第7話

 ならゆらり、柿渋デスクに腰掛けた人物が立ち上がる姿は百々の目にも飛び込んで来る。

「ご足労頂き恐縮です」

 年齢なら水谷ほどか。羽織るスーツさえ同じ紺だというのに、漂う雰囲気はまるで違った。百々にさえ一目で感じ取れる緊張感は、ただ者でないことを代弁している。

「ささ、百々君、奥、奥。入って」

 にもかかわらず気後れどころか水谷は、ここでも百々を中へ押し込もうとしていた。

「え、ちょ、支配人っ」

 拒めばかわし、先に入ってゆく。

「このたびはご協力いただき感謝いたします」

 向かって柿渋デスクの人が手を差し出していた。

「いえいえ、わたくしどもにとってはスケジュール通りが一番ですから」

 答えた水谷が迷うことなくその手を握り返してみせる。

 目の当たりとした百々の目が、とたん丸、三角、四角、と形を変えたことは言うまでもない。

「それにしても驚かされました。まさかロビーにおられたなんて。ではもしかして客席にも?」

「申し訳ありません」 

「ああ。じゃあ、どなただったのかな。返金を」

「いえ、テロ対策の経費としてまかなわれますので、どうぞお気遣いなく」

 なと、回り続けた百々の変顔ルーレットはそこで止まる。

「……てっ、てろ?」

「このたびは大変ご迷惑をおかけしました」

 聞こえて百々へ体を向けなおしたのは、柿渋デスクの人で間違いなかった。

「わたくしは特定テロ組織への先制、予防、被害管理を目的としたセクション・カウンターテロリズム、通称CCT、チーフの[百合草敬一|ユリクサケイイチ]と申します」

 口調にはテロップでも入りそうな勢いがある。いやこのさい入れてもらった方が百々にはスムーズに理解できたが、ないなら水谷に棒立ちの体を引かれて柿渋デスクの前へ立たされていた。

「って、コレっ、いったいどういうことなんですかっ」

「いやねそれが、今朝早く爆破予告がウチに届いてね」

 我に返って水谷へと伸び上がれば、教える水谷はあまりにもあっけらかんとしていた。 

「警察へ通報したらこちらさんとお知り合いになったってワケ」

「ばくは、く、ハクハク……ってっ」

 百々の口こそ空を食む勢いが止まらなくなる。

「そぉっ、そんな大変なこと、どうして黙ってたんですかぁっ」

「だって君たち、知っていていつもとおり仕事なんかできないでしょ」

 言われて納得してみる。

「あ、ああ……、確かにそれはちょっと……。じゃ、なくてっ」

 再び身を伸び上げた。

「だったら上映しちゃだめじゃないですかっ。あたし吹き飛ばされかけたんですよっ。爆弾で、今日っ、死ぬっとこ、だったんですよっ」

「その点については、わたしから」

 金切声を上げたところで百合草に遮られる。落ち着き払った口調に百々こそ息をのんでいた。

「当該テログループの犯行予告が送信されたのは、およそ二十時間前。内容は指定するエリア内における劇場の爆破予告というものでした」

「うちのほかに五十芸さんと、駅前の宝MOVIXさんがそのエリアに入っていてね」

 付け加える水谷は神妙な面持ちだ。ゆったりと百合草も柿渋デスクの前へと回り込んでくる。

「ただちに各劇場内の爆発物検知を実施」

「大変だったよ。もう、上を下への大騒ぎ」

「しかし爆発物の発見には至らず、我々は当日の客に紛れて持ち込まれる可能性が高いと判断いたしました」

「だのにだよ、百々君」

 などともう水谷は、自分がここの職員か何かだと勘違いしている様子だ。どうにも黙っておれないらしい。

「やっぱり大手さんは大手さんだねぇ。宝さん、当日の営業をやめるっていいだしたわけ。理由を映写機械の故障にするなんてのは本当に恥ずかしいハナシだよ」

「あぁ、それは……」

 確かに恥ずかしい、と同意しかけて百々はここでも声を張り上げた。

「それが当然なんですってばっ」

「その場合、我々が懸念するのはテロリストが標的を無作別に切り替えることです」

 勢いを百合草に削がれる。

「そうそう。ウチも閉めたら五十芸さんだって閉めるでしょ。的をなくして適当に爆弾なんて仕掛けられちゃあねぇ」

「そうした意味で、今回のご協力には大変感謝しているのです」

「いやぁ、スケジュール通り上映するくらいわけもないことですよ。それにほら、テロに爆弾騒ぎなんてだいたい映画みたいじゃないの。お客様と従業員の安全は必ず確保します、ってこちらもおっしゃるしね。五十芸さんのところにも確認したら向こうの支配人もノリノリになっちゃって。じゃ、お互い営業しちゃおうか、ってことに」

 などと後頭部を掻く水谷の瞳はこれが人生のハイライトと、キラキラ光りを放っている。見せつけられて百々の頬はといえば、小刻みと引きつり続けた。

「ともかくごめんね、百々君」

 繰り返されてようやく言葉の意味を知る。

「ごめんね……じゃぁ」

 絞り出したならたとえ猫パンチだろうと、かまいはしない。

「なぁーいっ!」

 拳を振り回しぽかすか、水谷へ殴りかかる。

「あいた。あ、痛いよ、百々君」

 甘んじて受ける水谷は身に覚えがあるからか。

「落ち着け。本題はこれからだ」

 見かねた男が引き離しにかかった。そうして振ったアゴで見ろ、と百合草を指し示す。

「ふまえて申し上げます」

 などと口を開いた百合草に、いったいこれ以上、何が残されているというのか。恐怖さえ覚えて百々は動きを止めていた。

「本テログループの手口は爆発物による工作を常套とし、これまで存在はそのテロ行為によって確認されるのみ、実行犯の割り出しすら困難な状況でした。つまりあなたが初めての目撃者となっています。ぜひとも捜査へご協力いただきたい。それはご自身の身を守ることにもつながるとご理解して下さってかまいません。本日はこの事をお伝えしたく、おいでいただきました」

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