第27話

 だというのに手の中には、二本のコードが残されている。

 よもや、と百々は両脇のコードを確かめなおした。

 だがむしろ「三」と言う数をかぞえ間違えることの方が困難を極める。

「あ、あの、二本残った時の方法って、ちゃんとありますよね」

 口調が遠まわしとなる、ここぞ緊急事態での不思議。

「なんだと。図面にそんな記載はないぞッ」

「じ、じゃぁっ、両方切っちゃえってことかなっ」

 事実にテンションも謎に上がる。

「バカヤロウ、不用意にいじるな。どれを切るかは作った本人にしか分からん」

 無謀の極みとハートに怒鳴られていた。

「悪いが、本人に聞いているヒマはもうないぞッ」

 割り込むレフに状況を知らされる。バスがまた車線を変えていた。揺られて百々は床へ突っ伏し、何がどうなっているのか、起こした頭で周囲を見回す。多量の鉄骨を積みトラックが、隣り合う車線を走っていた。のみならず前後左右はいつからか、一般車両に囲われている。エセ情報も効果切れと、バスはただ中を走っていた。

 もしこの中で爆発させてしまったら。

 想像は想像するほどに現実味を帯び、つまり止まるなら、いやバスを爆発させるならこの辺りが限界だと百々の中で赤信号を点灯させる。

「だったら、決めた。ちょうどいい道具、あたし、持ってるんだよね」

 言う声は極度の緊張にやたらと高い。不穏を察したハートもすかさず問いかけてくる。

「何を言っている」

 借り受けたナイフはこの時のためにあったかのようだ。引き抜き百々は適当な刃をひとつ、選んで引き起こした。

「レフっ、怖すぎて判断つかないよっ。あたしが切るから任せる。青か黄、好きな方、選んでっ」

「バカヤロウ、焦るなッ」

 怒鳴るハートの声はことのほか大きいが、物理的には手出し不能と誰より遠い。

「だって早くしないと、周りが車だらけの中で爆発なんてさせられないよっ」

「それはお前の妄想だ。爆発はさせん。引きずられて判断を誤るなッ」

「青と黄か……」

 レフも無線越しに舌打ちしている。

「赤か白なら決めていたが、そうじゃないなら残念だ」

「白は品切れだよ」

 百々は小さく笑い、見ていたかのようにレフも口を開いた。

「勘違いするな。俺のラッキーカラーはっ」

 同時に声へ力はこめられる。

「赤だッ」

 否やバスのタイヤがこれまでないほど軋んだ。まさに横っ飛びが相当だ。詰まった車間をぬってバスは隣の車線へ飛び込んでゆく。勢いに吹き飛ばされて網棚の荷物は宙を舞い、こらえきれなかった百々の体も吹き飛んだ。上へカバンは降り注ぎ、まみれて百々は座席の足へ頭を打ち付ける。そのさい手元に覚えた鈍くも頼りない感覚は何だったのか。

「だからどちらも切らないッ」

 切ったばかりのハンドルを、レフは即座に切り返している。

「バスを止めるぞッ。ドド、前へ来いッ」

「従え、ドドッ。切れば確実だが現状は二分の一の賭けだ。同じ賭けるなら解除番号をかくまった春山に賭ける。ヤツこそ正真正銘のチキンだ。爆弾は必ず番号で解除されるッ」

 それは筋の通った優先順位のつけ方だろう。痛む頭を持ち上げ百々も、運転席を睨みうなずき返す。

「りょ、かい」

 視線が落ちたのはその後のことで、とたんこれでもかと悲鳴を上げていた。

「どうしたッ」

 さすがのレフも焦りを隠せない。

 答えてわなわな目の高さへ、百々は己が手を持ち上げていった。

「にっ、二本とも……、引っこ抜いちゃいましたぁっ」

 どうやら爆発物の素人仕様は、どこまでも大雑把が味らしい。今しがたの衝撃で引き千切ったと思しき二本のコードは、しっかとその手に握られていた。

 しかしバスは平穏と走り続け、この失態を責める者こそ現れない。ただあっけにとられたような沈黙だけが車内を、つながった無線の隅から隅までを覆い尽くしていった。その果てからハートの声は、やがてこう絞り出される。

「……グッジョブ、だ。ドド」

 詰まった車間にバスが速度を落としていた。

 山肌を刳り貫いて作ったトンネルの入り口が、フロントガラスの向こうにのぞく。

 それこそ曽我の手腕なのだろう。通行止めだと思いこんでいたにもかかわらず、トンネル前では抜かれた覚えのない緊急車両が徐行の措置を取っていた。前にして激走に疲れたバスのタイヤも粘るような余韻を残して止まる。

 気づけば午後だ。アイドリングを続けるエンジンの振動が心地よかった。百々はどっかと床へ座り込む。虚脱感に格があるのかどうか定かでないが、それはまさに格別の瞬間だった。

 なにしろ車窓から覗く空はどこまでも高く青い。見上げたなら今頃、年寄りたちはどうしているだろう。思わずにはおれなかった。きっとあのパワーで車内を制圧すると、ディスティニースタジオへ向かっているに違いない。想像してみる。いや、違ったとして疑うなどナンセンスだった。残り香はそこに淡く漂うと、形をいとわず思いを記憶へそっと刻み込む。

 だが百々の現実はといえば弾けず、まだなおくっきり浮遊している様子だ。

「で、今度は全然、進まないんだよね。あは。いつ抜けられるんだろ、渋滞」

 問いかけたなら答える代わりと、ひねってレフがラジオを流す。


 高速からバスを退避させ終えたのは、それから二時間余り後のこととなる。インター出口には準備万端、爆発物処理班が待機すると、爆発物は前もって確保されていた取り壊し前の浄水場跡地で撤去された。

 もちろんワゴンはレフが勝手と交換したため、帰路は借り受けたパトカーだ。飛ばしてオフィスにたどり着いたのは、それからさらに二時間後のこととなる。

 果たして白バイ警官が律儀なのか、それとも交換したモノがよほどレアだったのか。ワゴンはそんな百々たちより先に地下駐車場で休んでいたのだから驚きだった。

 眺めつつオフィスへ降りた百々は結局、交換景品が何だったのかを聞けていない。何しろ時刻はもう午後四時をまわろうとしていたうえに仮眠室から飛び出して以来、呑気と飯など食んでいる時間もなかった腹は、今や限界を超えて余分な労力をことごとく嫌っていた。もちろん途中、何かしらをかきこむ機会はあったが、相方はむき出しの銃を下げたままときている。そもそも店へ入れず、そしてコンビニでパンの一つも買い求めるくらいなら軽い報告を終えたその後、しっかり味わいたいと我慢は続いていた。

 思うところはレフも同じらしい。だからして確認するまでもなく、こうして曽我への報告も済まされている。

 が、世の中は思った通りにいかない様子だ。無情にもシーンは朝のそれへ巻き戻されると、百々は仮眠室のテーブルへかじりついていた。銃をおろしたレフは隣で漢字検定の問題集と真っ向、睨み合っている。

 そう、レポートはまだ提出できていなかった。これを非人道的だと、労働基準法に反していると訴えようとも、もともと基準にかなう職場でないのだから義務を果たして権利を得るほか手だてはない。

 もうテレビはつけていなかった。黙りこんではいるが、レフは組んだ足を小刻みに揺らしている。おかげで揺れるテーブルを百々は突き立てたペンで押さえつけ、残りを詰めた息で書き続けていた。

 その恐ろしく悪い雰囲気の中、レポートはついに書き上がる。目を通すレフの面持ちは真剣そのもので、最後三枚目に達したところで口はモノ言いたげと動きもした。

「なかなか気持ちがこもっている」

 堪えたレフの、それがオペレーティングルームで曽我へレポートを渡した時の言葉だ。それきり内容を確認する曽我の返事を聞かず、追いかけてきた百々を押し出しオペレーティングルームから抜け出している。

 だからしてやられた、と曽我が顔を上げた時はもう手遅れというもので、呼び止めようにも応じるつもりがないのだから二人もまた、逃げるように通路を駆けているのだろう。

「ちょっと、これをチーフに見せろっていうの」

 その通りとレフが口元をうごめかせた最後三枚には、「ごめんなさい」の文字だけがぎっしり並んで書き込まれていた。



「食堂?」

 百々は目を輝かせる。

 確かに上には入院患者ひしめく病院で、夜勤もあるうえ気安く出入りすることのはばかられるここは場所だった。そうした施設があってもなんらおかしいとは思えない。

「病院食のアレンジだが食えなくはない。メニューは限られているが無料ときている」

「うっそ、もっと早く言ってよ。食べにだけ来てたのに」

「だから言っていない」

「どうしてっ」

 オペレーティングルームを抜け出し百々は、レフに連れられるままチーフ室前を道なりにL字の通路の奥へ向かっていた。手前に掲げられていたプレートには、L字の先にヘリの格納庫と重火器の保管庫があると書かれていたようだが、今それら物騒な場所に用はない。薄暗い通路の先、オアシスかと光を漏らす食堂の入口へただ急いだ。長机とパイプ椅子が典型的な食堂へ、レフもろともなだれこむ。その壁に掛けられた本日のメニューをのぞき込み、つけられたバツ印の中の残る品へと目を寄せていった。

 果てに読み上げるまでかかった時間は心理的抵抗のあらわれだろう。だからしてレフも、これ以上ないほどと低く声を這わせている。

「……[善哉|ゼンザイ]」

 漢字検定、準一級。この期に及んで読み間違いなどありはしない。

「このあんかけそば、こっちのコロッケカレーでもいいよっ。交渉だよっ。空軍のなんとかと交換しようよっ」

 百々の訴えこそ本気だ。ほどに腹具合が逼迫していたならレフのそれはなおさらというもので、宿敵にでも出食わしたかのように両眼、窪ませメニューをに見つけている。

「病院前、国道向かい。だが横断歩道がない。横切るには迂回が必至。信号の待ち込みで所要時間はおよそ十五分」

 やおら連ねるレフへ、百々は何かと目を瞬かせていた。

 顔へと色の薄い瞳は振り返る。

「ついて来い。俺のおごりだ。うまいチャイナがある」

 果たしてすきっ腹が求めるまま、二人の背中は再びオフィスを駆け抜けていった。



「飛行時間もベテランの域か」

 フライトプランの束は分厚かった。指で弾いて乙部は呟く。

 春山をさらいに現れたヘリのパイロット[榊 大輔|サカキダイスケ]の務める民間エアポート社、スカイエアライナーの応接室は、事務室の脇をパーテーションで仕切っただけの空間だった。その片隅で有能な人材と機材を失ったオーナーは、先ほどからひどく疲れた様子でうつむいている。

 そんな逃走ヘリを検分したのは昨日のことだ。ヘリなら一時間たらずで到着出来る地方空港に隣接したここへ車で倍以上の時間をかけて訪れようと決めたのも、また同じ昨日のことだった。

 理由は単純である。どうしてもこの目で確かめておきたい事ができた。それだけのことだった。

「まだ若いですが、アメリカで飛んでいたもんで飛行時間は多い方です。腕も確か。そのうえ超がつくほどの慎重派でしてね。どうかと迷った時は奴に任せて間違いなかったくらいです」

 オーナーは榊についてをそう語る。肩をすくめて返す乙部にも異存はなかった。

「慎重派ってことは認めるね」

 自衛隊駐屯地へ強制着陸させたあの時、想定通りの反応はむしろ乙部にとって物足りないと感じるほどだったのだ。

「まぁ、危険に敏感なんでしょうな。要領よく、って言葉も似合わないほど理屈通りの奴でしたよ。だからあの夜、天候が怪しいんで帰りは明日にすると言い出したのも、そりゃあいつらしいと」

 もちろんそれはその後、ビッグアンプル上空へ向かう予定があったからだろう。だが、だからこそ腑に落ちない点は際立った。なぜなら検分したヘリに燃料は、今ここで確かめたフライトプランと合致する量を消費したうえで、ビッグアンプルまでを軽くした分しか残されていなかったのである。

 取調べで榊は、行く先を知らなかったと話していた。果たして慎重な輩であればこそ行く先不明の物騒なフライトを前に燃料を入れず飛んだりするものだろうか。疑念は募り、いや、あり得ないと臨界を越える。やがて乙部はひとつ、仮説を立てた。つまるところ榊の乗ったヘリにはそもそも、十分な燃料が搭載されていたのだと。

 それが意味するのは榊こそ、必要量を測ることができた、という事実に違いなく、すなわち向かうべき目的地を知っていた人物だ、ということになる。

 いや目的地など初めからなかったのかもしれない、とも思い巡らせた。なぜなら榊はあの後、春山を適当な所で捨て置くつもりでいたのだろうから。

 そう、春山が自供を始めた今、現状はこう分析されている。

 春山は SO WHAT に利用されている可能性が高い、と。


 そして夕暮れ間近のベッドタウン。春山のアパートを渡会らへ譲り渡したストラヴィンスキーは、さらに手分けして反社会組織の男周辺を洗い、乙部の後を追うように榊のマンションへ辿り着いていた。

 だがそれは踏み込む直前だ。勢い勇んで見上げたストラヴィンスキーの目の前で、榊の部屋は火の粉を巻き上げ吹き飛ばされる。

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