第5話
エイダが大きな鞄を馬車に載せて一息つき、体を大きく伸ばしていると後ろから足音が聞こえる。振り向くと見習いを卒業した細工師の少女がいた。
「……よっ。もう行くんだってね」
「はいー。先延ばしにすると決心が鈍りそうでー」
家族の死から一年が経った頃に、エイダは村を出ることにした。
工房の人間は貴重な人材であるエイダのこと惜しんだが、家族のことを思い出して辛いと話すと強く反対することはなくなった。
「そっか。フォートレスってとこだっけ?」
「タスクさんに工房を紹介してもらいましてー。あそこならやっていけそうだなってー」
「……ダートって人に連絡できればよかったね」
「仕方ないですよー」
「あっさりしてんね。結構気に入ってたのに」
「あの人、村から出てもっと大きな工房で働かないかってよく言ってましてー。私のことを利用する気だったけど、話に乗らないから来なくなったんじゃないかって、最近はそう思ってるんですよー。工房で働くことができたのはあの人のおかげなので、感謝はしてるんですけどねー」
「そっか、そうかもしれないね」
「本当のことは分かりませんけどねー」
少女は周囲を見渡した。フォートレスという街へはタスクという冒険者も同行するという話だったのにそのタスクがいないからだ。
「あのタスクって人、何してんの?」
「買い物してくるって言ってましたー」
「……私さ、あの人と話したことあんだよね。迷惑かけたってだけなんだけど。母さんが酒癖悪いのは知ってるよね。家でもひどくてさ、酒場で酔い潰れてる連中から金盗んでこいなんて言うんだよ。嫌がるとナイフ渡されて、これで脅してこいって家を追い出された。無茶苦茶だよね。仕方ないから家を出て、酔いつぶれるまで時間潰そうとしたんだよ。そしたらあのタスクって人に会ったんだ。会ったって言っても前を歩いていただけなんだけどね」
少女は大きく息を吐いた。
「……続き、気になる?」
「なりますねー」
「そんときの私は頭がまともじゃなかったんだよ。あの人の後姿を見たとき、後ろから刺して金目のものを盗めばいいんじゃないかって思っちゃったんだ。魔が差したってああいうことを言うんだろうね」
「……それで、どうしたんですかー?」
「私の気配に気づいたみたいで、思いっきり見られた。私の手にナイフがあるのを気づいてね、危ないからしまっとけって言うんだよ。落ち着けって感じに手を出してなだめるような仕草をしてね。自分が狙われてるなんて全然思ってなさそうだった。注意してくれただけなんだけど、そのときの私は馬鹿にされたみたいに感じて、脅してやろうってナイフを向けたんだ。そしたらタスクって人の手に当たってね、結構切れたんだよ」
「怖いですねー」
「うん、怖かった。なのにだから言っただろって言うだけで、傷もすぐに塞がったんだ。傷口を塞ぐ魔石を持ってるんだろうね。それも良質なやつ」
少女の話はここで終わる。
「それからどうなったんですかー?」
「どうもしないよ。この話は私が逃げるみたいに走ってお終い。次に会ったのは……母さんがあんたを襲った日だよ。この話、聞きたい?」
「……聞きたいですねー」
「あんたが工房を出た後、追いかけようか考えてたんだ。でも私一人でどうにかできるとは思わなかったし、あんたに母さんのことを話すこともできなかった。そしたらあの人を見かけてたから、捕まえて全部話したよ。自分にナイフを向けたかと思えば逃げるようなやつが、そんな話すんだから向こうも驚いただろうね。こっちが必死だったのもあるだろうけど、それでもちゃんと話を聞いてくれた。あの人いい人だよ。だからきっと、あんたのことも助けてくれると思う」
「……そうですねー。あっ、タスクさんです」
「え? どこ?」
「あそこですよ」
エイダの指先にタスクが見えるが、その姿は小さく二人からは距離がある。
「さっきの話、あの人には聞かれたくないから私もう行くよ。元気でね」
「はいー。そちらこそお元気でー」
少女はエイダから離れると、タスクとは別の方向へ歩いていった。
「お別れはもういいのか?」
「はいー。行きましょうー」
二人を乗せた馬車が街道を進むなか、エイダはずっと故郷の村のことを考えていた。
目立った産業もなく、大きな街と街の間にあるような宿場町でもない小さな村だったが、それでも彼女にとっては大切な場所だった。
あの小さく古い家も取り壊されることがすでに決まっている。もしあの村に戻ったとしてもエイダの家族が暮らした家はもうない。それ以前にエイダには墓参りで戻る気はあっても、村に住み続ける気にはなれなかった。
工房をやめるときに使った、家族のことを思い出して辛いというのは本音だ。ダートが本当はどう思っていたのかも気になったが、フォートレスという街の工房を紹介されたときは、ダートを待つことより村を出ることを優先した。
それでもあの村にいることもあの家に帰ることも、もうないのだと考えると自然と涙が出た。
「……タスクさんは、どの辺りの出身ですかー?」
「俺は行商人の子供だから、どこが出身ってのはないな。悲しいのか?」
「……悲しいと言えば悲しいんですが、後悔してるわけじゃないので安心してくださいー」
「……落ち込むなって言われても無理だろうが、フォートレスで仕事に追われりゃ少しは楽になるって。俺だって行商で住み慣れてきた場所を離れるときは寂しいって思ったけどな、新しい街で毎日暮らしてたらそんな気分もすぐに紛れた。俺が単純なだけかもしれないけどな。とにかく何か不安なことがあったら言ってくれ。俺も協力する」
「タスクさんって親切ですねー」
「お人よしって言われる」
「あー、言われちゃいますかー」
「気にしないから泣いても叫んでもいいぞってのは……流石に無神経か?」
「そうですねー。でも気持ちは伝わりますよー」
「そりゃよかった。俺は外を見てるよ」
タスクが馬車の端に移る。気を使われているのは今のエイダでも理解できた。
「分かりましたー」
エイダは軽く返事をしてから膝を抱え、目を瞑って遠くなる故郷を思い返す。
新しい環境に慣れてしまえば今の感情も消えてしまう。それなら今のうち精一杯悲しんでおこうと決めた。
もういない両親と弟、壊される家、姿を見せなくなったダート、あの村で起きた様々な出来事を胸に抱え、彼女は一人馬車の奥で泣き続けた。
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