第17話
吹きすさぶ風に巻かれたなら気分は綱渡りだ。ドアへえいっ、と飛びつく。ひねったノブはこんな僻地の持ち運び不可能な重機だからか、開くとあっけなくも百々を中へ招き入れていた。
汗臭い。第一印象はその程度でしかない。一畳ほどあるスペースの真ん中に黒光りするシートはあり、めがけてどっこい、百々は尻を投げ出した。それだけで手足の位置へあてがわれるペダルにレバーは有難く、感触を確かめしかと握り絞める。前へ顔を持ち上げた。まるで宙に浮いているかのようだ。百八十度、視界全面に足先もまた窓に囲われた運転席の死角はゼロ。SF感にさえまみれて高所からの景観は広がる。
「で、どこどこどこっ」
みとれている場合でなければ起動させるべく、探して百々は武骨な周囲に指を這わせた。耳元のイヤホンではオペレーターが救急の到着を告げ、容疑者発見の一報に整えられてゆく確保の段取りが飛び交っている。だとして地上からでは間に合わない。焦れば目にダッシュボードよろしく突き出た場所に、光る鍵穴は映っていた。よく見ようとのぞき身を屈めれば、支えてダッシュボードに触れた手元から落ちた何かの気配は過る。
鍵だ。
足元へ伸ばした手で拾い上げていた。ダッシュボードの裏にでも貼り付けられていたのか、べったりセロハンテープも貼りついている。
「オトリの爆弾で引き付けておいてホンモノを爆破。まごついてるあたしたちを尻目にこっちを足場に脱出するためのスペアキー? けどそれがアンタの命取りってことっ」
鍵穴へと差し込む。事実はどうあれ結果オーライ。ビンゴで運転席に明かりも灯った。目覚めたクレーンは身を震わせると、シートの底から重くモーター音を響かせる。
「迎えは空よっ。どうすんだか知らないけど、そのためにクレーンを動かす気でいたみたいっ」
とはいえ百々にクレーンの操縦経験など当然ない。つまり体で覚えるの一択と、そのとき状況もまた極まった。
「ふぅんだっ。とぅりゃぁっ。ぃええいっ!」
踏み込み、引いて、倒して、手当たり次第、百々はレバーにペダルを弄りたおす。無線のやり取りもそんな百々の言葉に速度を上げると、そこに至って冷静と「ああ、なるほど」とこぼすストラヴィンスキーの声を混じらせた。
「百々さん、あったまいい。でもやってるコト、馬鹿ですよー」
その馬鹿に操られてクレーンは、ついにしずしず動き始める。
「うわっと、足のペダルで左右に回転するんだ」
のみならず、レバーを倒せば腕部分、ジブは水平に倒れてゆき、その先で巻き上げられていたワイヤーをもう片方のレバーを倒したとたん伸ばしてゆく。先端に繋がれた吊り金具、フックブロックを下ろしていった。
「誰です、誰が運転してるんですかっ」
挙動に運転席の無線から吹き出したのは、ハートとすったもんだを繰り広げていた作業員の声だ。
「って、これでも飲み込み、早い方でぇっすっ」
その通り。フックブロックを幾らも下ろしたクレーンは今や、百々が踏み込んだペダルに従い左旋回を始めている。その運転席で肩越し、百々は向かいのクレーンをただ睨みつけた。
「じゃなくて免許ないでしょっ、免許。無茶苦茶だ。危ない、今すぐやめなさぁいっ」
視界から向かいのクレーンが見切れそうになったところで、踏み続けていたペダルから足を浮かせる。
「やめたら……っ」
気合もろともだ。
百々はもう一方へ踏み替えた。
「逃げまぁー、すぅっ」
とたん逆回転するモーターが鋼鉄のキリンへ鞭を入れた。繰り出される逆旋回に、もたげた「きりん一号」の長い首も闇を裂いて向かいのクレーンへ振り戻されてゆく。
「食っ、らえーっ!」
が、叫んだところで動きはそもそも群を抜いて鈍いことこのうえない。加えて振り戻されてゆくジブ先端も当然のことながら、一本足の前をことごとく通り過ぎていった。
「あーっ、なんで当たらないのよっ」
「当たり前です。そこ、残念がるところではないです」
つっこむ作業員は間違いなく真顔だ。
「鍵、抜いてください。ワイヤーが不安定だ」
確かに強風の中、繰り出された荒い運転に振り回されてフックブロックは振子と宙を泳いでいる。とは言えそれがどういうことなのか知識にも入っていなければ、フックブロックは百々の視界にも入っていない。
「うるっ、さーいっ」
決行する再アタック。吠えてペダルを踏みかえた。応じて鋼鉄のキリンも唸り声を上げると、風を逆巻き動きを転ずる。振り戻されてゆくジブに遠心力は生じると、吊り下がっていたはずのフックブロックが、にわかに遠く放り投げげられていた。夜空に優雅と弧を描くと、風にあおられさらにその弧を外へ大きく膨らませてゆく。
ゴーン。
向かいの一本足を叩きつけた。
「……あ」
光景に作業員から声はもれ、
「あっ、たりーぃっ!」
旋回してゆく運転席で百々こそもろ手を挙げて歓喜する。食らったクレーンに立つ男はといえば、素っ頓狂がちょうどの顔をしていた。やがて百々の様子に事態を飲み込むと、一転、その目を輝かせてゆく。そいつは面白い。言わんばかだった。発煙筒を投げ捨てるや否や、自身もクレーンへと飛び乗る。
なるほど二つのキーを持つことはだから不自然なのだ。すぐにもそこに明かりは灯り、百々のクレーンより長いジブは倒されて、フックブロックもまた猛烈な勢いで下ろされていった。果てに助走をつけると右旋回。すぐにも切り返して百々とは真逆の左へ大きくジブを振り始める。その側面に貼られた看板はといえば、こうだ。
「きりん二号」
「やっぱりねっ!」
吐いた百々の旋回が、再び最大に達しようとしていた。かかる遠心力にフックブロックもかつてないほど遠くへ飛ぶと、視界の端にとらえて百々はこれで終わりだ、とペダルを踏み替える足へ魂を込める。
「食らえぇぇっ。ジラフっ、ア、ターァクッ!」
のちの絶叫はロボットアニメの域か否か。
ならこのさいだ。
「俺が最後の同士だ! 来るべき革命の日はちかーい!」
クレーンの無線からお兄さんの声も降った。
果てに唸り声を上げた鋼鉄のキリンとキリンは、倒した互いの長い首めがけ、空を走る。すれ違ったその時、嵐の空で伸ばしたワイヤーをバツ印と交差させた。
「あー、あなた。危ない、ああぁっ……」
この世の終わりと作業員は声を上ずらせ、その通りと二個のフックブロックも交差した一点を支点に変えて、持て余す勢いのまま互いを追いかけ勢いよく回りだす。その度に二本のワイヤーはよじれると、縛り目を上に、下へと伸ばして一本となっていった。
「捕まえたぁっ」
ように見えて、百々も叫ぶ。まったくもって錯覚なら、気づいて目を瞬かせた。そう、走る縛り目が適当なところで止まってくれるはずもない。よじれによじれて足りなくなると、今やジブとジブを引き寄せながらもフックブロックを回転させている。やがてわずかながらも、しかしながら着実に、きしむ鋼の不穏な音を足元から響かせていた。ままにじわじわ傾き出したのはクレーンだ。足元にあったはずの十三階は百々の視界へせり上がって来る。
「ええっ。うそ。うそうそ、うそっ」
逃れて運転席のドアへ手をかけていた。向かいで運転席から抜け出たお兄さんも、どういうわけだか倒れつつあるクレーン運転席の屋根へよじ登っている。及び腰となりながら屋根の上に立つと、握りしめたフックもろとも空へ向かい手を振り上げた。ならついに、めがけて果てから一機、ヘリコプターは姿を現す。
「きたぁっ」
叫び、上下の歪な運転席で百々は身を乗り出していた。なぶって風はどうっ、と吹き込んでくる。ドアは開くと潜り込んできた腕は、百々の腕を鷲掴みにしてみせた。
「バカ野郎が、早く出ろッ」
ハートだ。
「あれに乗っちゃうっ」
「うだうだいうなッ。さっさと進めッ」
訴える百々を力まかせだ。引きずり出す。半ば連行されるかたちで百々は、跳ね上がるキャットウォークを後戻っていった。さなか振り返った上空で、辿り着いたヘリは激しいダウンウォッシュに身を屈めるお兄さんめがけひと思いと高度を下げている。見逃すことなくお兄さんが、その足、スキー板にそっくりなスキッドへフックを引っ掛けた。見定め高度を取りなおすヘリの間合いは抜群で、もろとも空へ舞い上がればその姿こそ怪盗 SO WHAT をなぞる。
「ああーっ。わざとでしょぉっ」
視界を、不躾にしなる何かは横切った。かかり続けた負荷に切れたクレーンのワイヤーだ。ジブの先端で不気味な風切り音を立てると空を泳いでいる。
勢いにも唐突さにもクレーンから飛び降り百々は、ハートもろとも床に伏せた。その床が揺れたのは、落下したフックブロックが十三階を叩きつけたせいだ。地上から悲鳴は吹き上がり、いっとき辺りは騒然とする。
が、それきりだ。引き寄せらるまま互いの鼻先を突き合わたクレーンはもう、動かなくなっていた。空を泳いでいたワイヤーも力を失いジブからぶら下がって風に吹かれている。
ただ上空で何某の力を借りお兄さんが、ヘリのハッチへ這い上がっていた。
乗せたヘリは黒煙吹き上がるショッピングモール上空を右旋回。堂々、遠ざかってゆく。
「役所仕事の限界だ。まったくどこから手をつければいいっ」
聞えた声は屋上へ辿り着いた渡会のものだ。
「追いかけなきゃっ。早くっ」
指差し百々もハートへわめく。
前にしてもハートこそ、落ち着き払っていた。
「当然だ。もう手は回してある」
証明して次の瞬間、新たなヘリはハートの背からせり上がってくる。先行く一機を追い上げると、乙部機は爆音と共に誰もの頭上を飛び越して行った。
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