第16話

「解除は専門のやつが担当だ。五分もあればカタがつく」

 懐中電灯を握る手をひねった。レフは手首の文字盤へチラリ、目をやる。逸れた光を再び男へ突きつけなおした。

 俳優似の男はそこで映画館で見たのと寸分違わぬ姿勢をとると、どうやら気配に振り返ってかすめたものはハーネスを足場につなぐロープ、ランヤード、その先端にあるフックだったらしい、握り絞め、今もなお繰り出す様子をうかがい右へとにじり足を滑らせている。

「過ぎた。ゲームオーバーだ」

 教えてやるに越したことはない。

「まさか」

 言う男の顔がいっとき伸びた。

「しくじったりするわけないよ。僕も仲間になるんだ」

 やがて潰れて笑みをしたたかと滲ませる。 

「けれどそれまでの間、もう少し派手にアピールするならあんたに怪我を負わせるべきだと思えるな。それで僕がどれだけ本気かってことも伝わる。あんた! 僕に仲間がいるかもってことは想像しなかったの」

「首謀者は誰だ。貴様らの要求は何だッ」

 叩き返せばヘルメットのフチを滑らせ男は視線を左へ流した。正面へ据えなおすが早いか大きくひとつ、うなずく。

「そっか。僕に聞きたいことが盛りだくさんある。とっとと捕まえて僕の情報が欲しい」

 善意とばかり、すくめた肩でこうもつけ足して投げかけた。 

「向こうで誰か呼んでるようだけど?」

 だとして振り返るバカこそいない。レフも違わず繰り返す。

「俺の仲間が駆けつけるまでもう少し成果をあげておくなら、お前に怪我を負わせるべきだろうな。犯罪者がそう生易しい扱いをされると思ったら大間違いだ」

 否や、みる間に強張り青ざめていったのは男の頬だ。反して目の周りだけを赤く充血させてゆく。

「全ての娯楽に粛清を!」

 張り上げた声は風をも制していた。

「与えられた楽しみは楽しむことを義務付けられた労働だ! 世界に真の喜びへの門戸を開く! 我々は犯罪者などではなぁいっ! 我ら偉大な革命の師はその日に備え眼が開き、自らの頭で考える事のできる同志を募った。申し出、その意志が本物である事を示したなら、必ず迎えは僕の元にもやって来る!」

「そのための爆弾騒ぎがこれかッ」

 問いかけるが、男はただ空へ両手を大きく広げていた。

「僕もついに革命の同志だ! 退屈で搾取するだけのエセ娯楽から全てを救う!」

「ふざけるなッ。お前を迎えに来たのは俺だ。お前にはもっと愉快な仲間と話が待っている」

 なら広げた手もそのままに、男はレフへぐっとアゴを引いてみせた。ヘルメットの縁からのぞく目を、なお挑戦的と光らせる。

「合図の狼煙が上がれば目がけて迎えはやってくるよ。残念だけどそういうコト。爆弾の解除は間に合わないって、言ってるだろ」



「……どういう、ことだ」

 だからしてハートは眉を詰めていた。その背後には息の上がった防護服たちが転がり、床にはバラし終えた箱が置かれている。つまり解除は無事完了していた。だが仕込まれた火薬は音がする程度と味気なく、必ず見つかっていたあの玉はどこにもない。

 流れ落ちた汗がまた床にシミを作っていた。

 犯行予告が送りつけられたというのに、これは全くの別件なのか。分解されてあられもない姿を晒す箱へくまなく視線を走らせる。そのたび違う、と訴えかけてくるのは内なる声で、それは勘などという曖昧なものと一線を画していた。この箱はまるで無意味だ。ただハートへ囁き続けた。なぞりハートもこの箱には意味がない。口の中で繰り返す。ならあるべき意味は、あるべき彼らの目的はどこへ消えしまったというのか。

 いや、とそこで思いとどまっていた。そう、犯行予告はあれほど手の込んだ方法で送りつけられたのである。消えるはずなどありはしなかった。犯行の目的は必ずどこかにある。ただ気づいていないだけで、それは必ずどこかで何かを吹き飛ばす。

 瞬間、しまったとハートは目を見開いていた。

 イヤホンからもれるのは百々がレフを見つけたと、たぶんそうだと言う馬鹿でかい声だったが、かまっている場合でこそない。声はそれが本人の意図するところであろうとなかろうと、負けず劣らず大きくなる。

「こいつは囮だ。本物はほかにあるッ」



 屋上で、レフもまたこれでもかとマイクを引き上げていた。ハートのしがみつく箱こそダミーだ。男の余裕に間違いないと確信する。

 刹那、爆発音は轟いた。

 衝撃が、レフの背を押し意図せず前へ一歩、踏み出す。押し止まって振り返れば、ショッピングモール基礎の一角からだった。この風にも負けず高く昇りゆく煙はある。

 光景に釘付けとなったことは否めない。

 待っていたかのように背で男も、ひそませていた回転式の銃を腰回りから引き抜いた。

「動かないでくださいっ」

 静止して、鉄骨の向こうから銃口を掲げたストラヴィンスキーは姿を現わす。

 だとして男の挙動は『20世紀CINEMA』の時と変わらない。警告に二度目はなく、駆け出した男の足を追いかけ銃口は火を吹いた。小気味いい発砲と共に床からコンクリート片が吹き上がる。縮む距離に男はたまらず身を投げた。ハーネス用のワイヤーへ、今にも地上へ転落しそうな姿勢で身を預けると動きを止める。

「風、強すぎますよ」

 詰めていた息を吐いてストラヴィンスキーが、ちらりレフへ合図を送った。

 応じてレフも銃をかざす。

 ゆっくりとだ。互いは男へ歩み寄っていった。とたん引き込まれたかのごとく男の体が滑ってワイヤーから落ちたなら、残る距離を一気に詰める。のぞき込めば一段下の足場だった。窪んだエリアへ向かい走る男の姿はある。急ぎ二人も追うようにその場を走った。だが装備もないなら途切れた床にそれ以上を阻まれる。なら最後の排莢にスライドが開き切るまでだ。絞る引き金でレフは男へ弾丸を放った。

「容疑者を発見しましたっ。似顔絵の男です。機械室エリア最上部、建設途中の鉄骨部分を東に向かって逃走中」

 マイクへストラヴンスキーが急ぎ知らせる。

「奴は仲間が迎えに来ると言っていた」

 教えてレフはカラになったマガジンを落とし、代りに予備を押し込んだ。

「あと容疑者を迎えに仲間が来るとも。至急、東側の手配、周辺の警備強化を願います」

 もろともせずクレーンの足元へ辿り着いた男は、どういうわけだかもう一方の床の島めがけて発砲を始める。そのたびに暗闇で跳弾は、ストロボと瞬いた。瞬いて断片的に、食らう何某の輪郭を浮かび上がらせる。

「誰だ?」

 見定めレフが眉間を詰めた。眼鏡のブリッジを押し上げたストラヴィンスキーも、そのままの恰好でしばし固まる。やがてレフへと言っていた。

「ああ……。あれ、百々さんですね」



「ふんぎゃー」

 避けるもなにも小躍り、大踊りだ。だからしてそのとき百々は飛び来る弾丸に喚き散らしていた。

 何しろハートの声に「オトリ?」と繰り返したとたん目の前で火柱は吹き上がり、破裂音の連続が追い打ちをかけたかと思えばレフとストラヴィンスキーともう一人、あのお兄さんはこちらへ向かい走ってきたのである。おかげで逃げる、というアイディアこそ百々の中から吹き飛んで、フラッシュライトを向けたのが運の尽きとなっていた。見覚えのある火花は周囲で飛び散り、つまり発砲されたのだと理解するまで数秒のタイムラグ。経て、正解と追加されたご褒美の弾丸こそ、現状となる。

「ぎゃー、ぎゃー」

「どうしてお前は、そんなところにいるッ」

 レフの声だ。

「言われる筋合い、なぁいっ!」

 呼んで答えず、呼ばずして怒鳴りつけられるこの不条理はいかに。百々はともかくクレーンの影へと転がり込んだ。転がり込んだからこそ、お兄さんへも忘れず放つ。

「へ、へったくそーっ」

「頭は出すなッ。明かりを消して誰か来るまでじっとしていろ。よほどでなけれれば当たりはしないが、お前なら当たりそうでならない」

 縁起でもないこと言わないでください。

 言い返しかけた時だった。百々への発砲はピタリ、止む。あっけなさに何がどうしたのか。おっかなびっくり、百々はクレーンから顔をのぞかせていった。そこでお兄さんは腰のフックを掛け替えると、運転席へとクレーンのハシゴを登っている。

「そっちのクレーンに登ってるよ、アイツっ」

「もういい。お前の仕事は終わった。下りろ」

 あいだにもハシゴを登り切ったお兄さんは百々と同じ目線へ、運転席のドア前に立っていた。成り行きからして百々が反撃に出ることはない、と見限ったのだろう。実に落ち着き払った手つきでフックを掛け替えると、百々へ堂々頭なんぞを下げてみせる。滑り込ませた手で懐を探ると、筒状のモノを取り出してみせた。迷うことなくへし折ると、高く空へとかざす。ならにわかにその先端から、火花に白煙はこれでもかと吹き出した。

「なに……」

 逃亡者だというのに、だった。目立とうとしている意味がまるで分からない。百々は目を見張り、けぶる景色の向こうでそんな百々へ向けて再び銃口は持ち上げられた。

 気づいたとして、気づいたからこそ動けなくなる。

 睨みつけ銃口は、跳ね上がると時を止めた。

 とたん百々の腰は砕け、まさにへなへな、その場にへたり込んでゆく。

 だが響くはずの銃声こそ聞こえてはこなかった。代わりに模した男の口が「ぱぁん」と大きく開かれるのを見る。閉じてブーッ、と笑い出したなら、タネを明かして拳銃からシリンダーを外してみせた。振られたそこから落ちて来る物は何もない。

 眺めて百々は茫然としていた。

 様子になおさら辛抱たまらんと、お兄さんは身をよじって笑い続ける。

「何をやってる。聞こえているのかッ」

 そんな百々の目に瞬きが戻ったのは、言って急きたてるレフの声が聞こえてからだった。

「聞こえているなら早く離れろ」

 おかげで失せていた血は巡り出すと、手足へ感覚もまた戻り始める。戻して百々の中に確かと固まりゆくものの手ごたえを、みるみる明らかとしていった。ゆっくりとだがフラついてはいない。百々は片足ずつ、立ち上がってゆく。

「……いや、だ」

 レフへ返した。

 そう、からかわれたのである。それも二度にわたって死ぬかと思うほど怖い思いをさせられたうえで、なのだ。だというのに相手は無防備極まりないツラで今、天地がひっくり返るほど笑い転げていた。引き起こした足元の惨事すら気にとめず、これでもかと馬鹿笑いを続けている。前にして逃げ出すなどあり得なかった。いやそれこそ屈辱以外の何ものでもなく、そもそも相手はとことん百々を見くびると、もう丸腰であることすら明かしているのだ。

「バカに、してんじゃないわよ……」

 百々の口から二言目は、こぼれていた。

「発炎筒じゃないですか、アレ」

 聞えたストラヴィンスキーの声に、ああ、これが発炎筒なのか、とも思う。おかげでなるほど、と気づけたのは、逃げるつもりでいるお兄さんが左右を塞がれたここで、こうも派手に発煙筒を焚く意味だろう。

「はぁっ、バカと煙は高い所へ上がりたがるって、そういうコトねっ」

 計画などもうお見通しでしかない。

「冗ぉ談っ、そうはさせるもんですかぁっ」

 握りこぶしで切った啖呵は本気だ。だがいかほどだろうと、その先が続かない。探して百々は鼻息も荒く辺りをまさぐった。とはいえあるモノはといえばそれしかないクレーンで、なぞってアゴを持ち上げてゆく、堂々、貼られた看板だ。そこに描かれた文字へ両目を見開いた。


「きりん一号」


 とたん眼前へ浮かび上がってくる光景は、激しく首を打ち付け合う二頭の獣にほかならない。地平横たわるサバンナで、決死の闘いを繰り広げていた。

 つまり男の乗るそれは「きりん二号」か、はたまた見た目から「フラミンゴ一号」か。どっちだろうと閃いたのだから、かまいはしなかった。

「よぉっく聞きなさいっ」

 ビシリ、百々は男へ指を突き付ける。

「笑ってられるのもそこまでよっ。野生の怒り、しかと思い知らせてやるぅっ!」

 などとそこだけ聞けば意味不明も甚だしいが、本人にはスジが通っているのだから力は入った。

 クレーンめがけ床を蹴る。

 運転席は航空機のコクピットさながら、窪地へせり出す格好でクレーン前方に据えられており、ドアへ導いてエレベータよりシースルー感割り増しのキャットウォークは、運転席側面に取り付けられていた。

 飛び上がるって百々は、そこに靴音を響かせた。

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