第22話

「ディスティニースタジオ・ジャパン。高速に乗ったらそちらへ向かって」

 地上へ跳ね上がったエレベーターから飛び出していた。一体だれが磨いているのか。汚れひとつないワゴンは目の前にあり、装着したイヤホンから聞いて百々はそのドアを引き開ける。レフの回すハンドルで、台風一過の空の下へと出ていった。

「ターゲットはそこへ移動中の[蒜山|ヒルゼン]観光バス。バスには爆発物搭載の危険あり。ナンバーと必要な情報は地図に添付して端末へ送った。確認して」

「行きの、バス? ディスティニースタジオじゃなく、行きのバスなのか」

 眩しさに細めていた目を違う意味でしかめる。レフも違わず問い返していた。何しろディスティニースタジオジャパンこそ、映画をテーマにしたアトラクションとキャラクターが大人気の有名テーマパークだ。比べれば「行き」のバスなどターゲットになるとは思えない。

「な、何かの間違いとか」

「あ、二人とも謹慎が解けたんですね」

 ストラヴィンスキーの声が通信へと混じる。

「ちょうどいい。外田さんから説明してやって」

 言われように百々とレフは目をすわらせるが、促す曽我に二つ返事でストラヴィンスキーは話し始めていた。

「了解。えっと僕は今、春山が社員寮に入る前に住んでいたアパートへ来ています。社員寮、やっぱり空振りだったんですよね。そもそも彼は迎えを信じていたわけですし、相部屋でしたからそう重要な物も残されていませんでした。で目線を変えてみた、というわけです」

「次の入居者は?」

 レフが確かめる。

「と、思いますよね、普通」

 あいだにもワゴンは国道に乗り、インターチェンジを目指した。道中、信号に引っ掛かることはない。うちにも頭上を高速入り口まであと三キロ、と記す看板が流れてゆく。

「アパートは寮から歩いて十五分程のごく近所。鍵は引越しと共に返却されていたんですが、家賃を支払うからということで契約は今日まで。住んでいなくとも部屋自体は春山名義で残されていたんです」

「へー、珍しいことをするんだね」

 それは素直な百々の感想だろう。そして行動が不可解であれば理由を知りたく思うのは、誰もが同じようだった。

「ですよね。というわけで令状が下りるのを待つのもどうかと思って僕、大家さんの見えないところでドア、蹴破ってみたんです」

 明かされる、ありがちながらもアッパレなくだり。

「中は?」

 せかすレフがウインカーを跳ね上げた。

「それが契約が切れたならすぐにも次の人が入れるよう、寮とは比べものにならないほど片付けられていました。SO WHAT の痕跡どころか春山の生活臭すら皆無です。けれど……」

 言葉はそこで一度、切られる。一呼吸おいたストラヴィンスキーは改め続きをこう吐き出していた。

「それだけが残っていたんです」

「高速へ入る」

 低く知らせたレフの声に合わせ、車間を詰めたワゴンは巨大な螺旋をのぼり始める。左回りだ。インターチェンジへ入っていった。

「植木鉢だけが土まで入った状態で残されてました」

「そんなにお花、好きだったんだ」

「そう見えたならめでたい奴だ」

 返すレフに百々の頬もむっ、とむくれる。乗せてワゴンは早くもETCを潜り抜けると、他車の流れに合流した。道路状況は追いかけるにうってつけと良好だ。車線の見通しもいい。

「そういうことです。以前、使っていた人の持ち物が残っていることも珍しくないですし、春山を知らなければなおさら何とも思わないはずです。クリーニングが入ったとしても植木鉢くらいなら何の疑問もなく片付けちゃうでしょう。けれどそうまで念入りと片付けたはずが、植木鉢だけ残すうっかりこそわざとらしい、ってわけですね」

 そこでようやく百々の口は「あ」と開かれる。

「でまぁ、大家さんにも無断で入っちゃったことですし、僕、ここでもやっぱりこっそり植木鉢を割ってみることにしたんです」



「これ、何の番号かしら」

 六畳たらずの狭い取調室。格子ががっちり食い込んだ窓はいかにも、ここが隔離された空間である事を知らしめていた。案外、丸くてポップな色合いのコタツか何かだったら犯人もついうっかり気を許して自白するのではなかろうか。思ったことがないわけでもない。しかしながらハナの前には今日もグレーのスチールデスクがあり、挟んだ向かいにはすっかり意気消沈した春山の姿があった。

「それとも水をやれば花が咲く予定だったのかしら」

 傍らでは事の次第と成り行きを、渡会の部下が見守っている。そしてこの構図もまた、昨日からなんら変化のないものごとのうちのひとつだった。

「そんなわけないわよね。これ、あなたが前に借りていた部屋。そこに残されていた植木鉢のひとつから出てきたメモよ。どう、覚えがあるでしょ。いいえ、覚えきれないから残したんじゃなくて」

 机に置いた紙片をコツコツ、指で弾く。その音にさえ身を縮めて春山は、さらに深くうつむいていった。

「もちろん、あなたの所持品にこの部屋の鍵はなかった。知らない、言うつもりかもしれないけれど、時間があればわたしたちにだって鍵くらい見つけることはできると思っているの。この番号は、だから部屋に残すことにした。あなた昨日の事件の後、まだ何かするつもりでいたんじゃないの?」

 かしげた首でハナは春山をのぞき込む。せめてイエスかノーで示してくれたなら救われるようなものを、しかしながら春山の態度が変わる様子はなかった。

「……あのヘリは、迎えじゃなかったんですか」

 消え入るような声で同じセリフを繰り返す。おかげでハナはまたため息を大きく吐き出していた。

「彼らはそう言っているわね。あなたに雇われたって。見返りに受け取ったという現金の封筒から、あなたの指紋も出てる。昨日も言ったはずよ。つじつまは合うわ」

「違います」

 これまた寸分たがわずだ。遮ると春山は言った。だがその先がどうしても続かない。もちろん満足に口を開こうとしないのは黙秘を通したいからでないことくらいもう知れている。いまだ置かれた立場を理解できず混乱しているからで、ならば、とハナは乗り出し気味だった体を下げていった。多少話が逸れたところで今一度、同じことを言って聞かせる気持ちを整えなおす。

「ヘリの二人は拾ったあなたから、行き先を聞く予定だったと言っているわ。ならあなたはこう考えるべきじゃないかしら。現金もそんな予定も都合した誰かにハメられたんじゃないかって。あなたは派手な逃走劇を繰り広げるためだけに捨て駒と利用された。もちろんその誰か、は SO WHAT にね」

 だが一度、固定されてしまったシナリオに、そのルーチンから逸れる気配はない。

「俺が行き先なんて知るはずないです。現金は SO WHAT の活動を支援するため指示とおりロッカーへ入れただけで、あの二人に渡すためなんかじゃありません」

 そこに断固否定する力強さもなければ、それだけに巧みと嘘をついている様子もなかった。むしろ他に持ち合わせていない言い分に、繰り返す事へうんざりしたような響きだけが漂っている。

「それがハメられたってことよ。いい?」

 だとしてもハナは根気強く呼びかけた。

「ヘリの二人は加担した話が想像以上に大きかったことを知って、テロと無関係であることを証明するためとても捜査へ協力的よ。おかげであなたの立場は黙っているだけで、どんどん悪い方へ転がってる。脅しじゃないの。それでもいいと言うわけ」

 暗に違う、と示し一息おく。

「確かにあなたが劇場で使用した爆発物から SO WHAT との関係を証明する物は出てる。いつどうやって接触したのか、爆発物の入手方法を話しなさい。そしてこの番号についても」

 考え、決断させるだけの時間を与えてハナは黙した。

 浴びせられて忙しなく足を揺すっていた春山は、ハナが話し終えてもヒザ頭へ落とした視線を迷走する思考のまま泳がせ続ける。そうして昨日が費やされたなら、埒が明かないと判断するにもう十分な時間は過ぎていた。

「いい加減、認めなさい」

 うんざりした気持ちを隠す理由がない。

「彼らはハナからあなたを仲間だとは思っていない。みじめだろうけれど、ここでこうしているならそれは認めざるを得ない事実よ」

 と、初めて嫌悪を覚えたのか、気弱とうつむいていた春山の目だけが裏返される。ハナをじっとり睨みつけた。睨みつけたままでこう口を開く。

「……一番、楽しい思い出は、何ですか」

 少なからず虚を突かれてハナは口ごもった。

 だが、だからと言って春山は明確な答えを求めていたわけではないらしい。再び落とした視線の先でヒザを小刻みに揺すり始める。その揺れに追われるようにだった。やがて途切れ途切れと話し出す。

「本気、でした。だからひどく楽しかったですよ。捕まっても、どうなってもいい。思えたくらい。けれど、それも……。それも『与えられた娯楽』だった、ってことだ。与えられて喜んで、また踊った。そんなじゃ革命に、加われやしない……」

 それきり続いた沈黙は異様なほどに長かった。

 長さは揺れていた春山のヒザを次第に落ち着かせてゆく。ままに一点を睨む視線もまた思いつめた何かを過らせ、ハナに決定的な何かを予感させた。

「迎えが来なければ」

 だからして放たれた声は高ぶる感情に震えている。

「死ぬ、覚悟はしてたんです……」


「爆発物は、その一点だけが春山の自作。迎えが来なければ搭載済みの観光バスを拝借して、爆弾ごとディスティニースタジオへ突っ込むつもりだったそうです」

 あっけらかんとストラヴィンスキーが明かしていた。

「なんっ……」

「それがバスに爆発物の理由か」

 二の句が継げず百々は呻き、レフが肝心な点を問いただす。

「それで番号の意味は」

「爆弾の解除番号だとか。破棄しきれず万が一のためにとっておいたそうです」

「番号も地図と一緒に送っているわ。確認して」

 続き曽我の指示は飛んだ。

「あとハルヤマは SO WHAT について何か話したのか」

「それがその後わんわん泣いちゃって、話もできない状態だそうです」

 返答には、さすがのレフもなんだそれは、と言わんばかりである。

「バスは現在、六キロ先を時速八十キロで走行中です」

 教えるオペレーターにハンドルを握りなおした。

「分かった。バスを発見次第、セーフティーゾーンに停車させて乗客を避難。爆発物の確認と番号での解除にとりかかる。乗客の移送用に代替車が必要だ。用意してくれ」

 百々も端末を操ると、送られてきた地図と現在位置をすりあわせにかかった。だがいつもなら間髪入れず返してくる曽我の反応がやけに鈍い。

「バスの運転手とは連絡が取れているのか」

 気づいたレフが自ら切り出していた。

「ええ、無線はバス会社のものがあるわ。けれど」

 そこでようやく曽我は調子を取り戻す。

「止めることは出来ない。彼の言う爆発物が本当にあるなら、搭載されているETCが高速の料金所を通過すると同時に起爆装置が作動。走行速度が四十キロを切ると爆発するよう設定されているらしいわ。警察車両もバックアップに向かっている。バスを止めずに事態を伏せたまま乗客を避難。爆発物を処理して」

 だとして驚いたかといえば、車内にそんな気配は微塵もなかった。助手席でただ百々は目をすわらせ、これでもかとレフがワゴンのアクセルを踏み込む。二人を乗せてひとたびワゴンは加速していった。

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