[7]

 ずるずると。

 大きいものを引きずる音がする。

 大地が碾かれる音がする。

 シューと、纏わりつくような鳴き声が発せられて。

 洞穴から、ソレが這い出てくる。

 白く濁った体表。鱗状の肌。

 それは、白蛇だった。

 けれど、その胴は長く。太く。人間一人を包み隠せてしまうほどに。

 その頭首だけを洞穴から覗かせて。

 姉さんを、見ている。


「あ……ああ……っ」


 腰が抜ける。

 その場に崩れ落ちる。

 肺が灼けつく。

 耳鳴りが響く。

 理解ができない。

 五感が送る情報を脳が処理できていない。

 姉さん。

 私もまた、姉さんだけを視ている。

 姉さんは、困ったような表情を浮かべていたが。

 私の視線に気付いたのか。

 再び、笑う。

 けれど、それはいつもの穏やかな笑顔じゃなく。

 純粋な。

 オーバーな。

 まるで子供のような。

 そんな、綺麗な笑顔だった。

 そして、その表情かおに。


 白蛇の頭が、覆い被さる。


 姉さんの足が、地から離れる。

 ゆらゆらと揺れながら。

 昇っていく。

 ずぶずぶと。

 顎を前後に動かして。

 衣服を唾液で濡らしながら。

 姉さんが、呑み込まれていく。

 姉さんもまた、抵抗一つせずに。

 それを、受け入れていく。

 少しづつ。

 やがて。

 爪先しか、見えなくなって。

 それでも、ピクリとも動かさずに。

 そのまま、呑まれていった。


 …………あたまが、まわらない。

 ことばが、でない。

 ぼうっと。

 みていた。映していた。瞳に。

 現実が受け入れられない。

 ……現実?

 これの、どこが現実だ。

 あんな、あんな伝承みたいな怪物が。

 姉さんを、喰らったなどと。

 あるはずがない。夢か幻に決まっている。早く醒めてくれよ。

 ふと、呼吸することを思い出した。

 息を吸って、でも全然足りなくて、ごぼごぼと咳き込む。

 体が震える。

 全身の血液がやかましく脈動する。

 前を視る。

 そこには、巨大な白蛇が佇んでいて。

 その紅眼で、こちらを、見ている。


 あれが……神様なのか? 神の意志なのか?

 白蛇は神の使いだと、昔教わった。

 そんなの、ただの白化現象アルビノじゃないかと、私は突っぱねたが。

 そういうことを言うと、姉さんにやんわりと怒られた。

 けど。

 姉さんは、知ってたのか。

 が……"神様"が架空の存在なんかじゃなく、本当にいるってことを。

 

 ――違う。

 私は、現実主義だ。

 この眼で見たものしか信じない。

 私が今ここでみたものは。

 姉さんを。

 何よりも大切な私の姉さんを、あの蛇が、食べた、ということ。


 そんなものは、ただのバケモノだ。


「あああアアアアアァァ――――ッッ!!!」


 割れ鐘をつくような叫び声を上げる。

 耐えがたい程の痛憤が。

 煮えたぎる程の憎悪が。

 この小さな体に到底収まりきらない感情が爆発して。

 勢いのまま刀を抜くと、地面に両足を叩きつける。


「姉さんを……姉さんを、返せええエェ――――ッ!!」


 ありったけの力で柄を握りしめ、一直線に白蛇バケモノへと突っ込んでいく。

 斬り伏せてやる。殺してやる。

 悪逆非道の限りを尽くす大蛇オロチを、切り刻んだ神話のように。

 その腹を裂いて、今すぐ助け出してやるから。

 私が。私が……!

 けれど、刀を振り下ろさんとした瞬間。

 真横から、鈍い衝撃を打ちつけられ。

 そのまま私は吹き飛ばされる。

 今まで感じたことのない激痛を受け止める前に、木々に叩きつけられ。

 そこで、私の意識は途切れた。



* * *



「申し訳ありません、"ヤトノカミ"様」


 蜷局を巻く巨大な白蛇の前で、男女が頭を垂れている。

 両親。ミハルとハクア、その姉妹の。

 母親は、今にも溢れ出しそうな嗚咽を堪えるように、口を噤んで押し黙っている。

 代わりに父親が、顔を伏せたまま淡々と語る。


「儀式の邪魔が入ってしまったことは、全て我らの責任です。私も妻も、あの娘も殺してもらって構いません。ですから、どうかお怒りを鎮めていただきたく……」


 それが当然と云わんばかりに、父親は申し出る。  

 だがその諫言は、別の中性的な声によって遮られる。


「その必要はありません」 

 

 "ヤトノカミ"と呼ばれた大蛇の影から、一匹の小さな白蛇が現れる。

 その蛇は人語を介し、また何らかの手段によって、それを発している。


「儀式は既に終えられました。契約は成されています」

「ですが……」

「……契約の条件は、"当代の娘を一人捧げること"。そして我々は、この村を、そして貴方たち諏訪家を守護することを誓います」


 流暢に、しかし平坦に蛇は告げる。


「契りは交わされました。そうである以上、貴方達も、あの娘も、我々は護る義務がある。面を上げなさい」

「……お許しいただけるのですか」

我が主ヤトノカミも、お怒りではありませんよ。しかし、あの娘には、悪いことをしました」


 主の言を代弁する蛇は、悪びれることなく、言葉を発し続ける。


「あの娘にとっては、諏訪ハクアおねえさんは大切な存在だったようですね。それを奪ってしまった以上、彼女は我々を憎むでしょう」

「……やはり、ミハルは……」

「いいえ。ですから」


 そこで言葉を切ると、小さな白蛇の体に淡い光が集まり、形を変えていく。

 細い胴は膨らんでいき、鱗は真っさらな白肌へと。

 やがて四肢が生え、尾はなくなり。

 頭部は肥大化すると、整った若い女性の顔つきへと変わる。

 そして一着の白衣びゃくえを纏うと。

 蛇は、一人の人間へと変貌していた。

 それを見た母親も、父親までもが目を見開き、その姿を凝視している。

 驚愕する二人を見据えると。

 へびは、一言だけ告げた。


「私が――諏訪ハクアあのこのあねとなります」

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