第04話 夜の襲撃

 草をかき分けこちらに向かってきたのは、身長160cm程の人間だった。

 コマは人間に驚いたのか、俺の傍を離れて別の草むらへ逃げてしまった。

 近づいてくる人は、ゴワゴワの布でできたローブを深く被っており、光源が焚火しかないこの場では暗すぎて相手の表情はよく見えない。

 こちらより少し高い170後半くらいの身長で、細身の男性のようだ。

 刃渡り15cm程の背に鋸刃が付いているナイフを片手に持ち、こちらと目が合うなり刃を向けてきた。


「おっと、当たりだったか! こんな街の傍で野宿なんて罠かと思ったが……あんちゃん、恨みはないが身ぐるみ剥がされるか死にたいか選ぶんだな!」


 ローブの人は明らかにこちらに殺意を向けている、いわゆる野盗だ。まさかこんな街の近くで出会うとは思っていなかった。

 こんな真夜中の川沿いに人はいるはずがないと高をくくっていた自分が恨めしい。火を起こし続けてこちらの位置を常に知らせていた為居場所がばれたのだろう。

 元居た日本とは違い、助けを呼んでも誰も来ないし、抵抗すれば容赦無く殺されるだろう。

 だが、持っている物を全て差し出すなんてできない。そもそも持ち物なんて着ている服くらいしかない。

 喋れない以上問い詰められても返事は出来ないし、助けを呼ぶこともできない。

 というよりも野盗に対して意思疎通を図る事自体がそもそも悪手だ。

 考えている間にも男はナイフを鼻先に向けじりじりと間合いを詰めてくる。

 ……あいつは殺る気だ。これが生きる為というのなら――。

 俺は拳を顔の前に構え、男に対して対抗する意思を見せる。


「やりあおうっていうのか。いいだろう、それなら持ち物とついでに命も頂いてくぞっ!」

 

 男はたった一歩で2メートル以上あった間合いを一瞬にして詰め、ナイフを眼前に突き出してきた。

 それに驚いた俺は後ろに下がろうとして……盛大に転んだ。

 しかし、それが逆に幸いした。

 男は、今まさに俺の喉があった場所に深くナイフを突き刺していた。あのまま下がっていても喉を指されていただろう。

 背中向きに落ちた俺は、そのまま上を通り過ぎる男の腹に蹴りを入れる。

 体勢が悪かったのか、あまり強く蹴る事はできなかったが、確実にダメージを与える事は出来た。

 男は衝撃を和らげるためか、草の上を転がり、何事もなかったのようにスッと立ち上がる。


「痛てぇじゃねえかよ。この掠り傷の対価はあんたの命ってところだな……なぁ、何とか言ったらどうなんだ?」


 お生憎様、俺は喋る事は出来ない。

 だが、口を開けば声の代わりにこいつが出る。

 俺は肺へ一気に空気を吸い込むと、口を大きく開け一気に炎を吹き出す。

 炎は一直線に男の方へ飛び、男を燃やし尽くす――はずだった。

 男はすんでのところで横へ飛び、着ているローブを焦がすことは出来てもその体を燃やすには至らなかった。


「うおっ⁉ 危ねぇ‼ あんちゃん奇妙な魔法を使うんだな。……よし決めた。生け捕りにして市に流させてもらうぜ」


 とっておきの秘策はばれてしまったが、俺は続けさまに炎を吐く。

 だが男はもうちょっとのところで躱し、こちらと距離を取りながら近くにある石や枝を投擲してくる。

 飛んでくるものが手に当たり、脚に当たり、胸に当たり。さほど痛くはないが気が散る。それに構わず体の芯に力を籠め、炎を連続して吐き続ける。


「おいおい、あんちゃん無能なのか? 格の差ってものが分からない馬鹿だと買い手がつかなくなっちまうぜ?」


 男は最小限の動きで俺の炎を避ける。そして次々に付近の物を手当たり次第に投げ、挑発してくる。

 だが、ここで不幸にも。いや、無茶苦茶に炎を吐いていた為視界が制限されていたのが原因か、小石の一つが俺の目に当たる。

 俺は突然の痛みに対処できず、口を閉じて目を押さえてしまう。


 その隙を敵が逃すはずがなかった。

 手に持っていたナイフを俺の脚めがけて投げつけ、気づいた時には俺の左太ももへ深々と突き刺さっていた。

 ナイフの存在を認識すると共に熱い痛みが脚を束縛しうずくまってしまう。

 口から洩れる炎は青みがかりより一層熱くなるが、反撃の為に吐き出した炎の狙いは男から大きく外れ、近くの木を赤々と燃やす。


「出鱈目な威力の魔法を使う割に随分と戦い慣れていないんだな。こんなおこちゃまが野宿とは……貴族様のペットが逃げ出したのか? これは身代金を期待できそうだな!」


 男は一歩、また一歩と笑みを浮かべるも確実に警戒しながらこちらへと近づいてくる。

 ナイフを抜こうとするが、背の鋸刃がかえしのように肉を引っ張り、意識が飛びそうになる。

 くそっ‼ 終われない。こんなところで捕まるわけにはっ……!


「あ”あ”あ”あ”ッ‼」


 掠れた叫びと共に一気にナイフを抜き取り、赤一色となった刃を男へ向かって投げつける。

 距離は既に一メートル程。これなら回避は出来ないはず!

 しかし、そんな抵抗も虚しく男はローブの内に隠していたナイフを取り出し、俺の投げたナイフを平然と弾いた。


「……終わりだな、あんちゃん。大丈夫、これ以上痛い事はしないからよ。あんまり傷物だと買い手が文句言うからよ」


 口を開け、炎を吐こうと力むが、先ほどナイフを抜いた激痛で集中力が乱され、上手く喉に力を集中させる事が出来ない。

 ……これまでか。俺は抵抗を諦め、両手を挙げようとする。

 その瞬間。「キィー!」と甲高く何かが鳴いて男へと小さいなにかが飛びついた。


「うわっ、なんだこいつ⁉」


 男は飛びついた何かに気を取られ、俺に向かって背を向ける。

 そのほんのわずかな隙を無駄にはしなかった。

 俺は男の首に腕を回し、全力で締め付けた。


「ぐっ、はな”っ……せ……‼」


 男はもがき、腕を引っ掻いてきたが、数秒経つ頃には段々と力が抜けていき、そのままガクッと力なく腕が垂れ下がり、持っていたナイフが地面にカランと落ちた。

 ……どうやら終わったらしい。男を締め付けている腕を離し、地面へと降ろす。


「キュイッ!」


 男の顔に張り付いていたナニカから声がした。

 そいつは小さな毛の生えた二対の小さな羽を持っているうさぎ、コマだった。

 コマが助けてくれたことに感謝し、ありがとうと言う代わりに頭を撫でる……すぐに食べなくて本当に良かった。


 コマは今しがた崩れ落ちた男に近寄り、「キー」と短く鳴いた。

 近寄ってみると、胸が小さく上下に動いておりまだ息はあるようだ。

 ここで止めを刺すべきか? 近くに落ちているナイフを拾い、男の喉元めがけて振り上げる。

 しかしここでコマが狙っていた場所に割り込んだ。俺が手で跳ねのけてもすぐにまた男の胸の上に乗り、まるで殺すなとでも言っているかのようだ。

 無言のにらみ合いが続き、俺は手に持ったナイフを遠くに投げ捨てた。

 殺すのは止めだ。俺がこいつを殺したところで何のメリットもない。

 殺す意思がない事が分かったのか、コマは男の胸から降りると俺の足元にすり寄り、しきりに脚の怪我を舐めた。どうやら俺の怪我を心配している様子だ。

 とここでアドレナリンが切れたらしい。徐々に舐められる傷口が痛み出し、脂汗が吹き出す。


 コマは心配そうに「キュゥー……」と鳴き、一旦俺から離れ、草むらへと入っていく。

 脚の傷口を押さえてコマが帰ってくるのを待つこと数分。戻ってきたときには紫色の形をしたあの果実を咥えて戻ってきた。

 食べろってことなのか?

 炎を吐き出し続け、腹が減っていたのでありがたく果実を受け取り、半分に割って食べる。

 口に入った果実は体の渇きを癒し、痛みを徐々に緩和していく。

 ……⁉ コマを撫でる為視線を下ろすと先ほど止まらなかった血の流れが完全に止まっていた。それどころか痛みはほぼ無くなり、傷口も塞がっていた。

 一体全体何が起こったのか理解できない。

 先ほどの重傷が嘘のように消え、治っているなんて……まさかとは思うが、今食べた果実が?

 信じられないが、この世界は異世界という事を思い出し、こんな事もあるのかと理解する。

 ともかく、傷が治ったのはコマのおかげだ。今日は三度もコマに助けてもらった。

 俺は先ほどの戦いでくすぶっていた火をつけ直し、ぬるま湯を沸かした。

 たらいのような容器にコマとお湯を入れ、その体を丁寧に流してやる。

 すると毛にこびりついた泥が落ちていき、徐々に毛が鮮やかな桃色になっていく。

 洗い終わるとコマもすっかり上機嫌になって、洗われている途中はじっと石のように動かなかったのだが、今ではくるくると足元を回り続けている。


 俺も肌に付いた血を洗い流し、服もついでに洗って乾かす。

 洗っている途中。ズボンの太もものところに空いた穴でふと気づく。

 ……男は傍に寝たまま、いや気絶したままで、まだ起きる気配は無いようだ。

 顔を見てみると、歳は三十代前半だろうか? 短い金髪に肩から背中にかけて複雑な印がタトゥーとして刻まれていた。

 よし、こんな男なら問題ないな。

 躊躇なく服を剥ぎ取り、ローブを手に入れる。若干焦げが気になるが、着れないことは無い。

 俺も最初は殺されかけていたんだし、これくらいはいいよな?

 しかし、ただで持っていくのもこいつと同じ野盗になるようで忍びない。

 そこで、先ほど半分にした果実を容器に入れ置いておくことにした。


 匂いが若干気になるので、ローブも川で洗い、焚火の傍で乾かしていると、だんだんと空が明るくなっていく。

 どうやら睡眠を一切取らないまま朝になってしまったようだ。

 緊張が解け若干眠くなり始めているが、ここで寝てはまた野盗に襲われてしまうだろう。

 早く街に入って宿などを探さなくてはならない。

 短いあくびを噛み殺していると、膝から「プフゥ~」という間の抜けた鳴き声が聞こえた。

 コマはどうやら就寝中のようだ。

 ……仕方ない、運んでやるか。

 俺はコマを抱きかかえ、生乾きのローブを着てその場を後にした。

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