第29話

「ならこの爆発はそんな榊が万が一に備え証拠隠滅に仕掛けたものだ、と理解していいってことですよね。消防の方では一番焼け方の激しかったデスクの……」

 今一度、写真へ身を乗り出し目を泳がせ、机に焦げ付いた黒いシミを指で押さえた。

「コレですね。飛び散った破片からパソコンが置かれていたってことですが、コレが発火元だと言っています。例の玉については現在も捜索中。ただ榊の部屋は六階なうえ、周囲は住宅街ってこともあって外へ飛び出してしまったなら見つけ出すにはまだ時間がかかりそうです」

 肩をすくめて元の位置へとストラヴィンスキーは戻ってゆく。

「ちなみに」

 今度はハートが足元へと屈みこんでみせた。

「これがビッグアンプルで回収したモノだ」

 掴み上げたビニール袋を写真の上に乗せる。そこにはパチンコの景品交換を思わせる量であの玉が入っていた。足らずカーゴパンツのポケットもまさぐり、取り出した小さなビニール袋もそこに並べ置く。

「こっちは被害者の体から回収された分になる」

「どわ、グロいよ」

 などと跳ね上がっているのは百々だけだ。

「現場残留物の分析結果より、使用された火薬の成分は他の案件の物とも一致。爆発が馬鹿デカかった理由は近くに発電機用の燃料があったせいだな。さすがに起爆装置は欠片も残っていない。だがこれだけあれば疑う必要はないだろう。俺から見てもビッグアンプルの一件は一連のテロと同一犯が仕組んだもので間違いない。つまり」

 乙部へ目玉を裏返す。

「春山を駒にオーディションに参加だ。榊が口を割れば SO WHAT の実態に手が届く図式になる」

 らしい、と乙部も眉を跳ね上げ返していた。

「私からも一件」

 と、切り出したのは皆と同じく昨日、不在だった百合草だ。

「入国管理局ハッキングの件で判明したことを伝えておく。改ざん者の国籍はフィンランド。エリク・ユハナ。男。二十二歳。自室のパソコンから直接、入国管理のサーバーへもぐりこんだことで特定された」

「また利用されたクチなのか」

 確かに手練れならぬ無防備さだろう。疑うレフは鋭く、聞き捨てならないとハナもビニール袋から顔を上げる。

 なら逸らしたように見えた目で、百合草は曽我へ合図を送った。どうやら資料は他にも用意されていたらしい。新たな写真は曽我の手によって、ハートが置いた袋の周りへ並べられてゆく。

「断定できる物証はまだない。だがこのハッカーは榊同様 SO WHAT と直接つながる人物と見て間違いないというのが結論だ」

 写真をのぞき込めば誰もの体が吸い寄せられるように傾いていった。前に置いて百合草は、デスクについたヒジの上で両の手を握り合わしてゆく。

「これらはハッキングを行ったエリク・ユハナの部屋を撮影したものだ。特定直後、インターポールに協力を要請。およそ二十時間前、ユハナの身柄は地元警察によりその部屋で確保された。同時にパソコンも押収」

 そんな部屋には海外に日本のアニメのフィギュアが大小、とんでもない数で陳列されていた。かと思えば窓という窓を、壁という壁を塞いで映画のポスターは貼られ、満艦飾を極めている。ほかにもコミック誌や様々なかぶり物の並ぶショーケースが、ガムボールマシンにサッカーゲーム台が、パソコンを囲み写し出されていた。

「手早くてなによりだな」

 見つめながら投げるハートは、文句がないことに文句あり気とわんばかりだ。それが納得できない何かを感じ取っている時だけだ、ということはぼちぼち百々にも分かり始めている事実だろう。百合草の話もビンゴとそこで、一気に雲行きを怪しくしていった。

「エリク・ユハナはその後、拘置所へ移送中、八人組の男によって襲撃を受けている」

 誰もの視線が跳ね上がる。

「八人はエリクを奪取。車で逃走。半日が経った今も行方不明のままだ」

 無論、強襲をかけたのは誰なのか、などと口にする者はいない。

「SO WHAT……」

 ハナがこぼす。

 まさか、とストラヴィンスキーも続いていた。

「オーディションに合格した、ってことですか……」

「後でわかったことだが直前、エリク・ユハナ宅の一部は爆発、炎上している。残念ながらこの部屋はもう存在しない」

 百合草が握り合わせていた手を解く。

「……狼煙を合図に、……必ず迎えはやってくる」 

 思い出したように呟いたのは、写真を眺めていたレフだ。それは最初、突拍子もないように思えていた。だが次の瞬間にも真意は、軽い衝撃と共に百々へも伝わってくる。

「ああっ。榊の部屋、証拠隠滅じゃなくて狼煙なんだっ」

 などと、それは遠く離れた二人だった。だが同じテロに関係する者同士であり、そんな双方の類似点があまりに稀な「自室の爆発」ならば、偶然と片付けるには無理があった。その通りと百合草も、ひとつ大きく息を吸い込んでいる。 

「決めつけるにも今回のみの事例だが、前例がないなら可能性を否定する根拠も薄い。状況から判断して榊にも、奪還を目的とした強襲の線が濃厚となった」

 何かが音を立てて動き始めていた。

「榊の拘置所移送は、あさっての予定よ」

 投げるハナはだからして、すでにこのミーティングの本題が何であるかを察している。

「予定の移送先は新田中村拘置所。署からだと高速で一時間。地道でなら三時間たらず、ってところです」

 教えるストラヴィンスキーもあざとい。

「予定通り行うのか」

 レフが百合草へ視線を投げていた。

「エリクのパソコンは手元に残ったが、中をのぞくにはパスワードが必要だ。解析に時間がかかることは否めない。しかし SO WHAT が革命の開始をほのめかしている現在、待ってばかりもいられなくなった。ゆえに上はこれを脅威ととらえずチャンスだと考えている。ふまえて昨日おこなわれた討議の結果、移送は予定通り決行。強襲に備え、我々がその警備を担当することと決定した」

 言葉が空気を一変させる。これまでにない緊張感が室内を覆っていた。ゆえにここで一息入れることは適切な処置で間違いない。

「本ミッションのブリーフィングは一時間後。オペレーティングルームで行う」

 唱える百合草が暗に解散を促している。なら飲み込みも早くハートがテーブルから袋を掴み上げてみせた。

「飛んで火にいる夏の虫だ」

 横目に捉え乙部も身をひるがえせば、ハナもソファから体を引き抜く。

「今日のAランチ、なにかしら」

「いちちちち」

 情けない声は、昨日のアクロバットで体の至る所が筋肉痛な百々だ。おっつけ立ち上がっていた。

「百々はここまで」

 向かって百合草の指示は飛ぶ。

「以降、待機。百々の本ミッションへの参加はない」

 言葉にいっとき体の痛みは失せた、と言えば大げさだろうか。だが確かに忘れて百々は咄嗟と顔を上げていた。そこでデスクから立ち上がった百合草は、ちょうどと手元の書類をまとめている。それだけだ。他に説明は何もない。曽我の出入りするドアへときびすを返した。

「ちょっと待ってください」

 呼び止めた声には不満が滲んでいる。

「それってどういうことですか。あたしは今さらいらない、ってことですか」

 百合草が、踏み出しかけていた足を止めていた。通路へ出るドア前でも、レフとストラヴィンスキーが振り返っている。

「想定される状況には危険が伴う。訓練を受けていなければ知識もない職員には無理だと判断した」

 肩越しに告げる百合草の説明は正論を極めていた。だが百々の存在はと言えばイレギュラー極まりない存在に違いなく、今さら振りかざすものが正論などとあまりに空々しすぎた。

「じゃあ、昨日のことはどうなるんですか。ここにいる限りあたしにも、みんなと同じ責任があると思っていますっ」

 百合草が、そこでようやく百々へと体を向けなおしてゆく。

「報告は曽我から聞いている。昨日はご苦労だった」

 対峙したなら百々もまた、改め姿勢を正していった。

「認めてもらえるなら中途半端はしたくありません。次も何か手伝わせて下さい。都合のいい時だけなんて。中途半端な事してるとあたしが、きっと誰かが怪我しちゃう気がするんです。それが……」

 だがその先がどうしても言えないことに気づく。

「……それがっ」

 怖い。

 物騒な事態を前に言えば怯んでしまいそうで、言葉は喉に詰まった。

「バスへ乗り移るよう指示したのは自分だと曽我は言っている」

 察して話を変える百合草はそつがない。

「発言の原因が曽我の指示にあるのなら、責任は指示を出した我々管理側にある。昨日のことは明らかなミスだった。詫びたうえでなかったことと忘れてもらいたい」

 おかげでまさか、と曽我へ視線を投げたのは百々だった。ならそこで渋い顔を振る曽我は、黙っていなさいと目で訴え返している。

「でないならあれは始末書扱いの行為だ。提出を義務付ける。意見があるなら今ここで聞いておこう」

 求められて我に返り、百々は急ぎ百合草へ焦点を合わせなおしていた。だがバスへ乗り移ることを言い出したのは自分だ、と言ってしまえばあの反省文に警護どころではなくなりそうで、指示をミスだと認めてしまえば従いすごすご帰る後ろ姿しか浮かんでこない。駆け引きは卑怯がすぎて、選ばせているようでその実、百々に何も選ばせてはくれなかった。口ごもれば意見はない、と百合草も判断したらしい。

「指示に従ったと認めるのなら、今回も同様にこなしてもらうまでだ。よって待機。それから」

 などと付け加えたのは、だから今まで触れずにとっておいたのだとしか思えなくなる。

「次回、レポート提出のさいは十枚きっちり書いてもらうつもりでいる。覚えておくように」

 とどめと食らわせ、以上、ときびすを返した。その靴に汚れたところはまるでない。光らせ百々の前から去ってゆく。

「……ひ、ひどい」

 完膚なきまでに打ちのめされるとはこのことか。百合草は隣室へ消え、挑んだ相手が悪いと分かっていても沁みるブザマに百々は一人、身を震わせた。

「百々さん」

 振り向かせて声をかけたのは曽我だ。

「さっき20世紀CINEMAから電話が」

「でぇ?」

「できれば今日中に顔を出してほしいって支配人さんから。何か相談があるようだったけど。帰りにでも寄ってあげて」

 こんな時に、と思わずにはおれない。だがすでに曽我にはかばってもらった後であり、いやだ、と渋って八つ当たりこそできなかった。百々はぼんやりした頭で次の希望シフトを提出していなかったことを思い出す。手をわずらわせてしまったことを詫び、同じくドアの向こうに消えゆく曽我の背中を見送った。

 やがて塞がれたドアに、自分はなぜここにいるんだっけと、これから何をするんだっけと、問いかける。分相応の仕事があることを思い出し、床からねじ切るように外へ向かって身をひるがえした。そうして繰り出す足に覇気がないことは自分でもいやというほど分かっている。だが強気を装い、筋肉痛さえ隠す必要のなくなった今、そこにさらなる粘りが加わろうと知ったことではない。このさいだ、先祖代々の因縁すら引きずって、百々はドア前で振り返ったきりのレフとストラヴィンスキーの間をすり抜けた。

「ど、百々さん?」

 見かねたストラヴィンスキーが顔の前で手を振っている。

「目の焦点、合ってませんよー」

「……セクハラ、……おやじ」

 真顔で返せば脈絡のなさに、ストラヴィンスキーが浮かべた笑みを凍りつかせた。が、それ以上、どういうわけだか前へと進むことができない。何がどうしたのかと目を向けていた。引き止め絡む手に気づいたなら、なぞってアゴを持ち上げてゆく。高みから無表情と見下ろすレフと目と目と合わせていた。

「来い」

 否や歩き出すレフこそ大股だ。

「なぁっ、なんですかぁっ?」

 歩幅など合う道理がない。あっという間だ。引きずられてゆく。ままに食堂前を通り過ぎた。止まらずレフは、ロクに明かりもついていないさらに奥へと向かってゆく。

「ちょっ、ちょっとっ。わあっ。何っ」

 もう、落ち込んでいる場合ではなくなっていた。感じるのは身の危険だ。果てに百々の瞳孔は開き切る。いやそれ以上に見開いた目で、両耳のヘッドフォン、防音用のイヤーマフを押さえつけていた。

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