第25話
「なんですってっ。車両不備って爆弾のこと、なんですかっ」
恐る恐ると見上げたそこに運転手の顔はある。
そらそうだ。声が大きすぎた。
だからしてノー、と言いた思いは山ほどに。しかしながら言ったその先こそ続きそうにないのだから、追い詰められて百々は笑う。
「え、えへっ」
しかもめいっぱい可愛く。
そのわざとらしさに運転手のまぶたを痙攣させた。否やハンドルへしがみつく。
「今すぐバスを止めます!」
判断は正しい。だが正しくないのだから百々はステップを駆け上がっていた。
「ダメっ。爆発するっ」
声に年寄りたちが今度は素っ頓狂中を向ける。運転手もつんのめるような勢いでアクセルを踏みなおしていた。
「と、止まったら爆発するっ?」
おかげで次にこめかみを痙攣させるのは百々の番となる。
「あ、れ……。あたし、何しに来たんだっけ」
もちろんパニックを避け、迅速かつ安全に一般市民を避難させるためだったが、もうどれもこれもが台無しだ。台無しが過ぎて小細工など時間の無駄でしかなくなる。
「ごめんなさい、車両不備はウソです」
百々は開き直った。
「このバスには爆弾が仕掛けられています。乗客を避難させければなりません。協力、お願いしますっ」
運転手へとぶちまけたなら、年寄りたちへも両手を広げる。
「おじいちゃん、おばあちゃんっ、あたしはバスガイドじゃなくてCCTってところから来ましたっ」
が、セクションCTは匿名ゆえ知名度ゼロの組織だ。
「なんだ。バカげたことをいいおって」
「しーてー? そら先月、撮ったわっ」
ここぞで悲しいほどに通じない。
「さてはあんた、わしらを邪魔しに来たなっ」
「いい年をして、ですてにーすたじおへ行く言うたもんでタケシに頼まれて止めにきたんだろ」
「お金払っているのはあたしらだからね。運転手さん、止めちゃだめよ!」
運転手さえけしかけると、帰れ帰れの大合唱を巻き起こす。
「ち、違いますっ。邪魔なんかしに来てませんっ」
手を振り上げて百々は制するが、多勢に無勢とこはこのことだった。だとして諦めていいこれは状況でなく、前向きに対処できる余裕などないなら百々は対に爪先立つ。
「このまま行って欲しいくらいだけどっ、爆弾は本当なんデぇすっ。止まると爆発ジまぁすっ。だから言うこと、聞いてくだザぁいっ!」
ぜえぜえと、切れた息に肩を揺らした。それでもバスは走り続け、年寄りたちはといえば夢から醒めたかのごとくぴたり、と口をつぐんでしまう。
「……なんと、あんたはですてにーすたじお行きを応援してくれるんか」
聞こえてきたのは感心したような声だった。
いや、そうじゃない。
百々は思うが、きっかけにして状況は一変する。
「タケシ君とは違うのねぇ」
「ツメの垢でも煎じて飲ませてやらんといかんっ」
うなずき合うような間はあいて、そぞろに拍手は湧き起こる。みあげたもんだ。気づけば百々は、やんや、やんやで持ち上げられていた。
「え、えぇ?」
その理由など、もう何だってかまわない。
「あ、あたしだって行きたいんだもんっ。年なんか関係ないっ。みんな同じでぇすっ。そのタケシが間違ってるぅっ」
そいつは誰だ。過ろうと、握る拳で便乗する。百々の豪語に「おお」と年寄りたちもわきかえり、ご声援ありがとう、で選挙にでも出る勢いだ。百々は並ぶ座席を見回しうなずき返した。なら次に放つセリフはもう決まったも同然となる。
時を同じくしてそのときオペレーティングルームのモニターで、赤いランプは点灯していた。皮切りに、それまで順調な運行を示していた青一色だった画面はオセロよろしく色を反転させてゆく。
見て取った曽我が視線を迷走するバスのやり取りから跳ね上げていた。
高速道路監視センターの通信を追っていたオペレーターも、止まった瞬きの中で瞳を揺らす。
やがて一通りを聞き終えたオペレーターがヘッドセットのマイクを握りしめ、曽我へと知らせる。
「四十八キロ先、トンネル内で玉突き事故発生」
「ディスティニースタジオへ、いきたいかぁっ」
百々は拳を高らか突き上げた。なら某クイズ番組よりワントーン低い声は年寄りたちからすかさず、おー、と返されてくる。
「爆弾があったって、いきたいかぁっ」
重ねて煽ればなお返事は勢いを増し、ついに時は熟したと百々は感じ取る。乗客の移送開始を知らせ、襟元のマイクを引き寄せた。
「みんな、落ち着いて聞いて」
瞬間、曽我に先を越される。
「四十八キロ先のトンネルで玉突き事故発生。いい、渋滞に巻き込まれるわ」
さらりと言うものだから驚くタイミングを失う、とはこれいかに。
「三十分で現場を撤収。処理班到着は諦めて」
同時に、なにを、と振ったのは視線だろう。そこでワゴンはブレーキを踏むと、吸い込まれるがごとく並走していたバスから早くも後退を開始していた。
「聞いたな、ドド。時間がない。誘導を開始しろッ」
レフの指示は飛び、すかさず移送車もワゴンが走っていた位置へ下がってくる。
「て、自分っ。レフはどこ行くのよぉっ」
問うが見事にレフはスルーだ。
「ああっ、逃げるなぁっ。この薄情者ぉっ」
だからして残された運転手へ百々は向きなおっていた。無線から同様の成り行きを聞かされたらしい運転手と視線を絡ませる。やがて運転手が繰り出したうなずきは固く、その固さで一蓮托生、やるしかない、を百々へビリビリ伝えよこした。
もう薄情者のことなどどうでもいい。一蓮托生、おっしゃる通りで、頼れる者は目の前の運転手と己のみだ。決まれば百々は持てる限りの集中力を今ここに集結させる。全身全霊、命懸けでビシリ、扉へ指を突き付けた。
「ということでっ、ディスティニースタジオへ行くための新しい車は、あっちでぇっすっ。皆さんには今から、あちらの車に乗り換えてもらいまぁすっ」
ならどんぴしゃだ。併走する移送車のドアも開放される。中からオレンジの作業服にキャップをかぶったレスキュー隊員は姿を現した。目にした年寄りの間から、おおっ、とどよめきはもれ、隊員はそんな年寄りたちのお手振りを受けながら、さらにバスとの距離を詰めてゆく。やがて開けろ、とバスの扉を叩いた。
「百々さん、移動開始よ。制限ギリギリまで速度は落とさせるわ」
曽我も促す。
「待て、待て」
ハートが連呼した。
「今、春山が参考にした裏サイトへ目を通した。遊び半分のサイトだ。そうまで厳密に作動するとは思えん。起爆装置は風力計の電圧変動と連動。上げても速度はむやみに落とすな。誤作動の保証はないぞ」
だとして百々こそこの速度の中を飛び移ってきた張本人である。
「おじいちゃんたちには無理だよぉ」
呻けば進み出てきたのは百々を不審者扱いした年寄りだった。
「大丈夫だ。ですてにーすたじおへ遊びに行こう言うとるわしらの足腰を、見くびってもろうたら困る」
そうしてバス後方へ下がったレフは、ついに高速機動隊の白バイにワゴンを並べていた。警戒して何度もワゴンを盗み見る警官は初対面だ。だからして挨拶の一つも挟んでおくことが、これからのやり取りを潤滑にするための秘訣であることくらいは心得ていた。だが生憎そんな状況でもなければ、生来の性格がそれを許そうとしない。
向かってレフは窓を下ろす。
藪から棒と声を張った。
「貸してくれッ」
「で、できますか?」
睨みつけるように百々は聞き返す。
「あまり時間がありません。荷物は全てその場に残して前の方から順番にお願いします」
すでに身を乗り出すとバスの入口へ片足をかけ、レスキュー隊員も急かしていた。そう、出来る出来ないではなく現状、やるしかないのだ。
「一番はあんたからだ!」
心得て年寄りもバス後方へ呼び掛ける。あっけらかんとした女性の声は、見えない位置から返されていた。
「あら、あたしなら最後でいいわ。一番後ろに座っているし。前から順番に出てちょうだい。できるわよね」
「けど、あんた……」
年寄りの表情がくもる。
「順番ならあたしが一番わかっているわ。タケシにも一言、言いたいしね」
「急いでください」
やり取りをレスキュー隊員が強引に遮った。おかげで年寄りも心を決めたらしい。
「わかった。前から順番で行こう」
さっそく最初の一人目が、おっかなびっくり移送車へと移ってゆく。その体を掴むレスキュー隊員に危ういところはなく、今やバスの運転手も並走するためのプロと化していた。目にすれば百々もこれはいけそうだ、と感じ取る。
繰り返すうちにレスキュー隊員のみならず、年寄りたちも見よう見まねで次第と要領をよくしていた。おかげで移動は想像以上に順調と進み、あっという間だ。満席となった一台目の移送車は後方へと下がっていった。すかさず二台目がバスに並ぶ。その頃、移動を待つ列に並んでいたのは気おくれして列の後ろへ回っていた女性陣ばかりとなっていた。
しかしながらその中にあの声は混じっていない。
探して百々は後方へ向かう。並ぶ座席の背を手繰るとおっかなびっくり、爆発物を貼り付けたハッチをまたいで進んだ。
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