SO WHAT?! 1st.season
N.river
第1話 case1# SHAKE HANDS
駅から徒歩で十五分。
オフィス街の一角にすり減り窪んだ木戸はあった。
レトロなカフェにも見えていたが、掲げられたプレートにはこう書かれている。
『20世紀CINEMA』
「ほんとにあったよ」
卒論の提出後もねばった就職活動は、奮闘するも空回りの連続だった。そのたび辺りは何度も訪れていたが、記憶になくて目を疑う。
だから触れて、そうっと木戸を押し開けていた。軽さにワケけもなく不意を突かれて及び腰となり、ままの恰好で怪しかろうと中をのぞきこむ。
ワックスを吸い込み過ぎた飴色の床は、そこでしっとり光を放っていた。見回すほどもない空間に人影こそなく、いるとすれば貼り出されたポスターの中だけと独特の緊張感だけが漂っている。乱せば叱られそうなのだから静かに、が鉄則だろう。おっかなびっくり足を踏み出していた。目指すは正面奥。カウンターによって左右に振り分けられた右の通路だ。公民館で見たチラシはそこでイーゼルに貼り付けられると、登場人物は空へ真摯な眼差しを向けていた。
これが気になり観ようと来たのか。
それとも記憶を確かめ来ただけなのか。
辿り着いた前でしばし立ち尽くす。本来なら絶望的と焦るべき身の上ゆながら、そうした場面での人の行動こそ本人にさえ謎めいていて扱い辛い。
傍らで、やがて開いたのは鉄扉だった。カウンターの向こうにマスタード色のブレザーは現れる。
「あ、お待たせして申し訳ありません。ご鑑賞はそちらの作品でよろしいですか?」
果たして二時間後。さんざん泣かされ同じチラシを眺めていた。
良いものは良い。
根拠のいらない感動の破壊力は凄まじく、そのシンプルさに胡麻化しようなく心を揺さぶられ続ける。なら結果オーライ。運んだ足こそ報われようというもので、この圧倒的正義へ万歳三唱さえ唱えかけていた。
そう、「かけた」だけでその実、至ってこそいない。根拠はちょうど今しがた、一人、背後を行き過ぎていったところでもあった。この名作の鑑賞者はなんと、たった二人だったのである。
平日の昼間だからか、それとも終了間近の作品だからか。いやそういう問題ではないはずで、まったくもってどうかしているとしか思えなかった。つまりもう少し宣伝を。と考えるのは大きなお世話だとしても、もっと大きな劇場で上映を、はこれまた甚だ失礼ながら、心の底から叫んでみる。というか、そもそも製作会社は作品を売り出す気があったのか。自分だったら、あーたら、こーたら。純粋だった感動も白熱する試行錯誤にあれよあれよで脱線、混線を極め感動どころではなくしてゆく。
なら目の前へ、光はそのとき差し込んでいた。
神々しくもリンゴンガン。
祝福の鐘さえまといつかせて柔らかに。
導かれて顔を上げ、しばし貼り出されたソレと見つめ合っていた。
「アルバイト募集」のチラシはこれが運命と、そのとき[百々未来|ドドミライ]を迎えて朗らかに笑いかけていたのだった。
しこうしてマスタード色の制服を着こみ百々はカウンターの内側に立つ。ふう、と吐いた息で二台の発券レジ、その傍らに置かれた場内モニターを確認した。
画面の下半分に写る空席はいつものことだから気にしない。大事なのは残る上半分で、アップになったブロンド女優の襟元、「かまわず逃げて」と打ち出された字幕を読む。つまり、とおっつけ目をやった時計で上映終了十分前を確認した。はたまたふう、と息を吐く。
さて、これは働くようになってから知ったことだ。ここ『20世紀CINEMA』はカウンターの右に六十席のシアターAを、左に九十五席のシアターBを持ちつつも、たった十三人で運営する劇場である、ということだった。その営業は終日、映写係を含め四、五人でこなすのが常で、売店、発券、清掃、案内業務が重なる入れ替え時は当然ながら忙しい。だというのに迫る次の入れ替えは、時差五分でのABシアターの同時入れ替えが予定されており、身構えたなら百々は再び息を吐く。
「この主人公、言われたまんまなんだよね」
ついでと小声で話しかけて「そうそう」と、同じく囁くように真横から返される声を聞いていた。
「普通はとか言いつつ、主人公は残ってギリでヒロインを助け出すもんだよな」
先輩アルバイト、[田所俊|タドコロトシ]だ。
「だのに言われた通り逃げ出して、罪悪感に舞い戻ったらドカン、のエンドロールだからホント俺、試写で見た時、感動もがっかりもするヒマなかった。さすが支配人チョイス」
言い残してカウンターを抜け出した田所は、順路を作ってポールチェーンを並べ始める。
ちなみに田所の言う「試写」とは、配送されてきたフィルムに不備がないかを確かめる業務試写のことで、田所は近頃そこへ呼ばれるようになっていた。
目にしたなら百々も「完膚なきまでの敗北 現代のロミオとジュリエット バッファロー」、「バッファロー」とは今まさに終了しようとしているシアターAで上映中の映画タイトルだ、が印字されたパンフレットをカウンターへ積み上げる。
「だよね。こういうの前衛的っていうのかな。ちょっと驚く」
「いやぁ、助けるくだりまで予算もたなかったんじゃね?」
「あは。どちらにせよいかにもウチの上映作、って感じだし」
「なわりに、この動員」
などと、ポールチェーンを並べ終えた田所の視線がちらり、ロビーへ流される。
確かにシアターA前で次の上映を待っているのは五人のみだ。一人はサボタージュに違いない上映途中で帰ってしまいそうなサラリーマンで、もう一人はリュックを背負ったオタク風の中年男性。かと思えば髪型が個性的な人気俳優オオタジ似のお兄さんと、長い黒髪が清楚な女性だった。五人目は通りに面した窓際に立つと、外を眺めたきり動かない大柄な男性である。
と「バッファロー」の主人公が堂々、スクリーンの中で肩を切り返した。もう何度も見ているお馴染みの動作は、残るシーンが衝撃のクライマックスだけであることを教えている。
「でタドコロ、どっちのスクリーン、担当する?」
つまり余談はここまでと、もはやルーティン化したセリフを百々は田所へと投げた。
「俺、グッズ売るの遠慮するわ」
「言うと思った」
「ここは先輩の権限で」
そう、もう片方のシアターBで上映されている長編アニメ映画「ぶっとびあかウサ! 猫耳大作戦」を担当すれば関連するグッズ販売もこなさなければならない段取りになっており、これがまた大人気なうえ電卓頼りの販売が大不評のポジションだったのである。
「はぁい。ならもうバッファロー、吹き飛ぶよ」
「サンキュ」
否や、ヘッドマイクを掴み上げる田所の動きは素早い。切り返した靴先で、あっという間に後ろ姿をシアターAへと消してゆく。入れ替わりだ。見送っていた百々の背から声は投げかけられていた。
「どうです、あかウサ」
紺のスーツ姿で鉄扉を押し開けると、支配人の水谷は事務所から姿を現していた。
「あ、お疲れ様です。はい、もう半分くらい埋まってます。リピーターが多いみたいで」
聞きながら、田所の使っていた発券レジを操作し、座席の埋まり具合を確かめる。ややもすれば百々へ向けた横顔を、砂糖の入ったホットミルクと、じんわりほころばせていった。
「じゃ来週で終わりだけど、もう二週、のばしちゃおうか。グッズも在庫、もちそうだしね」
投げて振り返ったのは、おっつけ事務所から出てきた社員の橋田へ伝えるためだ。
「え、できるんですか」
突然の話に驚く橋田は、五十代と思しき水谷と百々の間くらいの年齢か。唐突な提案に眉を跳ね上げ返している。
「うん。次にフィルム回す予定の[五十芸|イソゲイ]さんなんだけれど、今やっているドキュメンタリーが当たってるって。上映をのばしたいらしいのよ」
これも働くうちに知ったことのひとつだが、『20世紀CINEMA』は特定の配給先を持たないことからオリジナルの編成で興行を行う映画館であり、時に他館と共同でフィルムをレンタル、上映する映画館でもあった。ゆえに互いの都合が合えばこうした変更も稀ではない様子で、今回もまた、ということらしい。
「ああ、山本五十六の」
橋田がこぼす。
「やっぱり五十つながりで何かご縁があるのかな」
ゴロの良さに水谷が笑っていた。
その視線の先で木戸は開く。フロアへと、客が顔をのぞかせていた。
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