第24話

「待ちなさい」

 間髪入れず飛び込んできたのは曽我の声だ。なら反省文は違う意味で効果てきめんとなる。

「あぁーっ。指示はダメです。また命令違反になっちゃうからっ」

「だったらはっきり言わせてもらうわ。あなたが行ってもリスクが増えるだけで何の役にもたたない」

 それは遠慮の欠片もない曽我らしい引き止め方だった。だが一方で認識は、互いに一致していると百々は思う。

「分かってます。何も爆弾を解除しようなんて思ってません。車内、床下ですよね。あるかどうか見てきます。もしお兄さんの言う通りだったらお客さんの誘導、任せてください。これでも劇場で慣れてます。少しでも早くお客さんを避難させないと大変なことになっちゃう」

 やっほー、と窓から頭を出した。風圧は思った以上で、喋る自分の声はまるで後ろから聞こえてくるかのようだ。同時にそれは吹き飛ばされて紙屑とアスファルトを転がる姿を過らせ、だからこそ間違いを起こさぬよう念入りに速度を身へ馴染ませた。

「心配しないで下さいっ」

 放つ言葉に迷いはない。

「バスの運転手さんは大型車のプロだし、こっちの運転手だって優秀なハズだからっ」

 そう、いっときだろうと信じてレフは百々へハンドルを預けたのだ。百々が信じぬ道理こそない。

「そう言うことだよねっ」

 ひと思いに窓枠を掴んでいた。ならレフの声はいくらかの間をおいて返ってくる。

「……そういう、ことだッ」

「だったら脇道からサポートできる一般道へ出てからにして」

 それでも食い下がる曽我の口調はキレと重さを兼ね備えたボクサーのパンチそのものだ。

「だめだ。歩行者がいる。信号のない交差点も厄介だ。高速なら障害物はない」

 かわしレフが応戦してみせる。一転、胸まで体を出した百々へ声を張った。

「いいなッ。このままで行くぞッ」

 バスの運転手はといえば、頭を突き出した交代選手の頼りない様子にさらにうろたえている様子だ。さすがに笑って返す余裕はなく、百々はそれが返事と拳でワゴンの屋根を叩いて返す。

 合図にしてワゴンは最終調整と、なおバスへと近づいていった。なおさら気を遣わなければと思ったバスも、位置を合わせて速度を調節し始める。

 最中、下ろされた窓からレフが突き出したのは、木製の持ち手がよく手に馴染むナイフだ。

「持って行けッ」

 受け取ると、百々はジーンズのポケットへねじこんだ。

「バスを掴んだら迷うなッ」

 初めて寄越された有益なアドバイスを胸に、ひねった体で窓枠に腰かける。

 いつしかインターを通過していたらしい。前方にパトカーと、先導される形で移送用のバスが三台、見えていた。振り返えれば高速機動隊の白バイも一台、追い上げてきている。エセ情報が効いている事を知らせて他に車両は一台も走っていない。

 ただ中で百々は開けられたバスの乗り口の、近年増えたお年寄りにも優しく、そもそもの用途を度外視して百々にすら優しい手すりへ集中した。目がけて恐る恐ると手を伸ばしてゆく。

 その指先で触れそうで触れない手すりは前後をし続けた。

 風圧にさえ邪魔されて、揺れる体にもどかしさすら覚える。

 が、チャンスはそのとき訪れていた。

 今だ、と誰かが背を叩く。

 ワゴンから、百々はもう片方の手もまた離していた。

 冷えた手すりを両手でしっかと握りしめる。

 とたんふるい落とさんばかり異なる二台の振動は百々を襲った。腹の下で猛烈と路面は流れて風を吹き上げ、光景の凄まじさに肌も泡立つ。追い立てられるまま力の限りワゴンの車体を蹴りつけていた。迷うなの言葉通り、ひと思いとバスへ飛ぶ。いや、それほどの距離もないはずだったが感じるほどの滞空時間を経て、手すりを引き寄せ昇降口のステップも最下段へと飛び移った。駆け上がってバス前方へと転がり出る。そこで目にしたのは四列の座席に腰掛けた乗客らの顔に顔だ。しかもどういうわけだか乗客は、みな白髪交じりの年寄りときていた。

 何か言わねば。

 咄嗟に過ったのは、明らかに年寄りたちは不審者を見る目で百々を凝視していたからだ。そら当然だろう。だがこんな場面にうってつけの言葉などどこを探してもあるはずなかった。ないなら、ええい、ままよで吠える。

「おっ、お待たせいたしましたっ。バスガイドの百々でぇすっ」

 いや、いったいどこにこんな乗車の仕方をする添乗員がいる。

「あんた、何しとるよ」

 真顔で問うのは最前列に座る老人だ。

「こりゃ賊かっ」

 よもやの言われようへは慌てて手を振り返していた。

「ちっ、違いますっ。聞いてくださいこのバスはっ」

 百々は急ぎ用意してきた口実を口にする。

 だが冷静になればなるほどだった。車両の不備、などと果たして明かしてこの場が収まる、それは口実なのだろうか。疑念しか浮かんでこない。

「バっ、バスは……」

 むしろなおさら大きくなる混乱は目の前に浮かび上がると、咄嗟と百々はシナリオ変更を試みていた。

「バス……に、緊急の忘れ物があると、お客様からのご連絡をいただきましたぁっ。すぐにもお届けに上がらなければなりませんっ。皆様、ただいまよりお足もと確認させていただきます。ご自分のお荷物を全て膝の上へ。ご協力お願いいたしまぁ、っすっ」

 そのしくじれない気迫こそ本物だ。

 触れた年寄りたちの表情こそ変わる。

「そんなに急ぐんモンがある、と?」

「あり、まぁっすっ。人命にかかわる重大な大事な忘れ物でぇっ、すっ」

 確かに、仕掛けられた爆弾は人命に関わる重大な忘れ物だ。そして誰が想像できるはずもない事態なら、年寄りたちは良きに解釈しなおしてくれる。医者の薬か、いや、血圧手帳か。探し始めたのだから乗じて百々も、聞かされていた床へと這いつくばった。

「お足もと、失礼しまーすっ」 

「ハナが春山から爆発物の設計図と位置を聞き出したわ。非常口手前、通路に床下へのハッチがある。その中を見て」

 ちょうどと指示する曽我の声に視線を飛ばす。

「待て。開けさせるのか」

 遮ったのはレフだ。

「そこまでだ。触るな、ドド」

 ハッチを目ざし移動を始めた百々を制する。

「かまわん、今すぐ開けろ。解除コードを残す腰抜けだ。自分が吹き飛ぶ。そこに細工はない」

 促したのは、ちょうどと通信へ割り込んできたハートだ。

「それも手口なら」

 かぶせるレフは用心深い。

「どっちっ」

「ないようだけどなぁ」

 翻弄されて百々はかみつき、背後で両足を上げる年寄りへ振り返る。

「おじいちゃんっ、ちょっと黙ってっ」

 耳へハートの語気は強められていた。

「開けろ」

 信じなければやっていられない。

「わかったっ」

 踏みつけられて埃がたっぷり塗りついたハッチへ百々は指を押し込んだ。収納されていた握り手を回転させ、左右そろったところで気合いもろとも引き開ける。

「何をしよるんじゃ。そんなところに忘れモンが入っとろうかの」

 ご名答。爆発も何も起きない。聞き流して百々は中へ頭を潜り込ませた。荷物室のせいで半分を塞がれた油臭い暗がりを見回す。

「く、暗くてよく見えませんぅっ」

「どないしたんや。あったんかいな」

 周りではいつからか年寄りたちが、そんな百々を心配げに見守っていた。

「わかんないよぉ」

「それ、お嬢ちゃん」

 と、その中の一人がひとところを指して教える。

「そこになんかついとるけど、それは違うんか」

 声に百々は穴倉から頭を引き抜いていった。年寄りの指し示す、引き開けられたハッチの裏へと目を向ける。これでもか、と顔面を引きつらせた。

 なにしろそれが必要な部品ならビニールテープで張り付けられていやしないだろう。どこにでもありそうな基盤と電池ボックスは、色とりどりのコードを穴へ垂らしハッチの裏に張り付けられていた。

 止めようなく百々の口から、おお、おおお、と漏れ出るのは謎の唸り声だ。引きずりバスの先頭まで駆け戻る。ままに降りたステップは際下段まで。屈み込むとめいっぱいにひそめた声でマイクへと知らせていた。

「まっ、また爆弾みたいなの、見つけちゃいましたぁっ」

「ようし、よほど好かれているなら天職だ。戻った時は俺が解除のイロハを教えてやる。楽しみにしていろ」

 豪語するハートにいえ結構です、心で返せば知らぬ声は、頭上から放たれる。

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