放課後屋上の二人ごはん

瀬岩ノワラ

 懐かしい顔ぶれだった。


 高校の卒業アルバムの、各クラスの顔写真のページをめくるたびに、懐かしさが胸からこみ上げてくる。ああ、こんな奴もいたな、と。

 気づけば5年も経っていた。かつての先生や友人たちは、現在は何をしているのだろうかと少し浸る。


(……ああ、いたいた)


 ページをめくろうとした手を、一人の女子生徒の写真に気づいて止めた。


 黒髪のショートヘア、少し吊り目気味の少女の顔写真。カメラを向けられ緊張でもしたのか、目尻と口元がきゅっと引き締まって、どこか不機嫌そうな面持ちになっていた。普段の彼女からは考えられない顔に、木野谷きのやはくすりと吹きだした。変な写真を残すなよ、と今更ながらに思う。

 学年には多くの友人、知人がいたが、彼女は特に関係が深い少女だった。


 記憶は蘇り、もはや6年前となった高二の頃の出来事を、ふと思い出した。




 ◇ ◇ ◇




「――そこ、危ないぞ」


 囲むように建てられたスチール製のフェンスの外側の、ごく僅かな敷地。そこに知らない女子が立っていた。飛び降りでもするんじゃないかという陰鬱いんうつな表情で、じっと下を眺めつづけている。


 昼下がりの屋上で、忘れ物を取りに来ていた木野谷きのやは、その女子生徒に気付いて真っ先に声を掛けた。


「……あ」


 彼女は驚いたような声をあげて、吊り目気味の目をこちらに向ける。

 黒髪のショートヘア。少しだけ焼けた肌。新品の女子制服。記憶を探る限り、クラスメイトの女子ではなかった。制服が新しいので、今月初めに別のクラスに入ったという転入生かもしれないと木野谷は思う。


「とりあえずフェンスの外側には出るな、危ないだろ……」

「……。ちょっと外の風景を、よく見ていたかっただけ」


 回答を求めていないにもかかわらず、反抗的でいながら、ばつの悪そうな顔で女子生徒は答えた。それから垂直跳びの要領でジャンプし、自分の身長ほどはあるはずのフェンスを乗り越えて、綺麗に内側へと着地する。人並み以上に運動神経がいいらしい。


「……これでいい?」

「ああ」


 彼女は木野谷を一瞥するとフェンスのほうを向き、そのまま学校外の景色を眺めていた。何か気になるものでもあるのかと思いきや、目ぼしいものなどない。そこまで執着して眺め続ける理由なんて分からないが、事故を起こされるのだけは勘弁してほしいと思った。


「一応ここ、俺もよく来るんだ。事故なんて起きてセキュリティが強化されたら、それこそ一大事だしな」

「…………」

「……そういやお前、どうやって入ったんだ?」

「…………っ!」


 自分で言っていて後から思い出したが、この離れ校舎の屋上は、誰もが自由に出入りできる場所ではない。

 扉には暗証番号式の電子錠が掛かっており、五桁の番号を知らなければ入ることができない。番号を知るのは一部の教員や用務員のみ。木野谷も本来は入れない側の生徒だが、たまたま用務員が元からの知り合いで、伝手で番号を知ることができたのだった。


 伝手や繋がりなど無さそうな彼女に思い切って尋ねてみると、暇つぶしで適当に入力したら外れたとのこと。そういうこともあるかと思い、特に気にしなかった。


「言っとくけど、暗証番号は7月から変わる。3か月に1回更新されるようになってるからな」

「7月ってことは来週からか。そっか……」


 女子生徒の顔が淡く残念そうに歪む。どこかに未練があるようにも見えれば、逆に安堵しているようにも見えた。人のことを言えないにもかかわらず、物好きな奴だと木野谷には思えた。


 置きっぱなしになっていた自分の水筒を回収した木野谷は、もう一度だけ女子生徒のほうに目を向ける。ただ静かに景色を眺めているだけの彼女は、何かに引き寄せられているような雰囲気があった。


「……暗証番号、59105だからな。もし入りたければ、誰にも気づかれるなよ?」


 それ以上は特に彼女に声を掛けることなく、屋上から去った。面食らって動揺していた彼女は、しばらくの間、木野谷が去った方向を凝視していた。




 今年の梅雨は明けるのが早いのかもしれない。5月の終わりにかけては雨がよく降り続いていたが、6月の半ばを過ぎた途端に、天気予報で傘マークを見かけることが少なくなっていた。7月を迎えても、それは変わらなかった。


 毎週金曜の放課後に、木野谷は離れ校舎の屋上へとやってくる。アウトドア用のバーナーと調理スタンド、それからコンビニで買ったカップ麺など諸々を詰め込んだ袋を提げていた。


 今日の空は厚めの雲で覆われていて、程よく太陽の光を遮っている。夏場だが、たまには食べたいと思って買い込んだものだった。


 用意したスタンドに小さな鍋を置き、バーナーでお湯を沸かす。沸騰したらカップ麺に注ぎ込むつもりだ。あまり調理をしている感覚はないが、たまにはこういうのもいい。屋上で何かを作って食べる。まるで簡単なキャンプをしているようで、それが木野谷の数少ない趣味の一つだった。


 普段なら放課後の屋上に人はいないので、一人で黙々と作っているが、今日は他にも人影があった。


「こんなとこで何してるの?」

「カップ麺を作ってる」


 熱されて小さな泡が立ちはじめた鍋をじっと見つめながら、木野谷は素っ気なく答えた。


「……えっと」

「…………」


 無言のままでいる木野谷に、女子生徒はまどったように何かを言いたそうな顔をして、とりあえずというふうに、その場でしゃがんでバーナーで温められている鍋を一緒に取り囲む。


「学校で、ちょっと見かけることあったんだけど、普段は明るいんだね。……木野谷くんで合ってる?」

木野谷きのやみなと。木野谷でいいよ」

「私は佐木里さきさと亜澄あすみ。私も呼び捨てでいいよ。……やっぱり、教室とかで見かけたときと雰囲気が全然違う。実は別人だったりする?」


 自分のクラスじゃ人によく囲まれてるのに、ここじゃ一人っきりなんだね、と佐木里は揶揄やゆしてきた。


「この学校に同じ苗字のやつはいねーよ。……というか、お前、冗談とか言えるタイプだったんだな。もっと暗い感じの奴なんだと思ってたよ」

「そう見えたんだ。一応、前の学校では、よくこんな感じのお喋りもしてたよ?」

「今はどうなんだ?」

「……転校デビュー失敗しちゃった感じかな」

「ご愁傷さま」


 鍋のお湯がやっと沸騰したので、タイマーを掛けてカップ麺に注ぎ込む。今になって袋タイプのインスタントラーメンでも良かったな、とふと思った。


「…………なんか疲れない?」

「3分くらい待てるだろ……」

「そうじゃなくて、木野谷って多分、一人でいるのが好きなタイプでしょ。それなのに普段は人に囲まれてワイワイしてるってのが、なんか信じられなくて」

「都合がいいからだよ、単純に。明るくて周りと一緒に騒げる奴、学校じゃそういう奴の振る舞いしたほうが過ごしやすいってだけだ」

「それ、実行するほうが難しくない?」


 佐木里に指摘されて、木野谷は首を傾げた。話を聞きながら周囲のノリに合わせて、いざとなれば『マジ?』とか『すげえ』とか言いながら一緒に騒いで、時には相手の好みに合うような話題を提供していけば、普通になんとかなるもんじゃないのか、と自然に思った。


 説明すると、そんなの絶対に無理だからと佐木里に言われてしまった。


「ところで、いや本当は、最初に訊こうと思っていたんだけど、何でカップ麺なんか、わざわざ屋上で作ってるの?」

「一番の理由は時間潰し、二番は趣味、三番は実用を兼ねた気分転換」


 部活動に参加しない木野谷は、ほぼ毎日といってもいいほど塾に通っている。ただし金曜日だけは授業の始まりが遅く、完全下校時刻を過ぎてから向かっても、普通に間に合うのだった。


「お前こそ、なんでこんな時間に屋上に来るんだ?」

「それは別に関係ないでしょ。…………」


 しかし、尋ねておいて自分だけ答えないというのは無いと思ったのか、佐木里は少し潜めた声で答えた。ただ、帰りづらいからと。部活もやっていないのだという。

 そっか、大変なんだな、とだけ返しておいた。


 しばらくして3分が経過したとタイマーが音を鳴らし始めた。流石に人が隣にいるのに、1人だけ食べるというのは気分がいいものではないので佐木里に声を掛ける。


「一口食うか?」

「いや、いくらなんでも悪いし」

「逆箸するから全然かまわないぞ?」

「………………」


 結局、佐木里も食べることになった。


 それから翌週の金曜日の屋上にも、彼女は姿を現した。あらかじめ購買で買ったのか、パンの入った袋を手に提げて。ちなみにその日は、湯煎ゆせんで温めたレトルトカレーに予め刻んだ材料を加えて、煮込んだものを食べた。

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