第15話

 ゲストエリアの階段には運転士を誘導するハナたちがいた。機械室ではストラヴィンスキーが移動を続けている。つまり地上への抜け道があるとするなら、ハートが持ち場を離れたバックヤードが相当だった。

 建設中の最上階はその完成図があるだけで、現在どうなっているのかは上がってみなければ分からない。ゆえに情報が欲しいところだが小うるさいイヤホンを払い落とした今、ナビゲートこそ頼めはしなかった。いや頼んだところで却下されるに違いなく、レフは端末の図面をまた拡大する。見つけ出した道に従い、迷路のようなビッグアンプル内を屋上へと向かっていった。

 その最後の直線は思いがけず長い。ひと思いと駆け抜ける。打ちっぱなしのコンクリートをくり貫いたような入口、その傍らに身を添わせた。

 明かりは点けない。

 息が整ったところでわずか、中へと視線を投げる。

 車なら八台ほどか。駐車できそうな空間は広がっていた。上層を支えて剥き出しの鉄骨は柱と並び、外壁はその片側だけがまだなく、代わりと張られた落下防止のネットが夜景を透かすと風に震えていた。

 上層へ伸びる階段は、そんな空間の奥にかけられている。数度の反転を繰り返すとかぶる天井の向こうへ消えていた。

 正面へ向きなおる。相手が多量の火薬を使用する輩なら銃もまたその範疇だろう。丸腰だという保証こそなく、手のひらへマガジンを落とす。残弾を確認して押し込みなおすと、引いたスライドで装填を完了させた。

 今度こそ懐中電灯へスイッチを入れる。掲げてレフは、中へと踏み込んでいった。



「向かってますけど、こっちの上、建設途中で上がれないみたいじゃないですか。レフはどこから上がるつもりなんですか?」

 ストラヴィンスキーの口調は珍しくも苛立しげだ。

「悪いけれど運転士を渡会へ申し送るまで離れられないわ」

 ハナこそ重要参考人の誘導中である。

「わからん。だが俺の来た方向へ走っていったぞ」

 体を掴まれたまま返すハートの手元に淀みはない。

「じゃあ、バックヤード側から上がったんだ。ですけどここ、ソッチへ行くには一旦、降りないとどうも繋がってない、んですよね……」

 端末の図面を繰っているのだろう。最後を独り言のように漏らしたストラヴィンスキーの口調が鈍る。つかまえてナビゲートを申し出たのはオペレーターだった。

「これで全員ですね」

 声は、降りて来た運転士らへ確認するハナのものだ。

 耳にしつつ百々もまた、懸命に考えを巡らせる。何しろレフの行動はある意味、正しいと思えていた。だからして一人で向かって行ったことが危険だと、感じてもいる。なにしろ百々はカゴの中、確かと頭上に動く人影を見ていた。

 と、ハナへ答える運転士の声を、辛うじてマイクは拾い上げる。

「いやぁ、もう一人いたんですけど、忘れ物を思い出したからバックヤード側から下りるって上で別れましたよ。もたついていたなら彼が最後です」

 瞬間、通信は、のんだ息にオペレーターのものさえいっとき途切れていた。

「俺は誰も見てないぞッ」

 即座に返すハートが怒鳴る。

 それこそあの人影だ。百々こそ両目へ力を込めていた。否や探してその目で辺りをさぐる。果てに取った行動は、今でも正しいと言い切れた。見つけて駆け寄った防護服の腰周りから、フラッシュライトを毟り取る。

「コレ、借りるねっ」

「あ、ちょ、何を」

「外田さん、あたしが先に上へ行きます。できるだけ早く上がって来てくださいっ」

 マイクへと呼びかけた。しかしながら悠長に、苦手な図面を読んでいる時間こそない。ないなら目の前、百々はエレベータに沿って伸びる階段へと顔を上げた。

「ここから動くなッ」

 察して遮るハートが、剥がし終えた箱のカバーを百々の足元へと投げつける。だとして百々が身をすくめたのは、そのときだけに過ぎなかった。

「どうしてですかっ。そいつが犯人ですっ。だのにレフが一人で行ったのは危ないってことくらい、わたしにだって分かります。だから外田さんが来るまで無茶しないよう待たせてきます。じっとしてる場合じゃないっ」

 とたんレフがイヤホンを払いのけたワケを知る。ストップの指示は百々へも繰り返されていた。煽られ、それこそ間違いを起こしそうになったならイヤホンを、百々も耳から引っこ抜く。

「どこへ行くッ。指示に従えッ」

 駆け出せば背でハートが怒鳴り声を上げていた。振り払って階段の手すりを百々は掴む。

「だってあたし、エレベータで上に誰かがいるの見たんだもんっ」

 ハートへ叩き返すと最初一段へ身を躍らせた。



 二度の反転。

 階段は三度目を繰り返すことなく、その先を夜空に架けていた。時折、足元へ視線を投げるが動くモノは見当たらない。放ってレフは上り詰めたそこからそっと、屋上へ頭をのぞかせた。

 吹きつける風がごう、と唸って聴覚を奪う。ままに三百六十度。敷き詰められた床を地平に変えて見回した。

 高所だからか。資材らしい資材は置かれていない。次の作業のための足場として、やぐらのように組まれた鉄骨だけが床から等間隔を置き突き出していた。あいだに、周囲に、ハーネスを繋ぐワイヤーは張り巡らされると、果てで途切れた床からは組まれたままの鉄骨が空へ向かい突き出している。積み上げたろうクレーンは一基、それらを前に長い腕を立てると強風に吹かれていた。そのさらに向こう側にも似たような床の島はあるらしい。そこにも一基、床に鎮座するクレーンのシルエットは修行僧よろしく見えていた。

 懐中電灯を床へ放り上げる。なるべく姿勢を低く保ちながらレフは、屋上へ身を持ち上げた。つい下の様子が知りたくなりイヤホンを摘み上げるが、浴びせられたばかりの声が脳裏をかすめ諦める。代わりとばかり背後へ振り返った。耳を澄まし目を凝らす。だが強すぎる風のせいで何者かがいるもいないも、気配というものがまったくもって伝わってこない。

 警戒しつつ、懐中電灯の光を頼りに床の端まで足を進めた。

 途切れたそこから谷のようにえぐれた足元へ光を向けてのぞき込む。なぞって持ち上げ、クレーンの運転室もまた確かめた。

 息はそのとき背後から近づいてくる。

 振り返れば鼻先を何かはかすめていた。

 その近さにも勢いにも、レフは咄嗟と身をのけぞらせる。なら前のめりとなった頭の「安全第一」とプリントされた黄色いヘルメットは目に飛び込み、空振りに踏み留まった短いツバはわずか持ち上がって向こうから二つ、目をのぞかせた。

 めがけて殴り返すより先だ。レフは懐中電灯の光を突きつけ返す。銃口もまたそこへ沿わせた。

「作業員は全員退避の指示が出ているハズだぞ。それとも作業員は格好だけかッ」

 眩しさにヘルメットは、慌てふためき後じさってゆく。開ききった瞳孔をかばうと、やがてゆっくりとだ。顔の前から腕を下ろしていった。

 瞬間ある意味、百々は間違っていなかったのだと思い知らされる。あらわとなった顔は確かにあの俳優とよく似ていた。

「思ったより早いな。爆弾、解除しなくていいの?」

 端正な顔立ちで男は、静かにレフへ笑いかける。



 エレベータのカゴ同様、階段室もまた簡素な造りが建設現場そのものだった。おかげで風は縦横無尽に吹きつけると、接近しつつある台風の湿り気もろとも百々をなぶる。だがもう下を見ても怖くなかった。使命感もさることながら、のっぴきならぬ状況に映画譲りの「野生」は百々を奮い立たせる。いや勝手に重ねて本人だけがその気になった。なら「その気」が連れ込むのは根拠のない自信で、果てに火事場のクソ力は失速させることなく百々を最上階までのぼり切らせる。せいや、で途切れた手すりを押しやり百々は、屋上へ飛び上がっていた。

 吹き荒れる風に背を押されて、意思とは無関係に一歩、踏み出す。踏ん張りなおして仁王立ちとなったなら、ひたすら闇へ目を這わせた。

「レフっ」

 思い出し、フラッシュライトの明かりを灯す。だが風鳴りが強過ぎるのか、返事こそ聞こえてこない。見えるものはレールの上に乗った無人のクレーンと、その脇で青いビニールシートをかぶせられた資材だけだった。床はその先で途切れると、鉄骨を剥き出しにして奈落と大きく窪んでいる。

 いないのか。百々はイヤホンを耳へ押し込んだ。

「レフ、どこ? アニー、聞いてる? こちらクッキーモンスター。最上階よ。おなかがすいたのエサちょうだいっ」

 返事を待ってしばし黙る。だが返されてきた声は一層下りてバックヤードエリアへ移り、呼び寄せたエレベータに乗り込んだことを知らせるストラヴィンスキーの声と、解除に成功した爆発物の中にあの弾がないか確認する、と告げるハートの声だけだった。レフの声だけが聞こえてこない。

 まるきり無線を聞いていないのだ。思うほかなくなっていた。それは素人目にもあり得ない行動だと感じられてならなず、それでもいつレフの声が混じるやも知れないと、会話は傍受し続ける。建設途中と窪んだエリアの手前まで、腹で風押し進んでいった。ワイヤーが張られた低い柵越し、目立つはずの長身を探して百々は足元をのぞき込む。

 なるほどストラヴィンスキーがストレートに上がってこられないはずだと思っていた。建設途中の窪みこそストラヴィンスキーのいたマシン室一帯だ。足場にしてそこにはもう一基、クレーンが建てられていた。百々はそんなクレーンの運転室へ、辛うじて光の届くフラッシュライトを向ける。動くものがなかったなら、さらに遠くへと視線を投げた。

 そこには同じような床があった。

 灯もなく霞んで暗い。

 だが確かにそれは百々の目に映っていた。

 懐中電灯の光はそのときチラチラ、と瞬く。

 息を飲んだのも束の間のことだ。向かって百々は声を張り上げていた。

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