第6話
大陸の東半分を領土としているコボル王国の歴史は古い。建国王と呼ばれた初代の王が国を治めてから百年以上たち、現国王は七代目に当たる。
王の住む城がある王都は城壁に囲まれ絶えず人通りがあり、石造りの大きな通りともなれば、昼夜問わずどこかの店が扉を開けている。
しかし今日は朝から強い雨が降り続き、夜になり雨がやんでも人通りがないため、休業している店も少なくない。
そんな通りを一人の少女が歩いている。
女性が一人で夜出歩くのはこの町でも珍しいが、その子を気にとめることはあっても声をかけようとする人間は一人もいなかった。
全身を覆う黒いローブをまとい、顔は口も覆えるローブのフードで隠し、橙色の瞳以外は何も見えない。そんな姿で通りを駆け足で進む様子は、自分は関わらない方がいい人間だと主張しているようだったからだ。
そんな少女が派手さはないが品のいいカフェへ入ると、黒いエプロンを着けた人の良さそうな目つきの男性が出迎えた。
「いらっしゃい。一人かい?」
「ええ。お店の人よね? 注文しても?」
「構わないよ」
「じゃあ温かいミルクをひとつ、砂糖たっぷりのやつね」
紺色の髪と瞳をした穏やかな口調の男性に対し、明るくはきはきとした口調で注文を終えた少女は、木製のカウンター席に座り、フードを脱いで周りを見ると自分以外客がいないことに気づいた。
「誰もいないのね」
「朝から大雨だからね。今日みたいな日はこんなものだよ。はい、お待たせ」
「わぁ」
白いカップかテーブルに置かれた少女は、軽く歓声を上げながらフードを取ると、橙色のくせっ毛をポニーテールでまとめた笑顔の少女が露わになった。
「これこれ、これが飲みたかったのよね~。ここのお店ってミルクにも手を抜かないから好きよ」
少女はコップに口をつけると、一気に飲み干そうとする。
「熱っ!」
しかし予想より熱かったので、あきらめるしかなかった。
「こういうのは少しずつ飲むものだよ」
「そうね、そうするわ」
店主である男性は、少女が一息ついたタイミングで話しかけることにした。
「ウチに来たことがあるみたいだね」
「小さい頃に一回だけあるわ。そのとき飲んだ味が忘れられなくてね~。これから町を出るの。だからもう一度飲んでおこうって思ったわけ」
「へえ。ここだけの話、実はうちのミルクはお姫様も飲んだことがあるんだ」
「お姫様ってこの国の王女様のこと?」
「そうだよ。世間勉強のためってことでウチの店に来たことがあってね。美味しそうに飲んでいたよ。十年前のことだね」
「へ~……」
「周りには護衛もいてね、あのときは緊張したよ」
少女が話をしながらミルクを堪能していると、テーブルに置かれたランタンの明かりが消えた。
「明かりが消えたみたいだね。少し待ってて。替えを用意しよう」
男性はテーブルの下から明かりになるものを持ち出そうとする。
「あ、いいものあるわよ」
少女が右腕を男性に向けて突き出すと、銀色の腕輪が見えた。そしてその腕輪の周辺にリング状の光が見え、明かりのように周囲を照らす。
「これならよく見えるでしょ」
「……驚いた。その腕輪は魔石だね。そんな風に光るのは初めて見るよ」
「おじさん魔石に詳しいの?」
「そりゃあ、こういう店をやっていれば見たことはあるし、不思議な力を持った道具だってことは知ってるよ。この店の明かりだって魔石だしね」
「魔法を誰にでも使えるようにした道具って言ってよ。魔法のことは知ってるのよね?」
「使う人は見たことはないけどね。元々魔法ってのは術士だけが使える技術だったんだろう?」
「私のはこういうことができるわ」
少女は残り少ないミルクを飲み干すと、右手でカップの底を持ち、店主の前でそれを頭一つ分浮かせた。
「物を浮かせることができるのが君の魔石かい? 重い物を運ぶときに便利そうだね」
「この光る輪っかは自分や他人を吹き飛ばせるの。それに明かりにも使えるわ」
「便利だね」
少女は得意げな顔で椅子から立ち上がる。
「でしょ。ごちそうさま。お金はこれでいいわよね?」
支払いを終えた少女は出て行き、店にいるのは男性だけになった。
男性はこの店の店主で働いて二十年になる。そんな店主の頭に、十年前自分の店のミルクを美味しく飲んでいた王女が浮かぶ。
コボル王国の第二王女で名前はクリスプ、聞いた話では勝ち気な性格で、母親が違う同い年の第三王女がいる。
国王もクリスプ王女の前では、娘に振り回される父親でしかないという噂は、王都に住む人間なら一度は聞いたことがあるものだ。
「……髪の色は同じだったな」
クリスプ王女は母親譲りの橙色の髪で、先ほど少女も同じ髪の色をしていた。瞳の色も同じ橙色だった。生誕祭から計算すれば、王女は今年で十五になる。少女も同じくらいの年と思われる外見をしていた。
「……まさかね」
男性は先ほどの少女がクリスプ王女ではないかと想像したが、すぐにその考えを打ち消そうとする。一国の王女が護衛や付き人もなしに、一人で行動するとは思えなかったからだ。
「……魔石を持っていたな」
男性は酒のボトルを並べた棚の上にある小さな魔石を手に取った。それは四面体の青い宝石のような形をした魔石で、お守り代わりに飾っているものだ。
「今でも使えるか?」
男性が魔石に力を発現するよう意識を向けると、魔石はランタンと同じくらい眩しい光を放つ。
「久しぶりでもできるもんだな」
この魔石は昔買ったもので、光ることしかできない。
当時光るだけの魔石がお守りとして人気があり、男性もお守りとして買っていた。
元々明かりに使えるので冒険者の人気があるものだが、そうでない人間にもアクセサリーの延長のようなものとして好かれていた。
しかし少女の魔石は光るだけでなく、物体を浮かすことが出来た。そんなものが売っているという話は聞いたことがない。
騎士には見えなかったし、あの年で一人で冒険者をやっているとも思えない。何か事情あるのかもしれないと考えていたが、店に新しい客が現れる。
男性の意識はそちらに向かい、先ほどの少女は過去の存在となった。
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