第2話
石に魔術を込める技術が発見されて五十年がたった。それは質を問わなければ、ただの小石にさえ魔術を込めることができるものだ。
その技術は大陸中へ普及し、魔術を込めた石は魔石と呼ばれるようになり、魔石を使えば誰もが魔術を使うことができた。
その魔石の産出地である小さな村に、質素なワンピースを着たエイダという少女がいる。年は十六になったばかりで長い紫色の髪と瞳が特徴で、魔石を装飾品として加工する工房の側である人物がくつのを待っていた。
「すまん。待たせたようだ」
日が沈みかけた時間に冒険者の衣装を着た、二十そこそこに見える男性がエイダの前に現れる。
「いえいえ、気にしてませんよー。忙しかったんですよね?」
「ああ、遠出をする必要があった。約束の時間までには間に合うと思っていたが、俺の予想が甘かった」
銀色の短髪をなびかせて、髪と同じ色の瞳がエイダをまっすぐに見つめてくる。
彼女は文句の一つくらい言おうかとも考えたが、男が真っ先に謝ったので、遅れたことをどうこう言うのはやめることにした。
「冒険者って大変ですねー。これ、頼まれていた魔石ですよー」
魔石の入った革袋を渡すと男は中身を確認する。目当てのものが揃っていたようで満足げな顔を浮かべた。
「いつも助かる」
「いえいえー。このくらい簡単ですよー」
「代金を払ってくる。少し待っていてくれ」
男が工房の中に消え、しばらくしてから戻ってきた。
「今日も助かった」
「これからも任せてくださいねー」
「そうだな。それであの話だが……」
男がそう切り出すとエイダの顔から笑顔が消え、男を見つめていた瞳も曇り、彼女は夕焼け空を見上げる。
「あー……そうですねー……」
「駄目なのか」
「……その、父や弟のこともありますしー……」
「二人のことなら心配しなくていい」
「……でも、他の町に行く気にはなれませんのでー……」
「お前には良質な魔石になる石を見抜く才能がある。誰でもできることじゃない。王都のような大きな街ほどお前の才能は評価される。この村の工房とは比較にならない額の給金をもらうこともできるだろう。決して悪い話じゃない。家族と一緒に移住することだって……」
「そんなこと言わないでくださいよー。父が外を出歩くのことも難しいのは知ってますよねー?」
「誰かに金を支払って面倒を見させることもできるじゃないか」
「……そんなお金ありませんよー」
「俺が建て替えたっていい」
「ダートさんにそんなこと頼めませんってばー」
「……そうか。つまらない話をしたな」
ダートという男は残念そうな声を出すと、袋を自分の鞄にしまった。
「また来る。いつもの宿に泊まるから何かあったら連絡してくれ」
「はい。お待ちしてますねー」
エイダに見送られながらダートは工房から離れていく。それを見送るエイダの顔は笑顔であったが、どこか寂しそうでもあった。
「……ああ、いつもの人を待ってたんだ? もう帰っちゃうなんて、結構冷たいね」
エイダと同年代の少女が工房から顔を出す。魔石を装飾品へ加工する細工師の見習いで、エイダの顔見知りだ。
「忙しいんですよー」
「あの男のために魔石揃えてんのに冷たいね」
「……言われてみればそうですねー」
少女は今日、細工師の師匠に説教されていた。それを見ていたエイダは機嫌が悪いのだろうと考え、相手を刺激しないことを優先する。
「まあ、あんたは家族の世話をしないといけないし、あの男にばっか構ってらんないか」
「お疲れみたいですねー。早く帰って休んだほうがいいですよー」
「まだやらなきゃいけないことがあってね。あんたと違って人より早く上がれるわけじゃないから大変だよ」
失敗したとエイダは思った。
エイダの母は十年前、エイダの弟を生んですぐに亡くなっている。家は裕福といえず、夫婦共働きで何とか生活していけるレベルの家庭だった。
妻を亡くして以降、エイダの父は子供二人のために懸命に働き、エイダが十五になるまで無事に育てることができたが、彼自身が体を壊してしまう。
一日の半分をベッドで過ごさなければならない父の分も働こう。
エイダはそう決心するが、家族三人が満足に暮らしていける収入を得る仕事は見つけられなかった。
悩みに悩んだ結果、自分を売ることさえ考えたエイダだったが、彼女に手を差し伸べる人物が現れる。それがダートだ。
彼に良質な魔石になる石を見分ける能力を見出されてから、エイダの生活は大きく変わった。
魔石の工房に職場を移したエイダは、工房に運ばれた石の中から質のいいものを選ぶ仕事を与えられ、周囲の期待を超える成果を出した。
魔石に向く石の種類というものは存在せず、あらゆる石の中から魔法を込めやすいものを選別する必要があるが、エイダはそれをいとも簡単にやってのけた。
エイダ自身自分にそんな才能があるとは知らず、環境の変化に戸惑いもしたが、家族を助けられる自分の能力を生かすことに決めた。
「ま、私も仕事したら帰るよ。あんたは親の世話しなきゃいけないんだからさっさと帰りな」
他の人にはない特別な能力があることは素晴らしいが、身近な人間がそれに肯定的な感情を持てるとは限らない。
エイダは工房で魔石の目利きの他に受付や接客も担当しているが、それを含めても給金は同世代より多く、この町の十代で一番稼いでいる。
そのうえ父がろくに働けない父子家庭で、弟の世話もしないといけないからという理由で、他の人間より早く帰ることも許されていた。
エイダもそれがただの善意ではなく、自分を手放したくない工房の打算が含まれていることを知っている。しかし拒否する理由はなくそのまま受け入れていた。
そんな環境に嫉妬や羨望の視線を向ける人間がいないとは思えない。寂しげに歩く少女の姿を見ながらそう思った。
「帰りますかねー」
だからといって家族のために働くことで精一杯なエイダにできることは何もなく、帰り道を歩いて本格的に暗くなる前に家に着き、扉を開けると弟が駆け寄ってくる。
「おせーよ姉ちゃん。またダートに会ってたのか?」
「そうよー」
「うわ~、もう隠さねえんだな。つまんねえの」
「隠すことなんてないからねー」
弟と話をしながら古びた家を奥へと進むと、ベッドから上半身だけ起こした男性がエイダを迎える。
「おかえり」
「ただいまー。体はどうー? 少しは楽になれたー?」
「ああ、少しはね。エイダもその話し方をする必要はないよ。ここには家族しかいないからね」
エイダの語尾を伸ばす話し方は生まれつきのものではない。必要以上に同情の目で見られることを嫌い、自分は平気だとアピールするために始めた。
語尾を伸ばして呑気そうにふるまえば、そういうことも減るだろうという考えで始めたことだが、今ではそれが癖になっている。
「なんか癖になっちゃっててねー。食べられるならゴハンにしよー」
「その前に少しいいかい?」
「何よー、お父さんだって村を出ろっていうのー?」
もっと大きな街で働かないか。
そんな風に声をかけてきた人間はダートだけではない。善意で話を持ち掛ける人間もいれば、エイダを利用して一儲けしようと企らむ人間もいた。
「そんなつもりじゃないが、この辺りだって空き家が多い。先のことを考えるなら……」
「お父さんはどうするのー?」
「……一人でも生きていけるさ」
「お父さんが働けるようになったら考えるよー。それよりゴハンにしよ、おなか減っちゃったー」
彼女はその話にうんざりしていたし、家族が話題にすることすら嫌だった。
今の収入でも家族三人暮らしていけるし、弟もいずれ働けるようになる。なのになぜ地元を離れなければならないのかというのがエイダの本音だからだ。
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