第19話
「労働?」
一人掛けのソファへ腰掛けたハナが細い眉を縮めて振り返った。
「そうだ」
答えるレフは隣のソファ、その背もたれに尻を乗せている。向かいにはハートとストラヴィンスキーが立ち、二人の手が添えられたソファに百々は埋まっていた。ヘリの墜落を目撃した、と通報されていたらしい乙部だけが少し離れた位置で壁に背をつけ腕組みすると立っている。
「全ての娯楽に粛清を。与えられる娯楽は全て楽しむことを義務付けられた労働だと。そこに捕らわれた人民を解放することがテログループの目的であり革命だと奴は言った」
明かすレフに曖昧なところはない。
「ならばこれまで引き起こされてきた案件は全て、解放のための革命だった、と?」
確かめる百合草は柿渋デスクの向こうに腰かけている。
「いや、革命はまだ始まっていない。そもそも俺たちがこれまで対処してきた案件こそ SO WHAT の活動じゃあなかった。部外者の手によって引き起こされたものだ」
話は百々にとっても予想外だ。聞き入れば息は止まっていた。
「奴の話が事実であれば SO WHAT は革命を実行に移すため各地で必要な頭数をそろえていた。志願した者が、自身の意思が本物であることを示すためこれまでの事件を起こしてきている。認められた者には迎えが来る。奴もそれを期待していた一人らしい」
「だから要求や主張がはっきりしなかった、って」
ハナがあきれ顔で目を見開く。対照的にその向かいで、ストラヴィンスキーは眉をひそめてみせていた。
「だとすればどうやら僕たちは……、SO WHAT の実際を取り違えていたようですね」
「本当の意味でのテロは頭数がそろったあと、というわけか」
向かって視線を投げたのはハートだ。
「いったいヤツらは何人集めるつもりでいやがる。このハタ迷惑な騒ぎはまったくいつまで続くんだ」
言い分こそもっともで、誰より痛烈と感じている百々もまた思い出すとこぼしていた。
「……最後の同志。革命の日は、近い」
そう、それはロボットアニメと見まごうキリン対決の最中、スピーカーから聞こえてきたセリフだ。一部始終には思い返したくない箇所も多々あったが、修羅場はくっきり脳裏へ焼き付いている。
「なんだ、それは」
投げたレフの視線は鋭い。
顔へと百々もアゴを持ち上げた。
「自分が最後の同志になるって、革命の日は近いって。クレーンでお兄さんが叫んでた」
否や、指を立てたのはストラヴィンスキーである。
「あ、ナルホド。ならもう終了していたんじゃないでしょうか。そのオーディションは。逃げる気のないヘリが迎えに来たわけですから。そのために声明文まで偽造したんだとすれば、SO WHAT は彼をなんらかのために利用したかった、と。たとえばそうですね……」
巡らせる考えに瓶底眼鏡の奥でしばし目は伏せられる。開くとストラヴィンスキーは告げていた。
「宣戦布告のために……、とか」
響きは穏やかではない。
「いよいよ次が本番、ってご挨拶だ」
乙部がそこへ輪をかける。
「見解が正しければ」
絶ち切る百合草が立ち上がっていた。
「想定される懸念のうち、直近に起こり得る最も重大なものはテロリストたちがりプロパガンダを公とすることだ。防ぐことができなければそれだけで、事態は我々にとって取り返しのつかない『革命』になることが予想される」
指で神経質とデスクを弾く。
「必ず阻止する」
声は重く、しかしながらそれが大袈裟だとは思えなかった。与える者も与えられる者も 人はそれほどまでに娯楽を必要とし、まみれている。開放されたとして行くあてもないほど誰もが常用し続けていた。
と、傍らでドアは浮き上がり、あの赤いスーツの女性は入ってくる。だからといって百合草が話を切る様子はない。
「たとえ春山が捨て駒だったとして、『20世紀CINEMA』で回収された爆発物の中から SO WHAT とのつながりを示す物証は回収されている。つまり春山は我々が初めて取り押さえたテログループとつながる人物だ。突破口はそこにある。入手の経路を辿れ。そこからテログループの実態を突き止めろ」
いや、必ず見つけ出せ、と百合草の目は一同を見回している。
「そのためにも今後も警察側と協力。春山を中心に捜査を進める。各自、分担は現状のまま。文言にあった『近い』と言う時期がいつなのか現地点では不明だが、ゆえにこれは時間との勝負でもあると思ってかかれ」
デスクを弾いていた指はそこで空へ向かい広げられた。
「以上」
聞き入れ繰り出されたうなずきは、至って緩慢なものばかりだ。百合草もまた緊張を解くと再びデスクへ腰を下ろしてゆく。
「全員、ご苦労だった」
ならまったく、とハナがため息を吐き出していた。
「四時間後には春山の事情徴収に行かなきゃならないの。仮眠室、借りることはできるかしら」
百合草へ書類を渡す赤いスーツの女性を呼び止める。
「ええ、一番奥なら空いています」
「じゃ、お先に」
えいっ、とソファから立ち上がって繰り出した背伸びが豪快だ。それきり部屋を後にしていった。
「現場検証は鎮火後だ。俺は一度、帰って寝るッ」
何に腹を立てているのか、おっつけ唸るとハートも返すきびすでそのあとを追う。
「令状ももうしばらくかかりますしね。ぼくもフロくらい入っておきます。お疲れ様でした」
背にストラヴィンスキーが続いた。おかげでドア前は混み合うと、立ち尽くしていた乙部も自然、外へ押し出されてゆくこととなる。
「シコルスキーをチェックしておくか」
「ええっ、まだ仕事するんですか」
「どうせヘリの中で寝るんだろうが。俺には考えられん」
「今すぐ飛べと言うのが、ここのやり方じゃないか」
「いやぁ、オツさん、おつかれさん……って、せっかくの冗談聞いてくださいよ。わかってないなぁ。オツさん、オツさんてば」
などとハートは最後まで怒り、ストラヴィンスキーのオヤジギャグを面白おかしく聞きながら百々もソファから立ち上がることにした。
「わたしも失礼します。お疲れ様でした」
百合草へ一礼、繰り出す。だが百合草はチラリ、書類から視線を投げただけだ。引き戻すなり百々へとこう言っていた。
「明日、ここへ八時。指示は彼女が与える」
「え。今日、遅番なんですけれども」
早々にも打ち切りが決まった映画「バッファロー」の後ガマの後ガマ、その試写もまた仕事終わりに控えている。
「だからして明朝に伸ばした」
なるほど。シフトは支配人、水谷からダダ漏れだ。
「わ、わかりました」
仕方ない。トートバックを掛けなおしていた。改め繰り出した一礼で百々はドアへ身をひるがえす。レフもまた、見届けソファから尻を上げていた。百合草の声はそんなレフへも狙いすましたように投げられる。
「送ってやれ」
否や振り返ったレフが「なぜ俺が」と言いかけたことは、背にした百々にも十分なほどに伝わっている。だからこそ、百合草が向けた視線は百々が食らったものとは比べ物にならないほど鋭かった。果てにキン、と冷えきった声は部屋に響く。
「命令だ」
薄ら明るい表はすっかり台風一過の様を呈している。人気のない路面には新聞紙から看板までが散乱し、断るにも断れない状況を経て百々は、それら荒涼とした風景の中をワゴンの助手席におさまり帰宅の途についていた。
レフは全く喋らない。気難しげな表情でただハンドルを握っている。あまり車内の雰囲気はよろしくない。いや、元々この車に乗って良かったことが一度でもあったろうか。百々は懸命に思い返し、明るくなりつつある空の色と裏腹の眠気にまるで頭が回らないならお手上げと手放した。だからといって眠る図太さまでは持ち合わせておらず、三分だ。居心地の悪さに辟易すると、百々は三分で自らレフへ口を開いていた。
「気になってること、聞いていい?」
「なんだ」
せめて二言以上で返してほしいが、現状、多くは望めそうもない。諦めともかく百々は問う。
「犯行予告、アレの出どころって誰も調べないの?」
と、ワゴンは赤信号にブレーキを踏んだ。当然ながら横断歩道を渡る人の姿はない。止まっていることが間抜けのような、それは光景だった。しかし臆せずレフは現状に輪をかけてクソ真面目と説明を始める。
「送られてくる犯行予告に声明文は物理的なもの、電子的なものの二パターンがある。物理的なものの送りは主不明。消印もなければ指紋も出たのは今回が初めてだ。筆跡もひとつと同じものは上がらず。インクや用紙の特定はなされたところで量産品ばかりと足取りの掴みようがない。電子的なものに至っては複雑な経路をたどり送り付けられているせいで発信元を辿ることは実質、無理だ。そもそも数が多すぎる。全てをどこまで真に受けていいのかさえ判断しきれていない」
続きのようなタイミングで、シフトレバーが入れ替えられた。
信号は青に変わっている。
ゆるり、ワゴンは動き出した。
「うーん、世界中の同志って人たちが送りつけてるのかもね」
などと相槌は社交辞令にほかならない。以外、百々に思いつく策などあるはずもなく、案の定、そこで会話はぱたり、途絶えた。エンジン音だけがよそよそしくも車内を満たす。
「だろうな」
言うレフの間合いは絶妙に違和感まみれだ。百々は思わずその顔をチラリ盗み見ていた。ならレフは、とたん大きく息を吐き出す。
「あの似顔絵は間違っていなかった。特徴をよく捉えただけにディフォルメが過ぎただけだ。正面から見て思った。信用していなかったことは詫びる」
「え、そうなの?」
唐突な謝罪に、百々こそ目を白黒させるほかない。
「というか、そういうことは最後まで言わなくていい。ショック倍増した」
おかげでなおさら疲れも増すと、ぐったりシートへ沈み込んでいった。
「それよりさぁ」
唇を尖らせる。
「命令だ……」
真似たのは百合草の声である。
「あそこで勝手な行動するから、こうなるんだよ」
「逃がすつもりはない」
「でもあれは……」
言いかけたところでフロントガラスの向こうに駅の屋根はのぞいていた。
「あ、ここでいい。下ろしてっ」
始発ならもう動き出している時間である。
「駅でいいのか」
慌ててウインカーを跳ね上げたレフが左右を確認した。
「うちに横付けされちゃ困るよ。親に就職先でテロリストと戦ってます、って言える? 台風で電車が止まったから20世紀の事務所に泊まったってことにする。それにその方がそっちだってつまんない任務から早く開放されるでしょ」
いや、これはもう雑用の域だ。
あいだにもワゴンは駅前のロータリーへ潜り込んでゆく。客待ちのタクシーに紛れ緩やかとブレーキを踏みこんだ。
「明日、八時。独りで地下へ降りられるな」
などといったい幾つだと思われているのか。降りた百々の背へレフは投げる。
「当然。そっちこそ、ちゃんとお父さんの言いつけ守ってなさいよね」
「夜じゃないぞ。朝だぞ、朝」
負けじと返せば連呼され、たまらず百々は唸り声を上げていた。
「わかってるってば。ああ、もうっ。帰って速攻、寝るっ」
勢いよくドアを閉める。
ほどなく動き出したワゴンの窓から、わずか笑ったレフの横顔が見えたような気がしていた。つられて自身の頬もまた緩んでゆくのを感じ取る。
どうやらホームへ電車は到着していたようだ。ワゴンを見送る百々の周囲を、スーツ姿の男女が取り囲んでゆく。
この中に、と百々は思い巡らせていた。この中に今夜の一杯や彼とのデートを楽しみにオフィスへ向かう人はいるかもしれなかった。新作映画に贔屓のチームの試合を楽しみにしている人がいるかもしれなかった。欠かせない全ては明日のための燃料で、そのどこに破壊される理由があるのか、まるで理解できない。
ままに百々は柔らかいベッドを求め、ホームへ向かい身をひるがえす。
興ずることができるのなら、まだ世界は平穏だと、そしてこれからもその平和は続くのだと、信じて改札をくぐり抜けて行った。
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