二週連続で顔を合わせたので、少しくらい彼女のことを知ったほうがいいかと思って、木野谷きのやは学内の友人や知人たちに、それとなく佐木里さきさとのことを聞いた。やはりというか、佐木里は6月初めに2年4組へ入って来た転入生だった。あまり人と関わろうとするタイプではなく、昼休みなどは忽然こつぜんと姿を消している。雰囲気がちょっと怖い、というのは女子達からの評だった。

 それから次の金曜日になった。


「聞いたんだけどさ。お前、友達いないのか?」

「――うぐっ」


 あまり乙女らしくない音を立てて、購買のパンを口にしていた佐木里は途端にむせ返った。


「木野谷には関係ないじゃんっ!」

「冗談だよ」


 物凄い剣幕で彼女はすごむ。口調もいつもより刺々しかった。わざと単刀直入に訊いていた木野谷は肩をすくめる。


「でも、少し不便だろ? 頼れる人間が同じクラスにいたほうが、楽なことには変わらないし」

「それは、そうだけど……っ」


 それから佐木里は黙り込んだ。この話はしたくない、という雰囲気がひしひしと伝わってくる。沈黙の時間がしばらく続く。作っている料理の鍋から匂いが引き立ってきた頃に、木野谷のほうから口火を切った。


「4組に野咲峰のさきみねという女子がいるだろ、そいつが困っていたら助けてやれ」

「……? え?」

「あいつって見た目は大人しいようで、4組じゃ発言力あるやつだから、繋がりを持っても損はないよ。実際、意外と気のいい奴だし」

「ちょっと待ってっ!? 待ってってばっ!」


 やや混乱気味の表情で、佐木里は話を無理やり遮ってきた。


「木野谷。それって、野咲峰さんに恩を売って利用しろってこと? 私にしろって言ってるの?」

「利用って言うほどのことじゃないよ。単純に繋がれる切っ掛けを作るってだけだ。お前のことを野咲峰がどう思うかは、結局あいつ次第だよ。別に悪いことなんかじゃない」

「………………」

「俺からは特に無理強いはしないよ。ただ、どうせ人に関わるのなら少しでも良い奴と繋がっていたほうがいいと俺は思うよ」

「………………」


 佐木里は沈黙を続けたままだった。しかし若干だが何かに悩むような素振りが見受けられた。彼女の考える時間に合わせて、会話はこれくらいにし、ふた付き鍋に入った、トマトと鶏肉を煮込んだ料理が出来上がるのを2人で待った。

 次の週では結局、彼女の周囲に変化は起こらず、そのまま夏休みに突入した。




 夏休みが終わり、始業式のあった週の金曜日。いつものように木野谷は屋上に来ていたが、佐木里は姿を現さなかった。せっかくならと思って、二人でもできるようにホットドッグ作りの準備をしていたのだが、余分に買った材料が無駄になってしまった。


 後で知り合いたちに探りを入れて知ったが、驚いたことに佐木里は、夏休み前に話したことを実行していたらしかった。

 現在は野咲峰のさきみねのグループにいるらしい。野咲峰とも喋る機会があったので、ついでに確認してみたが、間違いないようだった。

 どうやら普通に友達になれたらしい。少し安堵した。


 その週も佐木里は屋上に姿を見せなかったので、もう来ることはないだろうと勝手に思っていた木野谷は、さらに翌週の金曜日に屋上へ顔を出した佐木里に面食らった。


「先々週と先週は来なくてゴメンっ!」


 開口一番に謝罪する佐木里。特に約束したこともないので、謝る必要は無いよ、とだけ返しといた。彼女は上目遣いの視線を向けてきた後、なにか話したそうにうずうずしながら、少しだけすり寄ってくる。


「野咲峰さんから聞いて初めて知ったんだけど。……木野谷って、生徒会役員だったの?」

「書記、ただの雑用係だよ」


 クラス内で友人ができたせいかは知らないが、佐木里は前に話したときよりも快活で、言葉からも時たまに感じられた刺々しさは無くなっていた。


「すごいじゃん」

「どこがだよ。誰も立候補しなかったから推薦になって、結果的に俺が立候補することになって、そしたら当選して役員になっていたんだ。俺自身が進んでやったわけじゃないからな?」

「そんなモチベーションでも通っちゃうってことは、木野谷に人徳があったってことなんじゃない?」

「これまで放課後を一人きりで過ごしていた俺に、それを言うのか」


 本当に、いつも以上に今日の佐木里はよく喋る。初めて会ったときの彼女とは別人だと思うほどだった。改めて聞くまでもなく、うまく学校生活をやれているようなので、良かったと木野谷は思う。


「木野谷、普段は人に囲まれてるし、人気あるんだよ、きっと」

「どうだか。演じてるだけだしな」


 それから、しばらく話している間に、市販のものにソースと具材を入れただけの煮込みハンバーグが完成した。流石に二人分は用意してなかったので、半分に切って食べた。佐木里は最後までどこか楽しそうだった。




 9月以降は学校行事も多くなる。それはつまり、生徒会に所属する木野谷も多忙になるということだった。特に文化祭が近づいてきたことで、放課後も学校全体が準備で忙しくなる。金曜の放課後も予定で埋まり、木野谷が屋上で佐木里と会う機会も自然と少なくなっていた。


 文化祭当日、客引きを行っている彼女の姿を見かけたことがあった。緊張で少し硬直しながらも、可愛らしいメイド服に身を包んで、愛嬌を振り向く佐木里は、初めて屋上で出会った頃では考えられないくらいだった。

 心の底から完全に馴染みつつある彼女に、羨望と一抹の寂しさを感じつつ、木野谷は声を掛けることなく、生徒会本部と、自分のクラスでやっていた出店の仕事に専念していった。


 文化祭が終われば、球技大会の企画についての話が生徒会で立ち上がった。金曜日も会議があったが、塾までの時間を潰すには至らなかったので、缶コーヒーを自販機で買ってから屋上へ向かう。


「遅かったね、木野谷」


 最上階へ続く階段の踊り場に佐木里がいた。10月に入り、暑さがほぼ無くなったこともあって、夏服ではなく合服姿だった。なんでこんなところにいるんだ、と木野谷は素で疑問に思った。


「お前、野咲峰たちと一緒にいなくていいのかよ」

「皆、部活あるから。私、一人なんだ」

「お前も同じ部活に入ったら良かったのにな。せっかくできた友達の輪は大事にしとけよ」

「大丈夫、大事にしてる。私には勿体ないくらい、みんな良い友達だから」


 ふと階段下の廊下を見やり、通りがかった人に聞かれても困るかと思い、屋上に掛けられた電子錠を開く暗証番号を入力する。10月になってから更新された番号だった。


 すっかり風が涼しくなった屋上で、木野谷は塔屋に寄りかかりながら缶コーヒーを開けた。買ってから少し経っていたが、まだ缶は温かい。


「私はさ、この時間も好きだよ。木野谷もいるしね」

「お前にとっては、あんまりいい時間じゃないんじゃないか?」

「そうかな? 二人でご飯食べたりするの、けっこう楽しいけど?」

「悪かったな。今日は何も用意してなくて」

「別に気にしてもないよ。むしろ、いつも気を遣ってもらって、ありがとうって思ってる」

「元々は暇つぶしなんだ。全然かまわないよ」


 隣で塔屋の壁に同じように寄りかかっていた佐木里が、不意にこちらを見た。


「……ねえ、一度だけでいいからさ、いつか2人だけでどこかに行かない?」

「ん?」


 唐突な提案だった。少し思案して木野谷は首をかしげた。


「いや、どこか行きたいなら、お前が野咲峰たちを誘って一緒に行けばいいだろ」

「木野谷は、どこかに遊びに行きたい、なんて思うことないの?」

「……まあ、ないかな。基本、学校外じゃ塾以外ずっと一人だし」

「それって、寂しいって感じたりしない?」

「別に。これが俺の普通だよ」


 学校行って、塾行って、帰宅して、コンビニ弁当で夕食をとって、課題を終わらして就寝する。起きたら、母が作り置きした朝食を温めて、また学校へ行く。教室では適度に明るく振る舞えば、自然とうまく生活ができるし、友人知人もできていく。役割さえこなせれば何も支障はない。


「寂しさは、特に感じていないな」


 考えて得た結論がそれだった。そのままに告げたら、彼女はどこか寂しげに口をすぼめた。


「じゃあ、どうして私のこと助けてくれたの? あのときの私は本気で、孤独のままでいいって思ってた」

「それは、……」


 すぐに浮かぶと思っていた答えは、信じられないくらいに出てこなかった。頭の中に浮上しかけた言葉があっても、何か矛盾があるような気がして、すぐに立ち消えてしまった。それでも、どうにか言葉を紡ぎ出そうとしては失敗して、結局、佐木里のほうが先に口を開いた。


「……ごめん。きっと、私が木野谷のこと勘違いしてるんだね。勝手に理解した気になっていた。本当に、ごめん」


 まるで逃げるように顔を背けて、佐木里は校舎の中へ行ってしまった。振り返る前に見せた彼女の悲痛な表情が、木野谷の胸にしこりとなってうずきだす。それからの屋上で、彼女の姿を見かける事はなくなった。

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