は、あはは」
聞きながら百々は、ようやくレフへと口を開く。
「……いい」
撃たれたところで自分にそんなこと、できやしなかった。だからして同時に断れたことにほっとしもする。けれどそれが正しい選択だと言って顔を上げることはできずにいた。なぜなら「やらせてください」と百合草へ食い下がった事はまさに、そういうことだからだ。
いつしか離れていた手に、勝手とずり落ちたイヤーマフは肩の上にある。掛けたままで百々はひたすら投げかけられるレフの不満げな視線に耐えた。やがて諦めたように、銃も視界から引き戻されてゆく。
「なら走ってもらう」
「は?」
声に百々は顔を跳ね上げていた。
「着ろッ」
過る気配を追いかけ振り返ったところで、投げよこされた物を反射的に受け取る。重みに肩が落ちていた。それもそのはずだ。目の高さへ持ち上げたものは身衣の前後に鉄板を仕込んだ防弾ジョッキである。
「奥にヘリポートへ上がる非常階段がある。十五分だ。上まで行って戻ってこい」
「へっ。は。どう、して? っていうか十五分なんて無理っ」
なにしろ病院は病棟を含めると地上十五階建だった。地下から数えればゆうに高さは十六階分を越えている。
「つべこべ言うな。今すぐ行けッ」
それでも親指の先で外をさすレフはゲットアウトと、いやロシア語なら違うはずだが、示していた。様子にそれもこれも。あれもどれも。アッチもコッチもで間違いない。百々の中で一気に不条理は煮詰まってゆく。
「つべこべ言うにっ、決まってるじゃんっ」
焦げ付くままレフを睨めば本気と声も割れていた。
「あたしは来なくていいって、はずされたんだもんっ。協力しろって案内されて、したのにいらないって言われたんだもんっ。だって撃ったりなんてできないからっ。って、出来るハズないじゃんっ。分かって巻き込んだんじゃんっ。なのに何これ。こんなのこそ、必要なっ」
叩きつけてやる、と防弾ジョッキを振り上げる。ゴツ過ぎて思うようにゆかなければ、歩み寄ってきたレフにあっさりひったくられていた。次の瞬間だ。土管よろしく頭からかぶせられる。
「いだっ。まえー。前が見えなぁーいっ」
「ああ、もう百々さん。こっち、ここから手、出してください」
やり取りに見ていられない、とストラヴィンスキーが手を出していた。
「……にぃ、さぁん、そーれっ」
合図と共に顔に両手を引っ張り出す。脇へ回り込んだなら胴囲を合わせ、マジックテープを止めていった。その度に引っ張られる体は揺れ、押さえ込んで仁王立ちと踏ん張る百々の前へ、ここぞとばかりレフの手は突き出される。
「オイッ、目を覚ませッ。立ち止まっているヒマはないぞッ」
目と鼻の先で打ち鳴らした。百々の装備が整うと同時に、背もまた力いっぱい押し出す。
「走れッ」
「わひゃっ」
もうわけが分からない。
「どっ、どうしてっ」
振り返るが、そんな体の重みは非日常の極みだ。
「後ろは見るなッ。前だけ見ろッ」
レフは両手を広げる。ままに一歩、また一歩と百々へ歩み寄っていった。ならばその巨体が醸すのは山で出くわすクマか、押しつぶさんばかりと迫り来る壁か。ただごとにない威圧感はもう人でこそない。
「俺に追い越されるなッ」
うちにも追加されるルール。
「なっ。て、追い越されたらどうなるわけっ」
尋ねてすぐにも後悔させられる。
「だからソコっ、どうして笑うのぉっ」
おかげで尻も上がっていた。持てる限りの力で百々は駆け出す。
「その笑顔、怖いってばぁっ」
そうしてなんら見せ場のないまま迎えるタイムリミット。案の定、百々は階段の中頃で這いつくばっていた。そらそうだ。日々鍛錬しているわけでもなければ、昨日の筋肉痛も癒えぬ体でおよそ五キロの防弾ジョッキを着込み、薄ら笑いを浮かべる大男に追われてノンストップと階段を駆け上がったのである。制限時間がどうのという前に十三階を超えた地点で力尽きていた。
「で、がっ……。はっ、吐ぐ。じ、死ぬっ。こっ、殺され、ぷうぅ」
それでもレフは淡々、追い上げてくる。
もうだめだ、うらわかきをとめ、ここに死す。
辞世の句さえ過ってゆく。
と足音は、真下の踊り場へ辿り着いたところで止まっていた。再び動き出したならついに百々の傍らへ辿り着く。つまりまた手を打ち鳴らされ、また大声で煽られるのか。百々はきつく身構えた。だが聞こえてきたのは屈み込むレフの息遣いだけで、やがて防弾ジョッキのマジックテープは剥がされていった。
「納得できたか」
脱がされた体はまるで羽でも生えたかのように軽い。
「いいか、強襲をかける奴らが素手でいるはずがない。そんな相手から襲撃を受けた場合、お前をフォローしている余裕は誰にもなくなる。誰にもだ。武装できないとお言うなら、自分で自分の身を守るためにも防護服を着た上で動き回れるだけの体力が必要になる」
一言一句を聞きながら百々は、のたうつように身を起こしていた。
「だが現実はこうだ。どちらも無理なら、お前がこの件でできる事は何もない」
言葉が痛烈と胸に刺さる。
「これはお前だけの問題じゃない。俺たちの安全を確保するためにも必要な選択だ。はずされたことをひがむのはよせ。待機する。それがお前に課せられた仕事だというだけだ」
噛みしめ顔を上げていた。防弾ジョッキを肩にしたレフはそこでちゃんと聞いているのか、と言わんばかりの顔を向けている。
「なにも、しないのが?」
問えばひとつ、レフはうなずいた。
「それもまたチームを守る」
はずされたと嘆くチームを、だった。
「はずされたヤツには、そんな役割もない」
「あ、いたいた」
追いついたストラヴィンスキーの声は安穏、そのとき下から吹き上がってくる。
「レフ、そろそろブリーフィングに向かった方がいいですよ」
おっつけ腕を振り上げる気配は過り、答えるレフもまた高く手を挙げ返してみせた。目だけはその間も百々から逸らそうとしない。
果たしてそれでもいやだ、と駄々をこねたなら、次に何をさせられるのかわかったものではない、と恐れたせいではなかった。荒いがこれこそ百合草の端折った「説明」であったなら、睨むように見上げた目で百々は小さくアゴを引き返す。
「わかった。待機、してる」
おっつけ動作として、はっきりうなずき返した。
見届けたレフが立ち上がってゆく。そのついでだ。つかんだ百々の体もまた引っ張り上げた。
「あと二階だ」
「ええっ。終わりじゃないのっ」
「屋上まで行けば地下直通のエレベータがある。それとも地下まで足で下りるか」
確かに足元はエスカレーターでもなんでもなかった。
「明日の筋肉痛が怖いんですけど」
向けた渾身のふくれっ面は最大級の抵抗だろう。だがレフの顔はそれがどうした、といわんばかりである。
「って、明日の事は考えなぁいっ」
ならもう気合は入れ直すほかなく、百々は前傾姿勢をとりなおした。
「て、追い越されたけど、コレってどうなるの、かな」
思い出して愛想笑えば、明らかに考えていなかったと思しきレフの返事は心底いただけないものとなる。
「夢にでも、出てくるんじゃないのか」
「冗談っ」
それこそ百々に気合いは入った。夢のかけらも望めぬ泥のような眠りを求め、猛然と残りを駆け上がってゆく。
「なにもここまでしなくていいと思うんですけどね」
背中を、踊り場へ姿を現したストラヴィンスキーは見送っていた。そこに漂う雰囲気を言い表すとするならやれやれ、がちょうどだ。
「あいつは中途半端が誰かを怪我させる、そう言った。それは間違っていない」
「だからはっきりさせた、ってわけですか」
たずさえレフの位置まで上ってゆく。ならそれは単なる錯覚か。肩を並べたところでレフは視界から逃げ出すように階段を上り出していた。
「それに昨日、バスへ乗り移ることを止めなかったのは俺も同じだ。責任がある。中途半端は誰かを怪我させる」
「なるほど」
言葉はどうやらなかなかの名文句らしい。意味ありげと独り悦に入るストラヴィンスキーへ、レフこそ何がなるほどなのかと数段上で振り返ってみせていた。目にしたなら言ってやるのも悪くない、とストラヴィンスキーは、ニッ、と左右へ唇を伸ばす。
「いえね、これじゃチーフも気苦労が増えただけってことかな、と」
見せつけて人差し指もまた立てた。
「案外、名コンビってことですよ」
否や姿勢を正し敬礼を放つ。
「では、お先に」
合図に繰り出すロケットダッシュは屋上までもつのか。ワケを問うな。目の前の課題にただ全力を投じろ。不条理に屈しないための訓練は、案外どこでも行われているものらしい。じゅうぶんなほどの走りっぷりが経験を物語っていた。
見送り、踊り場できびすを返す姿が見えなくなって、レフは初めて自身が立ち尽くしていることに気づかされる。急に重みが蘇ったようで、肩の防弾ジョッキを担ぎなおしていた。なら取り残されて追い上げるのも、逃れてただ駆け出すのも己のみとなる。一段ずつなどそぐわなかった。二段飛ばしだ。レフもまた残りを一気と駆け上っていった。
「たく、あんたら、何してる」
挙句、向けられた乙部の目はことごとく白い。だいたい四人も乗り込めばことのほか狭いのだから仕方ないだろう。そう、地下へ降りるエレベータ内、乙部と乗り合わせることは誰にとっても想定外だった。
「先に言っておくが、俺を誘うのだけはよしてくれ」
ぐったり座り込んだ百々を、横腹を押さえて壁に手をつくレフを、ひたすら荒い呼吸で仁王立ちとなるストラヴィンスキーを、一瞥して乙部は背を向ける。
この距離で他人のフリか。
その顔は灯る階数表示だけを見上げていた。
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