第8話

 ルビーは目で追い続けたが、クリスプの姿が見えなくなっていく。


「うへえ、もう見えねえのか。やるなあ」

「……追いかけましょう」

「いえ、あの様子だと私たちだけでは難しいでしょうね。今夜は城門から誰も出さないよう指示を。門から出られないとなれば、魔石で城壁を飛び越えようとするかもしれないので、城壁を見張る兵を増やすべきですね」

「……ルビー様は?」

「城に戻りましょう。ヘックスもミランダも魔石を持っていないのです。そんな状態で、姉と戦わせることなんてできませんもの。兵にももし姉を見つけても、深追いはせず、攻撃してくるなら逃げるよう指示を頼みますね」

「それじゃ、逃げられちまいますよ」

「こちらも魔石を用意したら探索を続けますよ。ヘックスは急いで城へ戻り、魔石を装備次第捜索を始めること、いいですね?」

「姫様がそう言うなら。任せといてください」


 ヘックスは駆け足で城へ向かっていく。ルビーもそれを追うように、愚痴を吐きながら城へ戻ることにした。


「姉には付き合いきれませんね。冒険者のような格好で城を抜け出し、王都からも出て行こうなどと……まったく、非常識にもほどがありますよ」

「……ごもっともです」


 

 自分を追ってきた三人を顧みることなく、クリスプは城の外を目指していた。しかしすでに命令が出ていたらしく、城門の周りには兵が多く配置されているのが、近くの民家の屋根からでも見えた。


「あーもう! こっちもか~!」


 強引に門から出ることをあきらめ、城壁を飛び越えることにし、そのために屈伸を始める。


「親父のやつ、手回しが早いんだから……」


 クリスプの頭に父親の顔が浮かぶ。

 ルビーと同じ色の髪と瞳をした父に、寄宿学校へ通うよう言われたのは三日前のことだった。

 彼女がそれを嫌ったのは、学校が王侯貴族の子供を対象にしていたものだからだ。クリスプは第二王女ではあるが、母が商人の家系だということで、同じ年頃の貴族から下に見られることが多い。

 そのことを知る父が、少しでも馬鹿にされないようにと考えたことだろうが、賛成して学校へ行く気にはならなかった。


 仮にも王女であるため、直接馬鹿にされたことはない。しかし王国の歴史について嫌がらせのように細かく聞かれることや、無茶苦茶な難癖をつけられることは何度もあった。

 彼女自身王族として必要なレベルの教養はあるし、礼儀や公式な場所での立ち振る舞いも知っている。それでも王族ならこれくらいはできるだろうと、遠回しに無理難題を振ってくる人間は何人もいた。

 髪の色についても言われたことがある。

 王族の家系は青や紺、水色といった寒色系の色が大半を占め、今の代で橙色の髪なのはクリスプと彼女の母親だけだ。

 王族としてふさわしくない髪の色をしていると、遠回しに言われたことは一度や二度ではすまなかった。

 それなのに寄宿学校という閉ざされた世界にいたら、今まで以上にひどい目に遭うかもしれない。そんなところに二年もいるくらいなら城を出た方がましだ。彼女はそう考え、それを実行に移した。


「……改めてみると、結構でかい壁ね。超えられないほどじゃないけど」


 そして今、クリスプの前に大きな城壁が見える。見回りの兵が増員されているが、空を見張っている人間は少ない。

 ルビーの指示で空中を警戒する兵も出るだろうが、その前に王都から出てしまえば問題はない。ここを超えれば自由の身だ。脱走したことで城の人間にどう思われるか、そんなことはどうでもよかった。


「せーの」


 小さなかけ声とともに両手につけた魔石に意識を向け、両手を地面に向けると体がゆっくりと浮き始め、やがて彼女の体は飛んだ。

 ただの紙や袋なら風に逆らえず飛ばされ続けるが、クリスプは自分の体を魔石を使って飛ばしている。その体は一直線に城壁へ向かい、城壁の上部に一度着地した。


「なーんにも見えない」


 クリスプは幼い頃、城壁の上からどんな景色が見えるのか興味を持ったことがある。

当時城壁に行きたいと両親に頼んだことがあるが、遊びに行く場所ではないと反対され、クリスプ自身も興味をなくしていった。


「お先真っ暗ね。今の私と同じか」


 城壁から見える景色は真っ暗闇でしかなく、何の面白みもなかったが、昔のことを思い出すきっかけにはなった。


「やめるつもりはないからね。後は降りるだけ、頼むわよ」


 魔石に話しかけてから、城壁を飛び降りて両腕を地面に向け、魔石の力を噴射して少しずつ落下していく。

 ルビーの前で民家の屋根までジャンプときに使った力の応用で、後は地面に着地するだけだがそこで問題が起きた。


「あれ? なーんか高度落ちちゃってるみたいな……」


 ゆっくりと着地するはずが、勝手に高度が落ちていく。


「分かるわよー。さっきルビーたち相手に使ったせいで力が足りなくなったのよねー。練習じゃこのくらいの城壁楽勝だったもんねー。でもねー、もうちょっとなのよ。降りるだけなの。だからねー、ほら、踏ん張って」


 魔石に語りかけるが落下速度の加速が止めらない。


「このままじゃね、浮く力がなくなっちゃうのよねー。民家三つくらいじゃ足りない高さがあるの。今力がなくなったら私、地面に落っこっちゃう。きっと死んじゃうわ。だからね……」


 緩やかな降下は終わり、高所から落ちた石がそうなるように、一気にクリスプの体が落下する。


「待ってえーーー!」


 このままでは地面に激突するが、このまま黙っている彼女ではなかった。落下しながらも、体の前面を地面に向け右手を突き出すし、残った力のすべてを右手の腕輪に集中させる。


「これなら、どう!」

 

腕輪から音とともに光が浮かび、地面から落下しても問題ない高さで体が一瞬だけ停止する。後は着地するだけだが体勢を整える余裕はなかった。


「ぶべえ! げへ! ぬ、沼あ?」


 クリスプは奇声と悲鳴の入り混じった声を上げる。早朝から降り続いた雨の影響で、泥水の水たまりになった地面に体が埋まりかけたからだ。


「うわー、死ぬかと思った」


 泥まみれになりながらも沼から脱出し、顔を手で吹きながら辺りを見回すが、ルビーや衛兵の姿は見えない。


「よし! ルビーも兵士もいない! 脱出成功!」


 一種の神々しさを感じさせるほど眩しい笑顔だった。


「重要なのはこれからどうするかだけど……そうだ、フォートレスにでも行こうかな~」

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