第06話 二度目の目覚め

 腹の上で重いなにかが、もぞもぞと動く感触で意識が覚醒する。

 そいつをどかそうと手を動かすと、寝ていた場所が柔らかく、体に布がかけられている事に気付く。

 ……どうやら俺はベッドに寝かされていたようだ。

 掛けられていた毛布を剥ぐと中にはコマが入っており、乗っていた毛布を足元にどけると寒かったのか毛布を追いかけ中に潜り込んだ。

 辺りをを見渡すと、石材でできた壁に木材の支柱。外からの日差しが眩しい室内にいる事が一目で分かる。

 パッと見た感想としてはとても質素な部屋で、今座っているベッドの他に一対の椅子とテーブルがある6畳程の小さな部屋だった。

 テーブルの上に折りたたまれているローブを見るに、俺はここに運び込まれたらしい。

 ひとまずここが何処なのか確認する為に部屋を出ようとベッドから降りると、その音に反応してかワンテンポ遅れてから入口のドアがノックされる。


「お目覚めでしょうか」


 ドアの外から聞こえた声に驚いた俺は飛び上がり、足を滑らせてベッドへと逆戻りした。

 ゆっくりとドアから入ってきたのは、艶やかな黒髪を大きな三つ編みにしている女性だった。

 緑のエプロンにロングスカートのこの女性は何処か見覚えがあった。……そうだ、昨日一番奥のカウンターで接客していた受付嬢だ。

 見た目は二十台後半程だろう。昨日見た受付嬢の中でも最年長なのは一目瞭然だったのだが、近くで見ると全く衰えを感じさせない気品あふれる落ち着いた美人という印象を受けた。一言で言うならば、仕事のできる大人の女性という感じだろうか。


「私はこのギルドの経理を担当しておりますラビアと申します。昨日は私の妹、ルナーラが大変失礼致しました。この通り、深くお詫び申し上げます」


 ラビアさんは腰を九十度に折り曲げ、深々とお辞儀をしてきた。

 起き抜けにいきなり謝られ、状況が呑み込めなくてポカンとしていると、ベッドの隅にいたコマが近寄ってきてちょいちょいと鼻先で突いてくる。

 気付くとラビアさんはずっと頭を下げたままだったので、慌てて俺も頭を下げる。

 頭をお互いに下げて数秒。部屋の外からとたとたと慌ただしい足音がして、いきなりバンッと入口の扉が開く。


「おはようございます、昨日は本当にすみませんでした! 朝食を作ってきたのでこれで許してください‼」


 昨日接客してくれた黄色いエプロンの子は部屋に入ってくるなり頭を軽くさげ、部屋の外から次々に料理を運んでくる。

 メニューはパンに山盛りの芋や菜っ葉、根菜などの蒸された野菜、そして肉と肉と肉。香ばしい肉の匂いが起き抜けの胃を刺激し……うっ、胸焼けしそう。

 ラビアさんはこめかみに指を当て、心底呆れた様子で入ってきた少女に注意する。


「ルナーラ、貴方が怪我をさせてしまったのですからちゃんと謝りなさい。それとパンと野菜以外は全部下げるように」


「えっ、お姉ちゃんマジで言ってる? お肉食べたら元気になるのに……あっ、お客様。昨日は本当にごめんなさいです!」


 ルナーラは深々と頭を下げ謝罪の意を示した。

 俺は手を横に振り、気にしていないとジェスチャーする。

 するとすぐに頭を上げ、「大丈夫でしたか? それならよかったです!」と元気な笑顔を見せ、持ってきた肉料理の大半を手際よくさげた。


「お心遣いありがとうございます。早速ですが、お体に問題はありませんか? 何かございましたら、遠慮なくおっしゃってください」


 体に不調……特にないが、強いて言えば喉が痛い。恐らく昨日炎を吐きすぎたせいなのだろう。

 この人の事を信じていいのかはまだ分からないが、もしかすればこの人なら喉の刻印について何か分かるかもしれない。俺は喉を指さし、ここがおかしいと伝える。


「申し訳ございません。結果からお伝えしますと、私ではその症状については治すすべを持ち合わせておりません。失礼ながら気絶時に治療魔術を掛けさせていただいたのですが、効果がございませんでした」


 そうか……やはり治せなかったか。あの神が付けたものだし、簡単に取れるとは思っていなかったが、こう事実を突きつけられると辛いものがある。

 治療魔法がどんなものなのか分からないが、今できうる限りの治療をしてくれたのだろう。となると喉の治療はしばらく諦めた方が良いのかもしれない。

 そんな気落ちしている俺をよそに、ルナーラはベッドの足元の方でコマに蒸し野菜を与えている。

 ここで、匂いで活発に動き出したお腹がぎゅーと鳴りだす。そういえば眠っていたため忘れていたが、昨日から何も口にしていないんだよなぁ。


「……ギルドからお伺いしたいことはまだあるのですが、ひとまず朝食にいたしましょう」


 ラビアさんは一礼すると「食後のお飲物を準備してまいります」と部屋から退出した。

 ルナーラは「食べないんですか?」と蒸された緑色のニンジンのような根菜を手渡してくる。……それはコマの食べかけなのだが。

 ひとまず手渡された野菜をコマに向かって放り投げ、近くのテーブルに置かれたパンを一切れ頂く。

 一口齧ると、歯に刺さるほどの硬いパンだったが、むしり取るようにして口の中に入れた。

 かみしめるごとに小麦のような香りが鼻を抜け、穀物が持つ甘みが口の中にジワリと広がる。

 バターやマーガリンのような物は無かったが、備え付けの野菜にほんのりと塩気が乗っていたのでそれだけで十分なほどに美味かった。

 俺とコマ、それとなんでか途中からルナーラも最後まで下げなかった肉野菜炒めを片手に食事に加わり、パンと野菜の山を腹いっぱいに詰め込んだ。


 この世界に来て初めての満腹を堪能していると「失礼します」との一言と共に陶器製のポッドと茶器を持って部屋に入ってきた。

 その手には書類のような複雑な文章がぎっちりと書かれた紙束があり、これから何か複雑で面倒な事をする事を予期させる。


「貴方様は見たことの無い服装をしておられる事から、はるか遠方よりいらした旅人とお見受けしております。職をお探しであれば、いかがでしょうか? 当ギルド『スズリの止まり木』への加入を我々としてはお勧めしたいのですが……」


 予感は正しく、渡された書類には『ギルド』というものへの加入手続きのような文章が記されていた。

 内容をじっくりと見てみると、ギルドとは協同組合のような物に近く、この世界の物流を管理、物資の売買などを街単位で行っており、その際出る不都合な出来事を依頼として街の住人や旅人などに紹介しているという。

 それで、何故入会手続きなどが必要になるのかというと、旅人がギルドから依頼を受けるにはギルドへ加入が必須となっているからだ。

 ギルドは身元がはっきりしている者に安心して依頼を斡旋する事が出来る。旅人はギルドで路銀を稼ぎ、尚且つ入会していれば食事や消耗品の割引のサービスまであるという。

 つまり、昨日俺はギルドに入会しなければ依頼を受ける事は出来なかったというわけだ。


 ここでコマと遊んでいるルナーラに目を向ける。

 ルナーラは視線に気づいたのか、こちらを見るなり愛想良く笑顔を見せたが、意図に気付いたのか、徐々に目をそらし、コマと睨めっこしだした。

 依頼を受けられない一般人に仕事を斡旋していたのか……この子は。

 ルナーラの失態はさておき、ギルドへの加入は必須だと思っている。

 このギルドという組織がどれだけ信頼のおける組織なのかはまだ分からないが、街のど真ん中にこれだけ大きな建物を構えているからにはある程度大きな、それなりに実績のある組織なのは保証されているだろう。

 騙されている可能性もなくはないが……ひとまずは生活するための金を稼ぐ目処を立てるのが先決だろう。


 しかし、書きたいのは山々なのだが、住所や氏名、その他諸々の個人情報を書かなくてはならないのに、俺にはそれを書くことが出来なかった。

 筆を渡され記入を求められたが、俺はそれに応えられず筆をそっと返した。


「……そうですか。ではせめてお名前のご記入だけでもお願いできますでしょうか? 貴方様に慰謝料をお支払いする際に書類などの手続きで必要となりますので、何卒ご協力をお願い致します」


 慰謝料と言われても……俺には名前が無い。紙に『名前はありません。慰謝料も遠慮します』と書いてそっと目を伏せた。


「名前が無いとは、いったい……貴方は何者なのですか」


 書き方が良くなかったのだろう。不信感を持たれたのか、ラビアさんの目つきが一気に鋭くなりこちらを警戒し始めた。

 だが、そんな姉をよそに、コマを抱っこしていたルナーラが声を上げた。


「えっ……もしかして名前が思い出せないんですか? 私、お客様の記憶を奪っちゃった……⁉」


「記憶が無い……そうなのですか?」


 ここでまさかルナーラが救いの手を伸ばしてくれるとはっ!

 俺は首を縦に何度も振り、記憶を失っている事を伝える。


「そうですか……喋る事が出来ない上に記憶まで失っているとは……」


 ラビアさんは口に手を当て黙り込んでしまう。

 一方ルナーラは慌てた様子で俺の頭に手をかざし、


「大丈夫ですか⁉ 今すぐ治療魔法かけますから‼」


 次の瞬間、ルナーラの手がほのかな緑色に光ったかと思えば視界が急にぐらつき、熱に浮かされた時のような体のだるさとめまい、吐き気に襲われた。

 声を上げる事も出来ず、数秒経ったところでルナーラが俺の頭から手を離す。

 すると先ほどのだるさや吐き気などが一気に消え失せ、何事もなかったかのようにスッと気分が晴れた。

 これが治療魔法か……思っていたものと随分違った……。


「……どうです? 何か思い出しましたか?」


 ルナーラの問いかけに、俺は何か思い出したことは無いかと自問自答し、首を横に振った。


「そうですか……ってお姉ちゃん! これって始末書書かなきゃダメですか⁉」


「……ええ、そうですね。後で提出をお願いします」


 そんな~‼ と声を上げるルナーラをよそ眼に、ラビアさんは用紙の後ろにパパっと何かを書き上げていく。

 そして、新たに提示された条件は……生活支援?


「妹のルナーラが重ね重ね申し訳ございません。貴方様の大切な記憶と名前を奪ってしまうとは……取り返しのつかない事をしてしまいました」


 いや、ルナーラのせいで記憶喪失になったのではないから謝られても……。

 俺は気にしていないとジェスチャーをすると、


「それでも、私達ギルドは貴方に与えた損害を賠償する義務がございます。これは国との取り決めですので、この内容でどうかご納得いただければ」


 ラビアさん遠慮する俺に食い下がって書類を半ば強引に押し付ける。

 仕方が無いので内容をよく確認すると、ギルドが契約外で何かしらの負傷を負わせてしまった場合、お金による損害賠償あるいは治療が完了するまでギルドで最低限の生活を保障すると書かれていた。

 なるほど、俺はこの保証が適応されるって訳か。


「こちらの書類に拇印をお願いします。『名前』はとても大切な物ですので、貴方様が思い出す、もしくは隣町の神殿にて名前を授けていただくまでは拇印にて書類を作成させていただきます」


 今の俺には生活する能力はないと言っていいだろう。少なくともこの世界の常識を付けるまでは。そうしなければ昨日のように野盗に襲われかねない。

 俺は迷うことなくインクの入っている瓶に指を突っ込み、紙にしっかりと自分の指を押し付けた。


「有難うございます。これにて契約は成立。貴方様の記憶が戻るまでは当ギルドにて生活を支援させて頂きます。具体的な内容としてはこの部屋を貴方様の住居として提供させて頂く形となります。又、仕事も比較的簡単なものを優先的に斡旋させていただきます。ギルドからの支援は以上となりますが、ご理解の程お願い致します」


 衣食住のうちの住のみが保証されているのか……いや、働かざる者食うべからず。体が動くうちは自分で稼いで食べるべきだ。

 ひとまず住まうべき場所を図らずとも確保できたことに安堵していると、ラビアさんはぺこりと頭を下げ、部屋を退出しようとしたまさにその時。

 振り返らずに背を向けたままスッと立ち止まり、


「もし仮に、貴方様の記憶喪失が嘘、もしくは貴方様がギルドに害がある存在と判断された場合、私はこのギルドを守らなくてはなりません。その喉からは少なくとも人ならざる者の力を感じます。くれぐれも『それ』の発動は控えるようお願い申し上げます」


 一切ぶれのない抑制された声音。それが俺の背筋を撫で、ゾッとさせた。

 その一言を告げたラビアさんはそのまま部屋の外に出て行ってしまい、俺とルナーラと撫でられているコマだけが部屋に静かに取り残された。

 若干重い空気の中、ルナーラはスッと立ち上がった。


「お姉ちゃんはああ言っていましたけど、あなたは悪い人じゃないって私は思っています! 何かありましたら、お姉ちゃん達ばかりじゃなくて、私の事も頼ってくださいね? 今度こそお役に立ちますから!」


 ルナーラはコマを抱きかかえたまま笑顔で一礼すると、スタスタと早足に部屋を出て行ってしまった。

 ……コマは持って行かないで⁉

 すると扉の奥から「痛った~‼」という声が聞こえてきて、ドアの外からぴょこぴょことコマが跳ねて来て俺の膝に潜り込んできた。

 俺の元に帰ってきてくれたことにじんわりと熱くなったところで、コマをいったんベッドの上に降ろす。この後やらなくてはならない事があるからだ。

 

 再度部屋を見渡すと、今座っているベッド、椅子が一脚にテーブルが一つ。以上。

 本当に何もないのだ。これではちょっと生活はできない。

 依頼を受ける以上昨日のように薬草などを取りに行く必要がある。となれば、まず目立たないこの世界の衣装に着替える必要がある。

 それと水を飲むために水筒、食料、この世界の衣服、etc……。

 ギルドの人に聞いて近くの雑貨屋か何かを教えてもらおう。

 それに、この服を早く何とかしたい。ジーンズとシャツとスニーカーではいくらローブを被ろうとも目立ってしまう。

 今持っているお金は銀が2に鉄が8枚。これがどのような相場なのか知るためにもまずは街の散策から入らないと。

 近くに掛けてあったローブを被り、部屋を後にする。

 そんな俺の後ろをコマは一生懸命についてきていたので、甘えん坊を抱きかかえながら連れて行くことにした。

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