第8話
「……は」
こぼすだけが精一杯だろう。そもそもだ。日本でテロが起きているなんて、それこそ百々は聞いた覚えがなかった。しかも相手にした対テロ組織などと、しかも病院の地下にあるなんて、中二設定にもほどがある。
「うそ、ですよね」
冗談にすら受け取れそうもなかった。
だが百合草の表情は変わらない。
「ごもっともです」
言葉がヒヤリ、百々のどこかを鷲掴みとする。
「本テログループに関する情報は、その一切が公表されておりません。理由はテロ対象に由来しています。彼らが攻撃対象としているのは広義にも狭義にも『娯楽』。公にすれば大衆の不安をあおるだけでなく、いつ起きるかもしれないテロを避けて利用者が激減、伴い引き起こされる経済的混乱を避けるためです」
「客商売には、致命傷だねぇ」
嘆く水谷にこそ説得力はあった。
「たとえば北欧での温水プール天井崩落。北米での氷山崩落による水難事故。インドネシアでの吊り橋落下。国内ではテーマパークの高所遊具のトラブルやケーブルカー事故。他にも世界各地で確認された事故、事件は合わせて三十三件。人為的なミスから引き起こされたものと報道されていますが、未然に防ぐ事ができなかった例の一部です。経ても彼らの要求はいまだ不明。現在、把握されているのは全ての娯楽に粛清を、の一文を揚げ、爆発物を使用するという手口と、もう一点」
挙げ連ねながら百合草はデスクの向こうへ戻ってゆき、腰を下ろしたところでちらり、片側のドアへ視線を流す。ならどちらが見はからったのか、ドアは開いてあの赤は姿を現していた。女性は一人、男へ紙を一枚、手渡すと再びドアの向こうへ戻ってゆく。その紙が似顔絵のコピーだと知れたのは百々の位置からでも覚えのある顔が透けて見えたからだった。
「確かに、似ているような気はするが……」
眺めて男は呟き、入れ替わりで今度は廊下側のドアが開く。
「失礼します」
入って来たのは、お兄さんを追いかけ飛び出して行った黒髪の女性だった。
「申し訳ありません、見失いました」
後ろには百々の知らない細身の男性もついている。
「聞いている。監視カメラにもまだ反応はない。見逃したとは言いたくないが、経過時間からしてすでに逃亡したのではないかとみているところだ」
百合草は応じ、似顔絵は男の手から黒髪の女性へ回されていった。受け取りそれが誰なのか尋ねるようでは逃がして当然だろう。女性もしばし描かれた顔を凝視する。
「たく、あれじゃ、シコルスキーの意味がないね」
声はドアを閉めた細身の男性のものだ。
「ここは市街地だ。砂漠のど真ん中とは違う」
返す百合草の一瞥は厳しく、似顔絵へ首をひねった女性に百々は身を乗り出していた。
「え、違いますか?」
なにしろ描かせたのは自分である。
「そうね。あたしが間近で見てないだけかもしれないけれど」
「ちょ、ちょっと貸してください」
半ば奪い取るかっこうで百々もその顔を眺めなおした。背後から、細身の男性も紙面をのぞき込む。
「ああこれね。俳優のオオタジじゃないのか?」
言うものだから、水谷がそこでポン、と手を打ってみせた。
「ああ、そうそう。そう見ればよく描けてる」
なら、とたん百々の全身から吹き出すものがあるとすれば「変」な方の汗だ。いや確かに似ているな、とは感じていたが、しかしそう思って見れば見るほどしっくりくるのだから、そうじゃなかった。
「いや、あれ? って、似てはいたんですけれど。んん? あは、あは、はは……」
笑って済むのか。いや、きっと済まないだろうから全力で笑うことにする。
「わたしだ、手配中の似顔絵は保留だ」
響き渡る室内に、やおら内線へ吹き込む百合草だけが事態を冷静と対処してみせていた。
「かわりに、あくまでも俳優のオオタジに似ているとだけ伝えてやってくれ」
「す、すみません」
と廊下側で、再びドアは勢いよく開く。タンクトップだ。部屋へ飛び込んで来ていた。
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