第02話 目覚め
「んっ…………」
額に水滴が落ちたことで目が覚める。
硬い感触を背に感じ、おぼつかない視界で背後を確認すると、大きな木に寄りかかり座っている状態だった。
俺はあの時落下して……そうだ、ここはどこだ?
起き上がろうと体に力を入れると、喉がずきりと痛む。
あぁ、そうだった。俺はあいつに喉を……。
喉をさすると、あの時の手で掴まれた感触が今でも残っている。
呼吸をするたびにひりひりと痛むが、あの時のような気の狂うような痛みではなく、風邪をひいて喉が潰れた時ほどの痛みへと変わっていた。
「ごっ……かはっ……」
物は試しと痛みに逆らい声を出してみようと喉を震わせたが、刺すような激痛と掠れた声しか出なかった。
その後断続的に続く痛みに若干イラついたが、いつまでも痛みに構っている暇はない。
現状確認のため体を起こすと、眼前には湖が広がっていた。その湖を除き、周りには疎らな木々と遠くに山脈が見える。
逆にいえばそれしか見つけられない程にここには何もない草原が広がっていた。
誰がどう見てもこの辺りは人の生活圏外だろう。
ひとまず目に付いた湖へと近寄ってみる。
湖のほとりへと近寄ってみると、鱗がきらりと光るマスのような中型の魚が水深くまで潜っていくのが見えた。
その魚を目で追い水面を覗き込むと、そこには中肉中背、短めな黒髪をした20歳くらいの若い男性の顔が映し出されていた。
『俺』はこの顔を知らなかった。
自分の顔が映し出されているにも関わらず、それが一瞬とはいえ自分の顔だと分からなかったのは薄ら恐怖を覚え身震いしてしまった。
水面に映った自分の顔を見たことで、記憶と呼べるものが完全に抜け落ちている事を再認識する。
自分が何者で、自分の事を兄と呼んだあの妹がどんな人だったのか。
他に家族はいるのか、友人はいたのか。好きな物や嫌いなものはなにか。どんな生活をしていたのか。
それら全てが分からなかった。
だが、一方で覚えている事もあった。あの日『俺』が死んだあの瞬間の光景、それと常識と呼べるものは覚えていた。
日本という国で言語を学び、日本語というひらがな、仮名文字、漢字は思い出せる。
……いや、ほかの言語を忘れてしまっただけなのかもしれないが。
思い出そうとしても、記憶は霞がかかったかのように不透明で掴む事は出来ない。むず痒い感覚に奥歯をかみしめる。
そんな憂鬱な気分を払拭し、気合を入れるために水で顔を洗おうと水面に顔を近づけると、顔のちょうど下。今まさに痛みを訴えている喉が普通では無かった。
喉に、黒い線が幾重にも重なっている、複雑な模様がタトゥーのように刻まれていた。
これは間違いなくあいつが付けたものだろう。
何とかして模様を消そうと、水をすくい、喉を手でこする。
だが、何度こすっても消えないばかりか、今度は皮膚表面が赤くなり肌が荒れてしまった。……これ以上やっても無駄だろう。
だが、無駄な事ばかりではなく、一つ良い発見をする事が出来た。
喉をこすっている最中、何度か力む時があり、その時にチラチラと炎が吐息に混じって口から洩れる事があった。
驚きはしたが、あの時既に経験した事。逆にこの炎を何とかして利用できないかと何度も炎を出してみて、どうすればより強い火力が出せるのか試行錯誤を重ねた。
回を重ねるごとに炎の勢いは増し、喉のあたりに力をこめるとより火力を出せる事が分った。
試しに水で濡れた手に向かって思いっきり炎を吐くと、火炎放射器のような勢いで炎が口から溢れ、俺の手を瞬時に乾かした。
……ただし、代償として着ていたシャツの裾が若干焦げてしまった。
不思議とこの炎は俺自身を焦がすことは無く、熱さをまるで感じられなかった。どうやらこれは俺の知っている火とは別の物らしい。
『俺』のことを殺した炎ははっきり言っていい気分はしないが、使えるなら使う。
そうしなければ神を殺すどころか途中で野垂死ぬのがおちだろう。
俺は何としてでもあいつの元へたどり着いて、復讐をしなければならない。
ともかく、ここから移動しなくては何も始まらないだろう。
だが、ここに目印となる物は山を除いて他になく、しかし山に向かったところで人のいる生活圏には行けないだろう。
こういう時には太陽を目印に移動すれば迷わずに同じ方向へ行けると聞いたことがある。
空を見上げると、太陽と思しき恒星が2つ。
……? 2つ?
自分でも何を言っているか分からないが、何故か太陽が2つ確認できた。
記憶が正しければ太陽は一つのはず……あぁ、そういえばあいつが言っていたか。
ここは『異世界』だと。
地球とは別惑星なのか、はたまた別の次元なのかは分からないが、ここは俺が生きていた地球とは別のルールが布かれた世界なのだろう。
驚きはしたが、自分が生き返って火を吐くようになったことに比べればまだ納得できる事なのかもしれない。
俺は考える事を止める事で精神的に楽になるのを覚えた。
兎にも角にもまずは情報収集と人の住む街を探すことだろう。
最悪人が住む街が無いどころかこの世界に人そのものがいないかもしれないが……いや、悪い方向には考えないようにしよう。
※
あ、あった……。
湖を一つの太陽の方角にずっと進むと、途中街道と思しき草の禿げた大きな道へとぶつかった。
そして、そのまま街道沿いに歩くことおよそ2時間、5メートル程の巨大な石壁に囲まれた街を見つけた。
湖を出た時は高く昇っていた太陽たちも、今では西? に落ち、夕暮れの時間となっている。
石壁内に入るための鉄扉の前には守衛と思しき鎧を着込んだ屈強な男性が2人立っていた。
「なぁ、そろそろ交代の時間じゃないのか?」
「おいおい、まだ日が落ちきってないじゃないか。そんなに腹が減ったのか?」
かすかに聞こえる二人の会話に驚いた。彼らは『日本語』を話していなかった。
だが、俺は二人が何を言っているのか意味が理解できた。
何故理解できるのかが分からない。俺はこの言葉を今の今まで知らなかった。
しかし、今になって何故この言葉を理解できたのか……そうか、これもあの神の仕業か。
転生特典がどうのこうのって言っていたから、俺がこの世界の言葉を理解できるようにしたのだろう。
あの神の手のひらで弄ばれているようでむしゃくしゃするが、地面に拳をぶつけ、無理やりにでも溜飲を下げる。
しかし、このようなうかつな行動が良くなかったのだろう。
「ん。おい、あっちの方から何か聞こえなかったか?」
「そうか? 野生動物か何かじゃないかいのか?」
「野党か何かがいたら問題になるか……ちょっと見てくるからここ見張っていてくれ」
守衛の一人が持ち場を離れ、こちらに近づいてくる。
ここで自分の服装を見直す。
煤で汚れ、端が若干焼け焦げたシャツに泥だらけのジーンズ。
うん、間違いなくここで見つかれば俺は不審者として捕らえられるだろう。何せ服装に加え喋る事が出来ないのだから。
……ようやく見つけた人達だが、このまま接触するのは危ない。
仕方がないので、いったんここを離れ、近くで野宿する事にしよう。
俺は近づく人に気付かれないよう、静かにその場を去った。
※
俺は大きなミスを犯した。
記憶はないが、知識はある。
昔何かで読んだような気がするのだが、サバイバル時にまず必要になるのは水の確保、そして次に食料の確保だ。
幸い町の外へ十数分歩いたところに緩やかな川があった。川の傍には金属製のたらいのような人工物が多数まとめられており、どうやら街の住人が洗濯や水汲みに使用しているらしい。
生水は極力飲まない方が良いと聞いたが、ボウルのような容器を借り、それで水を汲み、口から炎を出して沸騰させた。これで完全に安全とは言えないが、まぁ出来る事はした。
そして次が本題なのだが……とても腹が減った。
口から炎を吐く際にエネルギーをそれなりに消費しているらしく、体全体がだるく重い上に空腹だ。
手ごろな木の枝を拾ってきて焚火を作ったので、今日のところはこれ以上火を吐く必要がないのが救いか。
だが、ここに来る途中までに動物らしき生き物を一匹も見かけておらず、目の前の川に入って魚を取る元気はもはや残されていない。
今から街に戻って物乞いでもするか……? いや、喋れない以上不審者として捕まるだろう。刑務所のようなところにぶち込まれるのはごめんだ。
このまま腹が減った状態で朝まで待つか……。いや、それでは動けなくなって後戻りできなくなるのでは?
廻る思考の中、ふと付近の草むらがガサッと音を立てる。
人か⁉ 急いで音のした方へ向き、身構える。
しかし、人らしき背丈の生き物はそこにはいなかった。
ガサガサと草むらを揺らしながらゆっくりとこちらへ近づいてきたのは、背に二対の翼を生やした50cm程の小さなうさぎだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます