第05話 街へ

 朝日に照らされ、獣道のような低い草が踏み潰されて出来たであろう道をゆっくり歩く。

 生前? に履いていたスニーカーのおかげでまめやタコなどの怪我はしていないが、この世界に来てから不眠不休で移動し続けた疲れを足全体で主張してくる。

 季節的には初夏なのだろうか。朝にもかかわらず別段寒くは無く、周りの木々は若葉色の葉を生やし、遠くを小鳥達が悠々自適に飛んでいる。

 道中コマが持ってきたあの果実を探したのだが、付近の木は果実を付けておらず、何処から持ってきたのか分からなかったが、あれだけ美味しい果実ならば既に収穫されたり獣に食い荒らされたりもしているのかもしれない。……朝食に食べたかったなぁ。

 小腹は空いていても食料らしき食料が見つからない。これは街に入ってから朝食を食べる事になりそうだ。


 ……あっ。今更だが気づいてしまった。

 俺は『お金』を持っていない。

 いやそもそもこの世界に貨幣の概念があるのかは分からないが、人が生活している以上少なくとも物々交換くらいはあるだろう。


 ここで唐突な持ち物チェック。

 今の手持ちは……俺の腕の中で眠るうさぎのような羽の生えた生き物コマ、以上。

 いや、いくら何でも命を助けてもらったし売るなんてそんな事――うん、出来ない。

 では着ている物は売れないだろうか? 今着ているのはシャツにジーンズ、それとスニーカー、後野盗から剥いできたローブ。

 質屋的な場所があれば換金できないことは無いだろうが、相場というものを知らない俺は、葱を背負ってきたカモでしかない気がする。

 

 よし、まだこの世界の事をよく分かっていないのだ。深く考えるのは止めにしよう。

 考える暇があるなら手を動かす。俺は辺りになにか目立つ物はないか探してみる。

 しかし、木に実は付いておらず、動物は辺り一面何処にもおらず、川から離れてしまった為魚もおらず、という手ぶらの状況のまま街道へと出てしまった。


 何かないのかと草むらを探し回っていると、腕の中から「ぷぷっ」とコマが鼻を鳴らす音が聞こえる。どうやらコマがお目覚めのようだ。

 コマは目が開き次第俺の腕から飛び降り、近くの草むらへと跳ねて行った。どうやら朝食タイムのようだ。

 俺も歩き疲れたので硬い地面に腰を下ろす。

 コマは幸せそうに口をもしょもしょと動かしながら草を食んでいる。

 あぁ、考えないようにしていたのに嫌でも空腹の事を考えてしまう。

 時間にして数分、コマが草を食べている様子をじーっと眺めていると、ふとこんな考えが頭をよぎる。

 俺も草食べられないかな、と。


 思い立ったが吉日という言葉もある。街道沿いとはいえ食べられる草の一つや二つくらいあるだろう。

 すぐさま立ち上がり、コマのいる草むらへとダッシュ。

 コマが今食べている草は……硬くて人間が食べるのには向いてなさそうだ。

 何か柔らかい草は……これなんてどうだろうか。

 三つ葉の茎と葉がそれぞれ大きくなったかのような見た目の草は、手で持った感じは柔らかく食べられなくはなさそうだ。

 それでは早速実食を! と草にかぶりついた瞬間、俺のテンションは下がりに下がった。

 まっずっっつ‼

 齧ってまず口の中に広がったのが薬草の匂い、それも鼻が曲がりそうになる程の強烈な。

 苦味で思わずえずいてしまいそうになり、しかし吐き出そうにも粘り気があり、口の中に張り付いて中々外に出てくれなかった。

 

 はぁ……ひどい目に合った。

 人には食べられるものとそうでないものがある事を、身をもって体験した。

 不幸中の幸いとして食べたことによって体に痺れが出たり、幻聴が聞こえたり、なんてことはなかった。

 だが、遅効性の毒だったりすると不味いので、ひとまずサンプルとして同じ草を5本程摘んでいこう。なんの毒にあたったかを口で説明できないのでこうした方が早い。

 苦虫を嚙み潰したような顔をしていると、コマが傍で不思議そうにこちらを見つめていた。まるで、どうしてそんな美味しくない草を食べているの? とでも言いたげな様子である。

 俺はコマの毛をわしゃわしゃと撫でまわしたのち街道へと歩みを進めた。

 

 結局その草以外何の収穫もなく、俺は低いテンションのまま昨日見つけた門の場所へと帰ってきた。

 途中コマが何度も座り込み抱っこを要求してきたので腕が痺れている。早く休める場所を探したい……。

 門は昨日と同じく、二人の男性が守っていた。門は開けっ放しになっているが、気づかれずに入る事は不可能だろう。

 昨日は暗がりでよく見えなかったが、守衛は帯剣して武装していた。不審者と判断されれば切られかねないだろう。


 どう入ろうか悩んでいると、街の方から外に大きな弓と矢筒を背負って出てくる人がいた。

 その人は守衛に会釈をし、そのまま横を通り過ぎてこちらへと歩いてきて、俺の横を通り過ぎるときにも同じく会釈をしてそのまま街道をスタスタと歩いて行ってしまった。

 コミュニケーションの仕方は前の世界通りで良いのだろうか? ひとまず同じように行動すれば街へと入れるだろう。

 自身が付いた俺は、ローブに付いているフードを深く被り顔を視認されないようにして門へと歩く。

 だが、守衛とすれ違うまであと2mと言うところで「待て!」と止められる。

 素直に従い、その場に立ち止まると守衛の一人が近づいてきてこちらをジロジロと観察しだした。


「そのローブ……お前この辺りで悪さしている盗賊か⁉ 動くんじゃないぞっ‼」


 守衛は勢いよく俺の腕をつかんだかと思えば素早く腰に下げてあった紐を取り出し、俺を後ろ手に縛りあげる。

 足元にいたコマは「キーッ‼」と声を出して拘束してきた男を威嚇している。

 拘束から逃れようとジタバタしていると、この状況を門で立ち止まっていたもう一人の守衛は手を叩いて大笑いしながら見ていた。


「おいおい、そいつは盗賊じゃないだろ。手配書ちゃんと見たか? あいつは黒髪じゃなくて金髪、それに身長だってもうちょっと高いはずだろ。それに何より追われる身がのこのことなんの変装もせずに街に入るか? 普通に考えてないだろ!」


 しかし、拘束してきた守衛は納得がいかないのか、渋い顔をしながら講義する。


「いやしかし、魔法で見た目を変えればそれくらい騙せるでしょう! 一晩様子を見てからでも遅くは――」


「そんな面倒な手間を取るくらいならあいつらは別の村に入るだろう。それに、そいつは魔法を使っている反応が全くない。この私が保証する。だからすぐに拘束を解くんだ、いいな?」


「りょ、了解です……」


 男は渋々拘束を解き、すまないと軽くお辞儀をしてきた。俺が戸惑っていると、門の前にいたもう一人の守衛が手招きをしているので少し警戒しながら近づく。


「そう構えなくてもいい。さっきは私の部下が無礼を働いたな。謝罪させてもらう」


 上司らしき男は深々と頭を下げ、謝罪の意を示す。部下の男もつられて深々とお辞儀をする。

 いきなり襲われたのは少々腹立たしい出来事ではあったが、怪しい服装をしていたこちらにも非がある。それにこれ以上事を荒立てて素性を探られるとまずい。

 その場を丸く収める為気にしてないと伝えたいが、口で話す事は出来ないので、胸の前で手を振り、何とかジェスチャーで伝えられないか試す。


「ん? ……許してくれるのか。感謝する」


 上司の男は手を差し出し、握手を要求してきた。

 俺も手を出すと、がっしりと力強く掴まれ、固い握手を交わした。


「お礼と言っては何だが……君は見たところ旅人のようだね。荷物が少ないところを見ると盗賊に襲われでもしてすっぴんにでもなってしまのったか。しばらくこの街に滞在するのであれば、この通りを真っすぐ行った先にギルドがある。そこで少し資金を稼ぐと言い」


 そして男は、これはお詫びだと丸い銀色の金属、恐らく銀貨と呼ばれる物を2枚手渡してきた。

 お前にはこれをやろう、とコマには緑色の乾燥させた野菜らしきものを口元へ持っていく。コマはそれを躊躇なくもしゃもしゃと食べてしまった。

 俺は守衛の人達に深々と頭を下げ、感謝する。

 一時はどうなる事かと思ったが、この世界でもこういう親切な事をしてくれる人もいるのだと分かっただけでも、心にのしかかっていた重荷が少しだけ軽くなった気がした。


 街をしばらく歩いていると、様々な情報が目に飛び込んでくる。

 そして大きく分かったことが三つある。

 一つは文字。日本語ではない明らかに見たことがない文字がこの街では使用されていたのだが、言葉と同じく何故かそれが俺には理解できた。いや、文字を見る直前までは覚えていなかったのだが、見た瞬間に急に思い出したというのが正解だろうか。間違いなくあの神の影響だろう。嫌でもアイツの顔を思い出し、はらわたが煮えくり返りそうになるが、生活する上で便利な事に越したことは無いと心を無理やり落ち着かせる。


 二つ目はお金。露店がいくつかあり、サンドイッチのようなパンに肉や野菜を挟んだ軽食や根菜のような物が煮込まれたスープなどが売られていた。そして店に来た人はお金を払って対価として物を買っていた。当たり前のことだが、異世界でも貨幣が流通していて本当に助かった。食料を手に入れるのに物々交換が主流の世界だったらまた外に出て物を探してこなくてはならなかったからだ。


 三つめは人々の生活。この街では主に木材を主として建築されていて、和風建築のような横に長い建物から、洋風建築のような縦に長い建物まで様々な建築物が街を埋め尽くしていた。

 途中店番をしている老婆に「こんにちは」と声を掛けられ、それに対して俺は頭を下げた。これで変な顔をされないのだから、挨拶は成り立っているのだろう。

 ここまで人々の生活が同じだと、異世界に来たというよりは別の国に来たと言われた方が納得できる。いや、自分が炎を吐いたりコマのようなキメラ生物がいたりしている時点で異世界なのはわかっているが。

 恐らくだが、元居た世界とあまり祖語のない世界、いわゆるパラレルワールドというやつなのではないだろうか? そうであれば色々と助かるのだが……。


 そんな事を考えながら歩き疲れたのかふらふらしていたコマを抱きかかえながら道なりに進んでいると、ひときわ大きな建物に大勢の人が出入りしているのが見えた。

 看板には『ギルド:スズリの止まり木』と書いてあった。

 どうやらここが守衛の人が言っていたギルドという場所らしい。

 ひとまず中に入らない事には始まらない。中へ入ると、テーブルがいくつも並んでおり、大きな料理を囲んで酒を飲んでいる人が大勢いる、酒場のような場所だった。

 建物に入り、辺りをじっくり眺めていると、奥のカウンターから少女が一人、スタスタとこちらに駆け寄ってきた。


「いらっしゃいませ! お仕事をお探しの方ですか? 奥へご案内しますね!」


 愛想良く出迎えてくれた黄色のエプロンにミニスカートの姿をした受付嬢らしき人は、10代後半くらいの黒髪ツインテールが特徴的な少女だった。

 その受付嬢は俺の手をいきなり掴んだかと思えば奥のカウンターへと強引に引っ張り案内してくれた。

 仕事より先に飯を食べたかった……。

 カウンターへと着くと、客らしき人の列がずらりと並んでおり、目の前の少女を除き3名の受付嬢が応対していた。

 他の受付嬢の見た目は20後半くらいだろうか? それぞれ美しい容姿をしており、客の男はデレデレとだらしなく受付嬢に話しかけていた。そして後ろの男が順番はまだかとイラついてだらしない男を蹴り飛ばして……あぁ、喧嘩が始まった。

 しかし「騒ぐなら出て行け」と受付嬢の冷たい視線が男たちに刺さり、すぐに静かになった。

 その間、俺を案内した受付嬢はおろおろと戸惑ってあっちにフラフラこっちにフラフラと落ち着きのない様子だった。

 受付嬢はようやく落ち着いたかと思えば、カウンターで「ちょっと待ってくださいね」と言ってから、後ろであれでもないこれでもないと紙の束を取り出しては元に戻す作業を始め、しばらく待たされた。


 並んでいる客の人数から察した。他の受付嬢には長蛇の列が出来ており、目の前の少女の列は俺一人だけ。

 ……こいつ仕事出来ない奴なのか。


 今更ほかの列に並ぶのは失礼に値するだろうなぁと何処か諦めの気持ちで受付嬢が「お待たせしました!」と厚さ数十枚の紙束をカウンターにドンッ! と置いた。

 一番上の紙には『薬草採取・報酬鉄8』と書いてあり、どうやら依頼書か何かのようだ。

 隣を見てみると、丁寧かつ迅速に対応しているベテランは「こちらの依頼などどうでしょう」と数枚の依頼を見せている。

 何ともまぁ……この少女の列に人が並んでいない理由が分かった気がする。俺は喋れないが、まだ何も聞かれていない。つまりこの少女は人の話を聞かないタイプだ。


 今すぐ別のところへ行きたいのだが、他に行く当てもなければ金を稼げる当てもない。仕方が無いので依頼用紙をまず一枚手に取ってよく見てみる。

 ……ふむふむ。薬を作るのに必要だから3本取って来てくれと。

 ご丁寧に見本の絵まで付いている。あれ? でもこの草どこかで見たような……。

 すると足元のコマが「キュッ」と短く鳴いた。そして、テーブルまで跳ねると、俺のローブを鼻でちょんちょんと押す。


「あら? ペットのラビンクルですか? 可愛いですね~」


 少女はコマの背中の羽を撫で始めた。コマはとても気持ちよさそうに目を細める。

 ラビンクルとはコマの種族名なのだろうか? まぁペットという単語が出るくらいには人に飼われている生き物なのだろう。

 ここで、コマが鼻先で押したところを思い出す。ズボンのポッケに薬草が入っていた。

 取り出して依頼書とよく見比べると絵とそっくりだった。


「あれれ? お客さんその手に持っている物は……あー、面倒くさくて依頼を見ただけで依頼品持ってきちゃったんですね! 今度からはちゃんと受付で受注してから持ってきてくださいね、じゃないとダブルブッキングとか大変なんですから!」


 頬を膨らませて怒っているが、どうやら俺が依頼を見て持ってきたものだと勘違いしたらしい。

 薬草を渡し、しばらくすると少女は「こちらが報酬になります!」と小さなトレイに鉄でできた硬貨を8枚載せてこちらへスッと差し出す。

 俺はそれを受け取り、ズボンのポッケにしまう。

 これがこの世界に来て初めて自分で稼いだお金……相場が分かるまでは慎重に使わなくては。


 だが、まず何よりも腹が減った。この子の列から離れて、別の人に食べ物を注文するべきだろう。

 カウンターの上にどっしりと座り込んでいるコマを抱こうと少し前かがみになる。


「あっ、ご利用ありがとうございました!」


 俺が去ろうとしているのが分かったのか、少女は深々とお辞儀を――

 ガンッ‼

 頭部にお辞儀してきた少女の頭がぶつかり、目の前の視界がぐらつく。


「い、痛った~。あれ? お客様⁉ 大丈夫ですか⁉」


 立っていられず、カウンターにもたれかかるようにして崩れ落ちた俺が最後に見たのは、慌てふためいた少女の泣き顔だった。

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