[8]

 私が再び目を開くと、映ったのは自室の天井だった。

 布団に寝かされている。服は、巫女装束のままだったが。

 意識も覚束ないまま、天井を眺める。

 ……あれは夢だったのか?

 全部悪夢で。たちの悪い妄想で。

 私は、過労で倒れただけ。

 そう思い込みたかった。

 けれど、破れてボロボロになった装束が。

 体にじんじんと残り続ける鈍痛が。

 刀の差されていない鞘が。

 あれは事実だと、現実だと、示してくる。


「起きましたか」


 不意に、声を掛けられる。落ち着いた女性の声。

 振り向く。

 部屋の中にいたのは。

 姉さんだった。


「……姉さん……!?」


 白い髪。白い肌。

 どこか神秘的で、浮世離れした容姿に、それに違わぬ高貴な風格を併せ持つ、紛れもない私の姉。

 だけど。

 何かが。何かが違う。


「……いいえ」


 "姉"は、口を開く。


「私は、貴方の本当の姉ではありません」


 やめろ。


「私は、蛇。"ヤトノカミ"様に仕える、使いの一匹です」


 聞きたくない。


「貴方を守る為に、我が主から遣わされました」


 何を言っている。


諏訪ハクアおねえさんの、記憶と人格を受け継いで」


 言葉が出てこない。

 どうすればいいか分からない。

 こいつは本当に何を言っているんだ。

 守る? 私を?

 姉さんを、私から奪っておいて?

 何で、姉さんの姿形をしている。

 理解の範疇を超えている。何もかもが。

 私がそのまま硬直していると、外から部屋の襖が開けられる。

 そこに立っていたのは、父だった。


「ミハル」

「……父さん?」

「話がある」


 父はそれだけ告げると、私に着いてくるよう促す。

 私は魂の抜けたようにふらりと立ち上がると、そのまま足を動かし始めた。



* * *



 稽古場。

 ある程度の広さを持つ此処に、私は連れてこられた。

 奥には、父と母。

 私の後ろには、"へび"。

 しばらくは全員が沈黙を保っていたが、いても経ってもいられなくなって、私が口火を切った。


「それで、何なんだよ話って……全部説明してくれよ、父さんっ!」

「……ああ」


 父は、粛々と話し始める。

 この地は、この村は、平安の頃より、ずっと"ヤトノカミ"という蛇神が、護ってきたのだと。

 諏訪家は代々、"ヤトノカミ"を敬い祀り、生贄を捧げることで、契約を交わしてきたのだと。


「何なんだよ……何なんだよ、それッ!」


 怒りが。

 身を焦がすほどの憤怒が煮えたぎってくる。


「姉さんは!? 最初から全部知ってたのか!?」

「小さい頃から、再三伝えた。ハクアは、全てを受け入れて、今日まで生きてきた」

「……ッ、何で私に隠してた!? 何で皆して私を騙してたんだよ!!」

からだ」

「……!! だったら、どうして私をここで育てたんだよ! どうして私を産んだん……」


 そこまで言って、気付く。

 ああ、合理的な理由だ。

 人を人と思ってないくらいに。

 母の方に向き直ると、私は狂ったように笑いだす。


「フッ……ハ、アハハハッ!! そうか……私は姉さんの代わりだったんだな」

「……ミハル……! ちがう、ちがうの……」


 母は目に涙を浮かべて、まるで悲劇のヒロインのように喚く。

 ふざけるなよ。


「姉さんが生贄になるんじゃ、巫女を継ぐ者が居なくなるからなぁ……それは困るもんなぁ!」

「ミハルッ……ごめんさい、ごめんな……」

「そして姉さんも、あの蛇に喰わせるためだけに産んだんだろ! 育てたんだろ!!」

「……!! ちがう……」

「黙れぇッッ!!!」

「ミハル、それは……」"姉"が口を挟むが。

「その名で呼ぶなバケモノッ!!」何か言う前に、怒鳴り声で潰す。


 誰にも反論を許さず。

 一歩一歩母の方へと詰め寄りながら、思いつく限りの罵声を浴びせる。

 そうしなければ、今にも破裂しそうだった。

 心の芯より湧き出る憤懣を周りに撒き散らさなければ。

 自分という存在が崩れ去ってしまいそうだった。


「この村を守るために……私たちを犠牲にして! 自分たちの身を守るために!! そうなんだろ!!」

「そうだ」

「……は?」


 今度は、父が言葉を差し込んだ。

 私の怒りの矛先は、父へと移る。

  

「お前の言う通りだ、ミハル」


 淡々とした、普段の調子のまま、私の罵詈雑言を肯定する。

 それは、わざとらしかった。母を庇ったのかもしれない。

 けれど、そうだとしても許せなかった。私や姉さんは平気で傷付けるくせに、自分の妻は守ろうとするのか。


「ハクアは初めから、儀式の贄とするために産ませた。お前も、ハクアの代わりに巫女を継がせるために

「……ああ、そうかよ」


 どくん、と心臓が鳴り。

 昏い感情が私を覆い尽くす。

 静かに、だが確かに、あの畜生どもを害したいという――殺意が、心中を渦巻いていた。

 手を腰に当てる。そこには、短刀の鞘が残っている。

 刀自体は、差さっていない。けれど、理由は分からないが、気がした。

 手を鞘に翳すと、仄かな光が灯り……鞘が、変形していく。

 やがてそれは、蒼い刀身を持つ、一本の太刀へと変わる。

 こんな大きさの刀など持ったこともないのに、やけに手に馴染んだ。

 その切っ先を、ゆっくりと父に向ける。

 父はこちらの方をずっと見ていたが、その刀を視認して、静かに動揺を見せた。


 この刃は、よこしまを祓うためのもの。

 決して、只人には向けてはならない。

 けれど父母こいつらは、あの白蛇バケモノの狂信者だ。

 あんな怪物を神と崇め。

 私の大切な姉さんを歪ませ。狂わせ。奪った。

 それを悪とも思わず、ただただ受け入れろと、私に突きつけてくる。

 だったら。お前らは。

 よこしまだ。


 稽古場の床を蹴る。

 体が空を切っていく。刀の重さなど無いもののように、疾風の如く距離を詰めていく。

 そのまま、刀を真上に振り上げると。

 邪悪ちちに向かって、振り下ろした。


 ずぶと、肉を裂く感触。

 けれど、振り切る事はできず。

 斬撃は、犠牲者の中で止まる。

 ――その刃は、"姉"の身体を貫いていた。

 左肩から股に向かって刃が通り、そのまま中腹部の辺りに刺さっている。


「……!? 姉さん!?」


 咄嗟に、を姉さんと呼んでしまう。


「……ミ……ハルッ……」


 血が。

 真っ赤な血が。

 断面から溢れ出して。

 刺さったままの蒼い刃を伝い、鍔に流れ込んでくる。


「ダ、メ、です……」

「……おいっ!?」

「如何な理由があれどっ……刃をっ……只人に、向けては……ガハッ!」


 血を吐く。

 立っていられなくなったのか、刃にもたれ掛かる。

 純白の衣は、瞬く間に真紅に染まり。

 平坦な床に、血だまりを作っていく。

 木板から生じる香りを殺すように、鉄の臭いが広がっていく。


「……父もっ……母もっ……を、愛してくれました」


 そのまま。

 今にも死んでしまいそうな状態のまま、"姉"は語り始める。


「例え、贄にする為だったとしても。それは、本当です」

「何でッ……そんなこと!!」

「分かります。だって、全て"継いで"いるから」

「……ッ!」

の運命を憂いて、泣いてくれることもあった。謝ってくれることもあった。二人も、迷っていたんです。後悔していたんです」

「そんなの……!」

「だからこそも、応えようと思った。この小さな命で成せることがあるなら、果たしたいと思った」

「……ッッ!!」


 それは、一度も聞いたことのない、姉さんの胸中。

 それが、姉擬きべつじんの口から語られる。

 けれど、そうでもなければ、知りようのなかったもの。


「だけどね。貴方の……ミハルのことだけが、気掛かりだった。が死んだら、きっと悲しませてしまうから」

「……あ……あ……!」

「……ふふ、大丈夫ですよ。私はバケモノ、ですから。死んだり、しません」


 傷口からだらだらと血潮を零しながら、私に語り掛け続ける。

 流した血液は、とっくに致死量を超えているというのに。


「もう、何処にも行ったりしませんから。いくらでも、斬ってくれて構いませんから。だから」


 斬られた痛みも、私の凶行も。

 そんなものは、全く気にならないという風に。


「私に、皆を……ミハルを、守らせて下さい」


 赤く彩られた口を綻ばせて、微笑んでみせる。

 それは……いつもの、笑顔だった。


「――ッああ……! ああぁ……ッ!」


 刀を取り落とす。

 途端に、刀は変形を始め、元の鞘へと形を戻すと。

 支えを失った"姉"と共に、紅の池へと沈んだ。

 手が震える。

 母の方に振り向く。

 腰を抜かした状態で、私の方を見ている。

 その顔は、恐怖で塗りつぶされ。

 ガタガタと震えながら、怯えのまなざしを私に向けている。

 父の方に振り向く。

 やはり、毅然とした態度は崩さないが。

 それでもその瞳孔の奥には、何か――超常のものを見るような。

 そう、畏怖。

 畏怖とでもいうべき感情を、私に向けている。


「……出て行け。二度と私の前に現れるな。失せろ」


 辛うじて絞り出せた声は、それだけだった。

 父は無言のまま歩き出すと、母を抱き起こし、そのまま稽古場を出て行く。

 誰も彼もが黙りこくる中、母の啜り泣きだけが、嫌に反響し続けていた。

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