急性骨髄性白血病

29歳の7月、急性骨髄性白血病と診断された。


それはあまりに突然だった。健康診断後血液検査をしたら白血球の量が多くひっかかった。血液内科のある大病院に行く事になった。


先生は訥々とこう説明してくれた。


「優美さんの病名は急性骨髄性白血病です。ステージはM3です。」

「まず白血病とは、について説明します。」

「白血病とは血液のがんの一種で、白血球が悪性化する病気です。病態には、急性と慢性、骨髄性とリンパ性があり、それぞれに症状や治療法が異なってきます。

従い、白血病の場合は未成熟のまま成長を止めてしまう亜白血球が血液やリンパ液中にどんどん増えていってしまう症状を呈します。」

「白血球には血液中に存在するマクロファージ(骨髄性)とリンパ液内に存在するリンパ球(リンパ性)とがあり、これらの未成熟な細胞(ガン化した細胞)が急激に増えるのが急性、慢性的にゆっくりと増え続けていくのが慢性という分類になります。」

「このことから白血病は、急性骨髄性白血病・慢性骨髄性白血病・急性リンパ性白血病・慢性リンパ性白血病の4つに分類されますが、優美さんは急性骨髄性白血病です。」


先生の、言葉を何と頭で捉えようとしているが心が追い付かない。

「…どうやって治すんですか?」

「…骨髄移植と化学療法ですね。」

「まず化学療法ですが、寛解導入療法と言いまして、強力な抗ガン剤を投与し、ガン化した血液細胞を減少させる治療法です。急性白血病では感染症などを起こしている場合を除き、一番初めに行われます。完全寛解(完治ではないが、ガン化した細胞がなくなること)を目的としており、これによって、ほとんどの患者は症状が治まります。

 ただし、抗ガン剤は正常な細胞にも影響を及ぼすため、吐き気や嘔吐、下痢、脱毛などの副作用が現れたり、患者によっては白血病の症状が悪化することもあります。」


「その次に地固め療法を行います。これは第一段階である寛解導入療法で寛解が得られた後、それを確実なものにするために第二段階として行われる治療法です。地固め療法でも強力な抗ガン剤を使用するため、寛解導入療法と同様の副作用が現れる可能性があります。」


「最後に維持療法と言われる、寛解導入療法や地固め療法をサポートするために行う治療法寛解の状態維持、再発防止、副作用や症状悪化を抑える薬が投与されます。」

「…それでも治らない場合は骨髄移植という事ですか?」


「はい。年齢が若く、体力がなければ行うことができませんが、優美さんは可能です。

 化学療法や放射線療法の後、ドナーの骨髄を受け入れやすくするために免疫抑制剤を使用してから行われます。完治が期待できる反面、感染症や合併症のリスクを伴います。骨髄は骨の中にあり、その中に存在する造血幹細胞から血液の成分を作り出す組織です。

 白血病の治療で行う化学療法や放射線療法は、強力な抗ガン剤や放射線を大量に投与・照射することでガン化した造血幹細胞を攻撃し、死滅させることができますが、強力な分、正常な造血幹細胞まで攻撃してしまうため血液を作ることができなくなり、全身に様々な障害を引き起こします。

 そこで、正常な造血幹細胞が含まれた骨髄を移植すれば再び血液を作り出せるようになります。つまり骨髄移植は、正常な造血幹細胞とガン化した造血幹細胞を入れ替えることによって白血病を治すだけでなく、化学療法や放射線療法の後に起こる障害も治療するという2つの目的があるのです。」

「…骨髄移植に成功しても副作用が続く場合もありますが、完全寛容に向けてがんばりましょう」


これが私の急性骨髄性白血病との戦いの始まりだった。


それからは、本当に、長く、長く、つらい。

出血、頭痛があり、髪の毛が抜け、慢性的な吐き気、白血病そのものよりも生理の時の不正出血や慢性的な頭痛の方が辛い。8月から化学療法を開始し、5回を終了した段階で完全寛解で退院するも翌年2月に再発した。同年10月に骨髄移植のため入院する事になった。


 他の人の造血幹細胞を移植する場合、ドナーと私の白血球の型(HLA)が一致していることが条件だが、なかなか見つからなかった。

 和也と私の白血球の型(HLA)が一致していることが分かり、彼の骨髄を移植する事になり、彼は「すぐやって下さい」と答えた。

それから翌年の3月、無事移植された。


でも、でも私は。


手術後病室で私は和也にこう言った。

「ねえ、和也」

「なあに?」和也は優しく微笑んで渇いたタオルを病室の棚にしまう。

「私、完全に治っても、赤ちゃん出来なくなったんだって」

「…優美がいればそれでいいじゃない」

「…私といて和也に何のメリットもないじゃない!」

もう泣いていた。

私はこの1年間、何回泣いたんだろう。でもそれと同時に、自分を支えてくれる人のありがたみが、ほんとうに、分かった。

一人で動けない、思うように動けない。一緒に歩いてくれた両親や和也。病室が一緒だった人が症状が重くなって別の病室に運ばれ、そして明日は我が身だと思うと不安で夜も眠れない日々、ごはんが食べれた日の嬉しさ、病院から自宅に戻った時の喜び。


でも、もう、嫌だ。好きな人の人生も同時に狂わせる。それ位だったら死んだ方がマシ。

そう泣きじゃくった私を、和也はいつも「そんな事言うなよ」となだめてくれた。


「…僕は、早く優美が良くなること、それだけが願いなんだ」

「もう少しで終わるよ」


「…ね、柿貰ったから一緒に食べよう」


私はまたえんえんと泣いてしまった。


私は家族や和也に頭が上がらない。


和也には骨髄を貰っているし、母と父には….。

母は元々パートだったので、夜にも居酒屋で働く事になって、1日中働きづくめで。父は定年退職後もその会社の系列会社で働いている。折角父が買ったマンションに家族一緒に住めなくて。

今頃、普通の年頃は子供が授かっていて、子供が3歳ぐらいになったら一緒に旅行に行けるんだ。私は未だに親に不義理をしている。

私のせいだと思うと本当に皆に申し訳ない。


でも、誰も。私を責めない。

「辛かったね」「頑張っているね」「これで終わるから、もう少しだから」と優しい言葉しかかけない。

和也も現に笑顔で頭をなでてくれる。


「…私ね」

「病気になって良かった事が一つだけあるの」

「…なあに?」

「私病気じゃない時、毎日『つまらない』って、『死んだ方がマシだ』って言ってたでしょ」

「ああ、そうだったね。」

「…でも病気になって、本当に死に向かっていると分かった時、私の頭は凄くクリアになって、余計な事は考えなくなった。生きたい、って強く思うようになった。」

「…うんうん、確かに病気になってからの方が死にたいって言わなくなったかも。」

「でしょう?…何か、あの時は真綿で首を絞められている感覚」

「…ああ、人生辛い事の方が多いからね」

「でも1万倍苦しいからね、今の方が。でも今の方がなんか、生きている実感がする。」

「…なるほどね。僕も優美がげーげー毎日吐いてたり、寝て起きたら髪の毛がごっそり抜けていくの鏡で見てえんえんと泣いていて、ああ、僕が職場で感じるストレスは本当に些末な物だなって感じるようになった」

と和也は笑った。


「当たり前が、一番の幸せなんだよね。それが分かって良かったよ。」

私はそういって笑った。


 術後の副作用は続いているものの、再発した白血病は寛解状態。「このまま順調に行けば完全寛解もすぐそこです。」と先生はその後仰ってくれた。


それから3年が経った。 

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