まだ、間に合ううちに。

石田灯葉

まだ、間に合ううちに。

 思えば、人生の節目ふしめには、いつもこんな風に、母と街を歩いているように思う。


 記憶にある中で一番古いのは、中学校に入る前の春休みだ。

 初めての制服を作るために、生まれて初めての『採寸さいすん』というものをしに母親とデパートにおもむいた。


 高校に入る前の春には、新しい制服に変わるのは勿論もちろんだが、遠方えんぽうへの電車通学になるにあたって、通学定期券を買いに大きな駅まで行ったり、その定期券を入れる定期入れを選びに行ったりした。


 大学生になる前の春休みには、高校の友人や、まがりなりにいた恋人(大学入学後すぐに別れることになったけど)なんかと連れ立って、それなりに自分で色々なものを用意したように思うが、塾講師のアルバイトをするために必要だったスーツを作る時には、やはり母親と街に出かけた。


 社会人になる前には、初めての一人暮らしにあたって、色々な部屋の内見ないけんに付き合ってもらった。部屋が決まったら家具を揃えるために、地元の島忠しまちゅうから新宿の大塚家具おおつかかぐまで色々な家具屋を巡ったし、それに給与振込用の銀行口座をつくったり、実印を登録したり、と、数日間、結構忙しく行動を共にしたような気がする。


 節目節目の、主に春休みと呼ばれる時期に、僕は毎度こうして母親と一緒にいろんな街に色々な準備をしに回っていたのだ。


 そして今回も、たまたまだけど桜の季節で、そして間違いなく、人生の大きな節目である。


 だから、母親と街を歩いている、それだけのことだ、と思えた。



 空は澄み切ったように晴れていて、春一番の突風が吹いている。



 このままどこかに飛ばされてしまいそうだ、ともはや冗談にもならない冗談を思いつく。







 社会人4年目の年度末。





 僕は、母と共に、自分の葬儀場そうぎじょうを下見するために街を歩いていた。


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 気が付いたら、実家の自分のベッドの上にいた。





 一週間の睡眠時間の合計が10時間、という労働状態を3週間ほど続けたあたりのこと。


 僕は、朝焼けの差し込む会社で作りあげたプレゼン資料と、それを投影するためのノートパソコンではち切れそうな革のカバンを持って、得意先の最寄駅もよりえきへと降り立った。


 改札を出て左側にある階段を降りるとすぐそこに取引先がある。


 改札を出たところまではなんとか記憶があるのだが、そこからとんと覚えていない。



 次に目を開けた時には、実家の自分の部屋だったのだ。


 壁には、高校生の時に好きだったバンドのポスターがいびつな角度で貼ってある。



 なんだか寝ぼけたような頭の中、


『最近忙しくてしばらく実家に帰れてなかったから、久しぶりに帰ってこられてよかった』


 なんてことを、ぼんやりと思っていた。



 東向きの窓から日が差し込んでいる。今は、朝、10時くらいだろうか。



 とりあえず開きっぱなしになったドアから部屋を出て昔からしていたようにリビングに向かう。



 すると、息子の気配を察知したのか、ソファで朝食を食べている母がガタっとこちらを振り返って目を丸くした。



「あれ、いつ帰って来たの? 昨日の夜中? 気づかなかった」


「いや、僕も、いつどうやって帰ってきたのかよくわからない……。なんか仕事が佳境かきょうだった気がするんだけど……」



 頭をかきながら首をかしげる。



「何それ、寝ぼけてるの? もう、帰ってくるならちゃんと連絡してよ。準備とかあるんだから」



 文句を言いながら、母はなんだか、すごく嬉しそうにしている。



「コーヒー飲む? あれ、今日平日だけど仕事は休み取れたの?」


「さあ……」


「さあって、あんた」



 呆れたように笑って、母がキッチンへ向かおうとソファから立ち上がる。




 その時。





 固定電話が剣呑けんのんな音を鳴らした。



 

 ちょうど立ち上がった母が受話器を取る。


 僕は入れ替わりでソファに座りながら、いつまで経っても寝ぼけのぬぐえない混乱した頭から、なんとか記憶を呼び起こそうとこころみる。


 んー、どうやって帰ってきたんだっけな……。




 電話をかけてきたのは父親だろうか。


 父親は仕事でしょっちゅう海外出張に出かけている。今もジャカルタだかバンコクだかに行っているはずだ。国際電話をかける時は固定電話にかける方が安いんだ、というようなことを言っていた気がする。


 そんなことを思い出せるくらいに頭は回っているのに、自分が帰ってきた理由と帰ってきた経路と方法がまったく思い出せない。



「いえ、うちの子は今家におります。詐欺さぎですか?」



 母がそう口にした。


 どうやら、電話の相手は父ではないようだ。


「お金はいらない? はあ……。病院ですか? いえ、信じたくないとかではなくて……」


 あきれた顔をしたり、受話器を持っていない方の手でこめかみをおさえたり、母は混乱しているようだ。


 いまどき、オレオレ詐欺かよ……。しかも、母親の様子を見ると、ずいぶんとややこしい手口を使うグループらしい。お金がいらない詐欺ってなんなんだろう。



「どうしたの? 僕が出ようか?」



 まあ、どんな手口であろうと、僕本人の声を聴かせれば、さすがに詐欺師も電話を切るだろう。


 そう話しかけながら手を差し出すと、母もアイコンタクトで応じ、


「じゃあ、今隣にいる息子とかわりますね。本当におりますので」


 と言って僕に受話器を手渡そうとし、僕は受け取ろうとする。



 が、その時。





 受話器は僕の手をすり抜けてカーペットの床の方へと落ちて行った。





 受話器についたぐるぐる巻きのコードが重力と戦いながら伸び縮みする少しコミカルな情景の中、僕と母の時間だけが完全に停止してしまった。




 今、何が起こった?




 どのくらいの間、唖然あぜんとしていただろうか。


 おそらく数十秒か、もしくは数分たって我に返った母が、宙ぶらりになった受話器を震える手でなんとか拾い上げて耳にあてた。




「……はい、病院ですね。すぐに、伺います」



 母は、電話を切るとゆっくり数回深呼吸をする。



「落ち着いて聞いてね。いや、落ち着くのはわたしか……」




 そして、母は、まったく意味のわからないことを僕に向かって告げた。




りゅう。あんた今、救急車で病院に運ばれたって」




* * *


 わけは分からないままだったが、とりあえず急いで支度したくをして都内の病院へと向かった。


 病院は埼玉の実家から電車で1時間くらいのところにある。



 その道中どうちゅうで僕は、自分がどうやら幽霊になったということを認識した。


 なぜか着ているスウェットから着替えようにも服をさわれすらしなかったし、駅では改札を素通りすることができたし、電車では僕が座っているひざの上に、知らないおじさんが何の気なしに座ろうとした。(とりあえず、慌ててどいた。)


 このスウェットは自分に定着しているらしいことと、ソファやイス、床などにだけはしっかりと触れられるということに説明がつかず、かえって不気味ぶきみだ。



 そして、なぜか母にだけは僕が見えているようで、母はその事実を淡々と、段々と、受け入れ始めているようだった。



『何があっても、取り乱さないようにしないと』


 母親がスマホに打ち込んだ文字を、僕は読み取って、そっとうなずく。



* * *



 病院の最寄駅からタクシーで少し走って現地に到着すると、受付の人に挨拶をされて、中に入る。



 そこで改めて、僕も事実を受け入れることになる。




 青白い顔をした僕が、ベッドに無表情で横たわっていたのだ。





「龍さんは、本日10時33分に息を引き取られました。御愁傷様ごしゅうしょうさまです」



 


 原因は、寝不足で意識を失った際の階段からの転落。


 打ち所が悪く、ほぼ即死だったとのことだった。


『朝一のプレゼンは誰かが代わりにやってくれたんだろうか?』


 それが、真っ先に頭に浮かんだことだった。






 そのあと、話は冒頭に戻る。


 葬儀までの流れを案内されて、葬儀場はどこにするか、と聞かれたので、


「一度見に行かせてください」


 と、母は言った。


「いえ、しかし、お母様、そのようなお時間は……」


「一度、見に行かせてください」


 病院の方がやんわりと反対するのを聞かず、毅然きぜんとした態度で母は言い切った。


 僕としては、葬儀場に特にこだわりも希望もないが、多分、これが最後になるから、僕は母の言葉にしたがうことにした。




 各所への連絡を済ませた後(父親は海外からとんで帰って来るとのことだった)、僕らは案内された葬儀場に向かった。


 そこは、僕の一人暮らしをしている家からほど近いところにある葬儀場だった。


 最寄の駅から長くて急な坂道を上って葬儀場へと向かう。


 一人暮らしの家に内見に来た時や引越しの時、同じ坂道を上ったことを思い出す。


『毎日帰り道はこれを登ることになるけど、大丈夫?』


 坂道の脇には一本すごく大きな桜が咲いている。あの時も、今もそうだ。


『この桜が見られるなら、全然大丈夫だよ』


 桜は季節に一回しか見られないけど、最期にこんなに綺麗な桜が見られたのなら、やっぱりここにしてよかったな、と、いまさら、暢気のんきに思った。


 結局、電車で帰れる日なんて数えるほどしかなく、いつもタクシーで帰っていたから、この坂道を上ることもそんなに無かったし。



 葬儀場に到着する。


 門の前に立つと小声で、


「どう?」


 と聞かれた。


 よく知っているところだし、特にこだわりはないので、もちろん問題なかった。


 問題はなかったのだけど。


『うん』


 と、言葉にした瞬間にもう、引き返せなくなってしまいそうで。


 言葉のかたまりを喉の奥に詰まらせたまま、しばらく僕は黙っていた。



 その間、母は、何も言わず、じっと待ってくれている。



 長い長い5分間の後、ようやくうなずいた僕を見て、母は葬儀場に連絡を入れてくれた。


 その時に、なんとなく、悟った。



 多分、葬儀が終わったら、僕は、いなくなるのだろう。

 




 不思議でイレギュラーな葬儀場の下見を終えた僕らは、各所への手続きの連絡を入れた後、遺品整理も兼ねて、僕の一人暮らしの部屋に向かった。


 部屋に入ると、一昨日おとといに家を出た時と同じ光景だった。



 わがままを言って買ってもらった大画面すぎる黒いテレビ。


 おばあちゃんの家にあったのをそのまま持ってきた茶色いコタツ机。


 二度と起きられなくなりそうでほとんど閉めなかった深緑色の遮光しゃこうカーテン。


 朝という絶望を知らせる赤い時計。


 家にいないから、何ヶ月経ってもいっぱいにならない青色のゴミ箱。


 自分へのご褒美ほうびとして買い込んで、食べないまま冷凍庫に入れたままの大量のハーゲンダッツ。


 水切り棚には一ヶ月以上前に洗ったままとっくに乾いているのに置きっ放しの銀色のお皿。




 ……へえ、こんな色、していたんだな。


 僕は、本当に、全部がくすんだ灰色なんだと思っていた。


 母が部屋を整理している間、知らないうちについていた壁のシミを見ながら、ここに越してきてから昨日までの4年間のことを思い出していた。




 自分の命をかえりみず、死にそうになりながら働くことを美徳とした会社だった。


 徹夜明け、未明に栄養補給のためだけに食べた牛丼やコンビニ弁当を消化しきれず、毎朝トイレに行って嘔吐おうとした。


 そのことを上司に話したら、


「吐いている暇があったら仕事を出来るようになろうと思わないの? だからお前はクズなんだよ」


 と、ののしられた。



 毎朝、たった1時間の睡眠から覚めるとき、何回もこの部屋で『もう、死ぬんじゃないか』と、うめいた。



『人生は、なんでこんなにも苦しいんだ』と喚いていた。



 自殺したかったわけでも、死にたかったわけでもない。



 痛いのも嫌だし、息が苦しいのも嫌だ。嫌に決まってる。



 でも。


 ただただ、『死んだ方が早い』と何度も思った。


 会社を辞める手続きを取るより、その過程でまたあいつらに軟弱者なんじゃくもの呼ばわりされるより、『死ぬのが一番早く楽になれる』と、そう思った。


 そんな、とりとめもなく、とるにたらない毎日の思いが、言葉にも出来ずに次々と腐敗ふはいして死にゆく中で、僕はいつの間にか、指先と口と心が分離ぶんりして動く『優秀な大人』へと進化していったのだろう。


 祖父母そふぼの形見の品がぶっ壊れても何も思わない、大事な彼女が精神科に入院しても何も思わない、大丈夫なやつにならないと。



 そうじゃないと、大丈夫でなんかいられなかった。


 助けて、と口に出すことはかなわず、自分を責める以外に、落とし所を持たず。


 まともな思考なんて、とっくのとうに潰れた脳細胞と一緒に死んでいった。



 今日なんか無くなれと何度願っただろう。


 明日なんか無くなれと何度願っただろう。



 朝も昼も夜も朝も昼も夜も朝も昼も夜も朝も昼も夜も朝も昼も夜も朝も昼も夜も朝も昼も夜も朝も昼も夜も朝も。


 境目さかいめはどんどん、どんどん、と、なくなっていく。




 そんな日々の思いでぐちゃぐちゃに汚れたこの部屋は、母の目には、どううつっているのだろうか。






「全部片付けるのは、無理だな」






 母の声で我に返った。


 部屋の整理はある程度終わったらしい。


 気づけば夜になっていた。


「ここら辺、美味しいお店ある? 何か食べたい?」


 それが、最期の晩餐ばんさんになる。


 生きていた時に考えていた「最期に食べたいもの」は、かの有名な高級フレンチで振舞われる何万円もするフルコースだったけど、なんでだろう。




「お母さんの作ったカレーが食べたい」


 そう、僕は答えていた。





 埼玉の実家まで帰ると、母親がカレーの準備を始めた。


 その間、何にもさわれない僕は手伝うことも出来ず、自分の部屋で母親が開いてくれたいくつかの昔のアルバムなんかを見ていた。


 小学校、中学校、いろいろな思い出が蘇る。


 きっと思い出せてないことも沢山あるのだろう。


 1分に1回くらい、母が僕の部屋を覗きに来た。


「大丈夫、まだ消えてないよ」


 そういうと、黙って頷いてまたキッチンに戻っていくのだった。


 アルバムの中に、僕の記憶にない赤ちゃんの頃のせた写真を見つけた。


 笑顔の写真。

 泣いている写真。

 何かカラフルなおもちゃを掴んでいる写真。

 初めてつかまり立ちした時の写真。

 家族でキャンプに行った時の写真。

 姉と二人でピースしている写真。

 父のお腹の上に寝そべっている写真……。


 床に座ってこちらを向いて笑っている写真の下には、


『りゅうくん、自分で座れた! えらい!』


 と若い女性の字で書かれていた。



 今は、なんで生きているのかと叱責しっせきされているような生活だっていうのに、この頃の僕は、自分で座れただけで写真まで撮ってめられてる。


 そう思うと、可笑おかしかったのかなんなのか。はは、と笑いながらちょっと涙が出た。


 1時間くらい経って、


「カレー、出来たよ」


 と母が呼びに来た。



 リビングに向かって、いつもの席に座る。


「いただきます」


 一人分のスプーンと皿が当たる音が鳴る。


 僕は物理的に食べることは出来なかったけど、実際に目の前にすると、匂いと見た目だけで、脳内で味を再現するのは難しいことじゃなかった。


 料理って、美味しいとか、美味しくないとか、そういうことじゃないんだな、と今更思った。


 胸が苦しくなって、


「ごちそうさま」


 と、今までのどの『ごちそうさま』よりも長く目を閉じて、手を合わせた。


「いつも、ありがとう」





 お皿を片付けて、なんてことない雑談をしていたら、もうすぐ12時を回ろうか、という時間になった。


 母も疲れてきたみたいで、少し眠たそうにしている。


 多分。


 明日になったら、僕はいなくなるだろう。


 最後に、言わないといけない。伝えないといけない。


 えりを正して、僕は母に向き直る。



「お母さん、ごめん」


 そう切り出したら、案外、言葉はするすると後に続いていった。


「僕は、一番親不孝なことをしちゃった。死ぬつもりなんて本当になかったんだけど、ちょっと間違えちゃったみたい。本当にごめん。苦しい思いをさせちゃって、本当にごめん」



 親よりも先に死んだ子供は無条件に地獄へ落ちるという。


 そりゃそうだよな、と、今こんなおかしい状況に立たされて、妙な納得感があった。



「……照れ臭くてずっと言えなかったことを、話すね」


 

 だって、これが、最期なのだから。



「ねえ、お母さん」



 僕は、大切な言葉を伝えるのに、声が震えてしまわないよう、ふう、と涙の気配をため息で外に逃す。


 よし。



「僕は、お父さんとお母さんの子で良かった。この家に生まれて来られて本当に良かった。僕を生んでくれてありがとう。何も出来ない、何の役にも立たない、情けない僕を愛してくれてありがとう。大切にしてくれてありがとう。いくら感謝してもしきれません。ありがとう」



 気合いを入れたはずなのに、次第に瞳は潤んでいき、もう、何も見えなくなってしまった。



 曖昧な視界の中、母の声だけが聞こえてきた。



「龍は、馬鹿だよ。本当に、本当に馬鹿」



 母の声は、存外に冷静に、だけど、どこか暖かく響く。



「死ぬくらいだったら、逃げ出して欲しかった。何もかも投げ打って、帰ってきて欲しかった。どんなにカッコ悪くても、ダサくても、弱くても、そんなのはどうでもよかったのに。どんなになってでも、あなたを守ったのに」



 ごめん、ごめん。



 言葉に出来ない思いに頭を下げると、自分の目から、ぬるいしずくがポタポタと落ちていくのを膝の上できつく握った手の甲に感じた。




「こんなことになるくらいだったら、あんないいところの会社に就職なんかさせるんじゃなかった。大学で勉強なんかさせるんじゃなかった。高校にもいかせなきゃよかった。中学も、小学校も学年最下位になるように育てればよかった。九九の歌のテープなんか買って来るんじゃなかった」



 やがて、気丈にしていた母の声もうるみ、かすれ、ちぎれそうになっていく。


 

 小さく咳をして、



「……今までやったことが全部今日につながっているんだと思ったら、すみっこからすみっこまで後悔が止まらないよ」



 息をするのも苦しそうに、言い放つ。



「ごめん、お母さん……」



 ぐしゃぐしゃになった声で言った僕の言葉を、



「でもね」



 と、そう、母の声がさえぎった。



 母は、震える声で、だけど、きっとはっきりと、続ける。






「それでも、あなたを産んだことだけは、ほんのこれっぽっちも、後悔のしようがないのよ」





 僕は。


 たまらなくなって、息を呑む。


 



「あなたを産んでよかった。それだけは、何を持ってもかえがたい幸せだったから。あなたが生まれてきてくれてよかった。それだけで、わたしたちはここまで生きてきた意味があった。本当に私たちのところに産まれた子があなたでよかったと心の底から思ってる。一点の後悔もなく、本当にそう思ってる」



 ぼやけた視界では見えなかったけど。


 母は、きっと僕の手に、その手のひらを重ねて、こう言ったのだ。

 






「龍、生まれてきてくれて、ありがとう」







 そこから先は二人分の嗚咽おえつで、言葉にならなくなってしまった。


 感情が決壊する。もうこらえることなんか、絶対に出来ない。


 しばらく泣いて、僕は、いつの間にか、泣き疲れて眠ってしまった。


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 朝。


 涙まみれのまぶたで目が覚めた。


 朦朧もうろうとした意識がゆっくりと覚醒かくせいしていく。


 知らない天井。


 ここは......病院?


 少し顔を反らすと、そこには母と、父と、医者とおぼしき白衣の男性がいた。


「龍、大丈夫か?」


 そう、僕のひたいに手を触れて・・・、父が言った。


「目を覚ましましたね」


 と、医者が言った。


「良かった、本当に良かった……」


 気づくと、母は僕の手をしっかりと握って・・・いた。


 その母の強すぎる握力と、僕の手のひらにこぼれ落ちた涙の温もりを、僕は、痛いほどに感じていた。



「ははっ……」


 僕は笑ってしまう。


 こんなこと、本当にあるのか。


 こんな一言を僕は言うことを許されてもいいのだろうか。




 そう思いながら、物語を締めくくるのには最悪で、最低で、これ以上なくどうしようもない言葉を、ぐしゃぐしゃの笑顔で呟いたのだった。














「夢で良かったあ……」

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まだ、間に合ううちに。 石田灯葉 @corkuroki

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