第2話
きっかけにして増える人足に、詰め込んだ小さなフロアの喧騒は錯覚でもなんでもないだろう。ただ中で発券をこなす橋田の動きに無駄はなく、及ばないならサポートして右、左。反復横跳びで百々も発券補助に、パンフレット販売にと精を出す。
さなかシアターAのモニターで衝撃の結末が映し出されたなら、主人公を吹き飛ばしたフィルムは短いエンドロールを巻き上げていった。
「次回、バッファローをご鑑賞のお客様へご案内いたします。チケットをお手元にご用意のうえ、向かって右、シアターA前へ詰めてお待ち下さい」
誘導を開始する橋田のタイミングは絶妙としか言いようがない。見えない位置で田所の、防音扉を開放するこもった音も聞こえていた。ややもすれば干渉を終えた客らがシアターAから姿を現し、だからポールチェーンは必要なのだ、行き交う人でフロアは埋め尽くされる。それはシアターBの壁際で「あかウサ」グッズを販売する水谷の姿さえ隠してしまうほどだった。
と、シアターから戻って来た田所の姿を視界の端に百々は捉える。否や、合わせた視線は阿吽の呼吸というやつで、百々もまたカウンターを抜け出していた。確認するまでもなくヘッドセットのマイクを弾いた田所など、もう場内アナウンスを始めている。
「えー、大変長らくお待たせいたしました。ただ今よりシアターA、十三時十分の回。バッファロー開場いたします。お手元のチケットをご確認のうえ二列に並んでゆっくり前へお進みください。外出の際は半券の提示をお願いしております。半券を必ずお持ちいだだくよう、ご協力お願いいたします」
百々が傍らについたのは、そんなアナウンスが終わると同時で、いらっしゃいませに笑顔を添えて差し出されるチケットを千切っていった。
結局「バッファロー」を待っていたのは十人余りだ。二人がかりでさばけばあっという間にシアターA前は閑散とし、大盛況な「あかウサ」の客に占領されてゆく。
「ほい、コレ」
見はからい田所の投げたヘッドセットが合図だ。手にそんな風景に背を向け百々はシアターBへ向かった。そのさいショートカットとカウンターの中を通れば田所が嫌ったとおりと橋田から、扉を解放後、支配人とグッズ販売を代わってください、の指示もまた受けてみる。
脳裏に、二重になった防音扉の中へ身を潜り込ませると、タイミングはばっちりといったところか。聞こえていた「あかウサ」エンドロールの音楽は切れ、密封していた空気をかき混ぜる手ごたえこそ醍醐味だ、百々は防音扉を力いっぱい引き開ける。
「本日はご来場、誠にありがとうございました。当館は全席入れ替え制となっております。お忘れ物にご注意の上、お足元にお気をつけてお帰り下さい。ありがとうございました」
ゆっくり灯る明かりの下、夢うつつと動きだした観客の動きは鈍い。だとして次回上映までの時間は限られており、グッズ販売も控えていたなら牧羊犬の素早さで最前列の座席から忘れ物とゴミのチェックを開始する。
最上段へたどり着く頃にはシアター内もすっかりがらんどうだ。最後、始められた短い試写の左右に、非常灯が点いていることを確かめたならショーケースを目指し、百々は身をひるがえした。
「うあ……」
早々、飛び出した通路に伸びるグッズ購入の列におののく。なぞったところ、潰されることなく積み上がげられた空箱の向こうに水谷を見つけた。
「えっと、これとこれ。在庫が切れそうだから持ってこさせますね」
百々が辿り着くと同時の水谷の撤退こそ、とにかく早い。
入れ替われば百々の元へ、追加の箱を抱え橋田もやって来る。
「このまま販売、続けてください」
だろうと思っていたのだから、預かっていたヘッドマイクを渡す手にも淀みはない。
「分かりました。お願いします」
ついでとフロアの様子もまた盗み見ていた。
混雑はもうシアターB周辺におさまると、どうやら「バッファロー」が目当てではなかったらしい。そろそろ予告が流され始めているだろうシアターA前に、黒髪の女性と大柄な男性が残っているのを見つける。傍らを、一段落ついた田所がシアターBへ回り込んでゆく姿はあり、目にしてシアターBへと向かった橋田も、場内アナウンスを始めていた。
案内されてシアターBへ吸い込まれてゆく人の流れは穏やかだ。田所も加わったチケットさばきも順調と、格納し終えたフロアはついに混乱の山場を越える。耳で感じ取りながら、百々もまた短くなったグッズ購入の列を前に、電卓を弾く指へスパートをかけた。
と、そのときコトは起きる。
「バッファロー」本編の上映が始まろうかというシアターAからだった。あの俳優似のお兄さんはどういうわけだかひょい、とフロアへ戻ってきたのである。
まず気づいたのは水谷だった。追いかける目はいわずもがな、シアター内で何かあったのかと言わんばかり、クレームの有無だった。だがお兄さんは何食わぬ顔で、残り数人にまで縮んだ「あかウサ」グッズの最後尾へ並んでみせる。
もうまもなく「あかウサ」の上映も始まるはずだった。
人足の途絶えたフロアはすっかり元通りの静けさを取り戻し、田所へ残りを預けた橋田もカウンターへと戻ってゆく。画質チェックのルーティンをこなし田所も、それきり別れて防音扉の向こうへ身を潜り込ませていった。
そうしてまた一人、会計を終えた客を百々も見送る。入れ替わりで目の前に立ったお兄さんへと顔を上げていた。
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