第18話

 果たして何の変哲もない民間汎用機。そのベル社と思しき機影はきらびやかな街灯りに穴を空け飛んでいる。

「速度、最高二百強、いやこの気象条件じゃ前後がせいぜいか。満タンでの連続飛行は六百。このまま直進すれば……、十五分ほどで海へ出るな。さて目の前のバーディはどうする?」

 見下ろす位置で乙部は問いかけた。

「逃亡は阻止したいが、貴重な情報源を公費でもってして抹消するわけにはいかない。なるべく穏便にこちらの意図へ沿ってもらったうえで、しかるべき責任を負ってもらう」

 答えて返す声は言うまでもなくガラス張りの部屋、通称オペレーティングルームのモニターを前に立つ百合草のものだ。

 都合よくも夜間シフトとの交代と重なった今回、事態に対応するオペレーターは通常の倍となっていた。だが飛び交うのは容疑者追跡の通信をはじめ消防に救急の無線、明日にも発表しなければならない本件のファンタジックなシナリオ作成に、上空確保をつとめる管制無線と、人手不足を極めている。

「なら、六百キロ追い回して羽を休めたところでそっとすくい上げてやろうとでも」

「天然記念物なら、それもいい」

 とぼける声はまたもや百合草のヘッドセットからもれていた。

「が、貴重と言ってもそこまでじゃぁ、ない」

 聞きながらモニターから視線を落とす。傍らの丸テーブルに広げられた地図へ投げた。

「どこへ向かうのかは気になるところだが本末転倒だけは避けたい。そして彼らを押さえることができればその疑問に答えさせることが可能となる」

 と、オペレーターの間から赤いスーツは持ち上がる。ヘッドセットを装着した彼女は足早と百合草の元へ歩み寄っていた。

「チーフ、許可が下りました。全面協力の同意も得ています」

 ようやくか、と唸ったのは百合草だ。

「書類があるなら任せる。どうせ借りを作ったという記録だ」

「いえ、全て後日でいいそうです。向こうもこれからそれどころではなくなるそうなので」

 肩をすくめる彼女のそれが手腕なら、任せたはずの百合草も呆れたように表情を緩める。引き締め今一度、マイクへ告げた。

「カゴの準備は整った。今から小鳥の捕獲に取り掛かる」

「了解」

 さて、気象条件の悪い夜間飛行とくれば陽気に飛べる道理はないが、元来ヘリはVFR、有視界飛行がもっぱらだ。日が暮れたなら布団へもぐり、雨が降る日は表へ出ないが信条で、なおさら災害救助などとんでもないと公言しない限り、現状、そう特異な条件でもない。しかも相手のパイロットは強風の中、クレーンから人を回収していた。度胸もあればそれなりに経験を積んだ人物だと考えられる。ゆえに闇にバーディゴ。何をどうする間もなく空間失調の果てにストール。それらお粗末な結果を心配する必要こそないと乙部は見積もった。だからして墜落するか否かの瀬戸際まで追い詰めたとき、パイロットは必ず正しい判断を下す、とも。

 右手のレバーを引く。出力を上げていった。伴い持ち上がってゆく機首に、機体は急上昇の態勢に入る。

 右足ラダーの辺り、相変わらず街灯りに穴を空けベル機は一直線と飛び続けていた。用意されたカゴもその先で黒くくぼむと、広大な土地の存在を間違いなく小鳥へと教えている。

 両者を辛うじて視界の端に据え置き続けた。

 完全に機首が空を仰いだところで乙部は告げる。

「開始する」

「了解しました」

 操縦桿をベル機めがけ静かに倒していった。足元にあった夜景が静かに壁と立ち上がって、機首が下がったのかテールが持ち上がったのか、蓄えたエネルギーをぶつけてシコルスキー機はそれきり急降下の態勢に入る。ようやくこの強襲に気づいた様子だ。機体を傾け流れるように左旋回。尻尾を巻くが相当と、ベル機が眼下で逃げ出し始める。そのさい推進エネルギーは水平と垂直に二分されるのだから、伴い高度が下がってゆくのはいわずもがな。だからこそ乙部はここぞでベル機から上昇の機会を奪いにかかった。追いかけ張り付くように左旋回で追跡。上空制圧に集中する。

 嫌って逃げ続けるベル機の向こうで街の灯りがグルリ、一回転した。

 さらにもう一回転すれば元来ヘリはそれほど高い空を飛ばない乗り物であることを知らしめて、地上に張り巡らされた道路はくっきり見え始める。だからこそなお上空は譲らない。もつれ合うような螺旋降下は、ことさらその場所を安全地帯と認識させるためのチキンレースだ。

 と、以心伝心。上昇のタイミングをうかがい続けていたベル機の旋廻が素直な降下の体勢へ移行した。そんなパイロットの目には明かりに空いた黒い穴、その片隅に規則正しく並ぶ平たい屋根が工場か何かに見えたことだろう。

 吸い寄せられるように降下してゆく。

 果てに地上すれすれをホバリングした。

 とどめとかすめてローパス。乙部はベル機を押さえつけた。

 逆らえずスキッドを、ついにベル機は地面へつける。

 タッチアンドゴーで舞い上がる気配はない。代わりとばかりにローターの回転も止まらぬヘリから三人、男は転がり出していた。照らして焼け付く光は三方から焚かれ、猛然とジープにハンヴィは駆け込んで来る。三人を取り囲みブレーキを踏むと後部から、これでもかと自衛隊員を吐き出した。

 果たして逃亡者の情報はどんな形で伝えられていたのか。かまえられた銃器は巷でめったにお目にかかれないものばかりだ。

 促され男らは唖然と手を挙げてひざまずく。

 いや、正確に伝えるならそれはパイロットだけ、というべきだろう。慣れないアクロバット飛行に残る二人は這いつくばると、それきりゲロをぶちまけていた。



 ビッグアンプルではまだ消防と警察が後始末に追われているらしい。何しろ爆発には十三名が巻き込まれたと聞かされている。死亡者が出なかったことだけが唯一の救いで、全ては保全作業が間に合わず起きた事故だと、倒れたクレーンも含めて全ては想定外の天災が引き起こしたものと、明日にも発表される予定だった。

 そんな現場で証拠物件の探索はまだ始められていない。爆発の規模が規模なうえ真夜中のため見つけ出すことは困難だと、いやあの玉に頼らずとも事実は明らかとなったも同然なのだから優先順位は下げられた様子だった。

 引き起こした容疑者たちは緊急着陸した自衛隊基地にて拘束。猛烈な勢いで駆けつけたパトカーに乗せられ今では監視の元、運び込まれた病院で体調の回復に努めている。詳しい取調べは明日、というよりも眠っていないだけですでに零時を回ってしまった今日が予定されていた。

 次いで礼状が出次第、俳優似のお兄さんの部屋を捜査することも知らされている。ただし部屋といっても会社の寮で、入社して一ヵ月ほどのそこに期待するのはよした方がいい、ということでもあった。

 しかしながらそれら調査を待たずして明らかとなった事もいくつかある。俳優似のお兄さんの名前がその一つだ。

 会社の名簿や所持品から判明した氏名は春山武史。指紋も『20世紀CINEMA』のショーケースや、ビッグアンプル犯行予告へ添付されていたものと一致していた。つまり決定的となったのは入国管理局のデータベースが改竄された、という事実で、しかしながら春山は送り付けられた犯行予告を知らず、迎えに来た二人もこう証言しているらしい。身元確認もすんなり片付く民間エアポート会社のヘリパイロットは、同乗していた反社会的組織の男と金で結託しただけだと。その反社会的組織の男はといえば、自分はハルヤマと名乗る男から金で依頼を受けただけなのだと。

 つまり双方ともが何に加担していたのかを知らず、これら体調をおしてまでとれた自供の理由こそ、加担していた事の大さに慌てて身の潔白を証明してのことらしかった。

 もちろんいずれも裏を取る必要はあるが、そんな彼らの様子から証言の信憑性はもとより高い、という。

 同時に芋づる式と明らかとなったことはもうひとつ、挙げられている。そう、誰もヘリの行く先を知らなかった、という事実だ。

 SO WHAT に続く重要な手掛かりのひとつはそこで、あっけなくも失われていた。

 果ての午前五時。それら腑に落ちぬ状況がまとまりを見せ始めたのは、百合草の部屋で順にすまされてゆく報告の最後。レフがビッグアンプル屋上でのやり取りを明かしてからのこととなる。

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