第03話 コマ
草むらをかき分けトコトコとこちらに近づいてきたのは、背に二対の翼を生やした50cm程の薄灰色のうさぎのような生き物だった。
そいつはこちらを確認すると、鼻をぷぷぷと鳴らして飛び跳ねながら近づいてきた。
な、何という事だ。食料があちら側から来てくれるなんて!
俺を殺す神もいれば救う神もいるんだなぁ……この時ばかりは神という存在に感謝した。もちろん妹の姿をしたあいつではない神にだが。
俺は両手を広げ、うさぎのような生き物を待ち構えた。うさぎはこちらが待ち構えている事に気付くと、機嫌がよさそうに軽やかに跳ねながら近寄ってくる。
そのまま……そのまま……。
今だ! とうさぎへ向けて手を伸ばす。
地面に勢いよく上半身がダイブすると、顔が地面と擦れ土の匂いが鼻いっぱいに入り込む。
……捕獲に成功したかどうかはすぐに分かった。
その手には、大量に掘り返された柔らかい土が虚しく乗っていたからだ。
うさぎは俺の目の前で戸惑ったように立ち止まり、一歩、また一歩と後ずさりしている。
違う! 今のは出来心と言うか何と言うか……!
俺の心の声は届かず、うさぎはそのままくるっと反転すると、元いた草むらへとその姿を隠すのだった。
ま、待ってくれ! 俺が悪かったからっ‼
追いかけようと立ち上がろうとするが、空腹の為力が入らず転倒し、またも地面に顔をぶつける事になった。
……もう立ち上がる元気も残されていない。俺はそのまま仰向けになり、空を眺めた。
夜空に無数の星が瞬いており、月のような天体が大小大きさは違うが3つも出ていた。
元居た世界で、こうしてゆっくりと星を眺めたことがあったのかは覚えていないが、こちらの世界の星は元居た世界の星々より綺麗に見えている気がする。
具体的ないつどこで見た夜空なのかは思い出せないが、何となく比較できる。『映像』でなく『写真』を見比べているかのような感じだろうか?
我が身の事ながら曖昧なのだが、これがおそらく記憶喪失で失ったものとそうでないものの境だろう。
俺の記憶は一体どうして欠落しているのだろう。アイツは俺が記憶を失っている事に対してショックを受けていたからアイツの意図で欠落しているのではないだろうが……いつか元の世界の記憶は元に戻るのだろうか?
考え込んでいるうちに、月は高く昇っていき、どんどん夜風は強くなっていく。火のついていた焚火は徐々にその火が弱くなっていき、くすぶっていった。
別に寒くはないが、この火が消えてしまった時。俺の復讐心まで消えてしまいそうな気がした。
街へ入るのに使わないのであれば、いっそこの衣服をくべて燃やしてしまおうか?
そう考えていると、先ほどの草むらがまたも音を立てる。
今度はねずみか何かか? そう思いながら音のした草むらを見てみると、予想外の奴が草をかき分けこちらに向かってきていた。
なんと、あの逃げたうさぎのような生き物がまた戻ってきたのだった。
しかし、先ほどとは大きく違う点が一つあった。
その小さな口に、顔の大きさ程はある大きなボール状の物を咥えていたのだ。
うさぎは俺に警戒することなく手の届く範囲へと近づき、咥えていた物を地面に落とした。
そいつはどうやら植物のようで、へたがあり、紫色をしていて甘い匂いを漂わせている事から何かの果実なのではないかと思う。
だが、何故このうさぎはこれを……?
うさぎの目をじっと見つめると、うさぎはキュッと短く鳴いて前足でその果実を俺に押し出してきた。
どうやら食べろと言っているらしい。
うさぎ……お前……。
不覚にもうるっと涙腺に来てしまった。まさか、うさぎに人情を感じるとは思っていなかった。
俺は涙が溢れないよう拭い取り、受け取った果実を半分に割った。
これはさっきの迷惑料だとうさぎの前に半分を置き、残り半分にかぶりつく。
かぶりついたその瞬間、体に電撃が走る。
モモのようなねっとりとした甘みに、リンゴのような瑞々しい食感。それでいて鼻を通り抜ける柑橘類のようなスッキリとした香り。
空腹の為でもあるだろうが、この果実は恐らく生前? 前世? を含めても一番うまい食べ物だと断言できる。
先ほどまで指先に力を入れるのもだるかったのだが、今では頭のてっぺんからつま先まで力がみなぎっていた。
うさぎは目の前に置かれた果実に若干困惑しており、俺に再度前足で食べろと突き出してくる。
だが、腹は既に十分。これはお前が食べるべきだ。
俺が果実を手に、うさぎの口元に持っていくと、少しの間を開けた後俺の行動を察したのか、カリカリと食べだした。
うさぎが果実を食べ終え、動けるようになった俺は付近から手ごろな木の枝や葉っぱを拾ってきた。
十分に乾燥しているとは言い難いが、これでひとまず今晩は凌げるだろう。
焚火のあった川のほとりの草むらまで戻ってくると、うさぎはまだくすぶっている焚火の傍にいて、俺が帰ってくるのを待っていたようにも見える。
焚火に燃料をくべ、そっと手を近づけると、ウサギは自らこちらに向かって頭を差し出し、撫でるよう催促してきた。
ゆっくりとその頭を撫でると、ぷぷぷとまた鼻を鳴らしながら喜んでいる様子だった。
だが、その毛並みは割とゴワゴワしており、泥が乾燥してこびりついている事が分かった。
仕方ない。明日もここにいるようならお湯を沸かして洗ってやるか。
こいつにはひとまず『コマ』と言う名前を付ける事にした。口に出して命名できないので心の中でだが。
駒ではなく狛。薄灰色の毛並みと俺に頭を撫でられている時にじっとして威厳のある姿がまるで狛犬のようだったからという安直な感じで名付けてしまった。……羽が生えているし天使とかペガサス系でつけた方が良かったか?
まぁともかくこいつの名前はコマだ。
この世界に降り立って初夜。生きるためにはまだまだこれから色々な事をしなければいけないが、ひとまず生き残る事が出来た。
人に会う事が出来たのだ。意思疎通をしてこの世界、ひいては神の情報を入手し、あいつにもう一度会わなくてはならない。
その為なら、俺はどんなことでもするつもりだ。例えそれがこの世界の人々全てを敵に回す結末を迎えようとも。
だが、ひとまずは落ち着いた生活が出来なければ話にならない。
明日は街に入るために何かしらの行動をしなければ。と考えながらコマの頭を撫でていると、本日三度目の背後で草むらが揺れる音がする。
今度はコマのお仲間か? そう思い振り返ると――。
ゴワゴワの布を被った160cm程はある直立歩行をしている生き物。ベージュ色の肌をしており、手には大型のナイフを持っていた。
……人やんけ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます