[6]

 丑三つ時。半分に欠けた月だけが、辺りを照らしている。

 私は山道をひたすら走り続けていた。

 体が重い。息が切れる。足が痛い。装束が体の動きを阻害する。

 けれどもその全てが関係ないという風に、私は私の身体を働かせる。

 行く当てはない。分からない。だが、あのまま座して待つ訳にはいかなかった。

 分からないなら、足りない頭で推理しろ。

 持ち出された道具の中には、太鼓や管楽器もあった。

 なれば、必ず演奏が行われているはず。それも大音量でだ。

 私は無理矢理立ち止まると、ゼェゼェと息を吐き呼吸を整える。

 そして目を閉じ、山々に響く音に耳を澄ませる。


 ……どん、と、遠くで空気が震える。

 聞こえた……!


 目を見開き、音を感知した方向に振り向く。

 その先には、この辺りで一番標高の高い山。

 この村の命綱である河川の水脈があり、干魃の年は雨乞いの儀を行う場所でもある。

 最悪の仮説を裏付けるように、状況証拠ばかりが増えていく。

 逸る焦燥感を原動力に、私はその山に向かって、再度走り出した。



* * *



 真っ当な道はすぐに途切れ、整備のされていない獣道程度の林道へと変わる。

 それもお構いなしに、私は進み続ける。

 土を踏締め、草木を掻き分け、岩場を登り、ただひたすら前へと。

 装束は泥に塗れ、あちこちが破け、露出した肌を鋭利な木の枝が裂く。

 体力はとっくに限界だ。意識が朦朧とする。どんっ、どんっと、定期的に響く打撃音が、辛うじて意志を繋ぎ止める。


 酸素の足りない脳が、私を諌めようと余計な理論を持ち出す。

 今私がしていることは、姉さんの意に反しているのではないかと。

 姉さんの信頼に対する、裏切りではないかと。

 けれど、私は許せなかった。このまま、姉さんを失ってしまうことが。

 私は姉さんを信じている。けれど、誰よりも大切で、大好きなんだ。

 それを、神様なんていう、への祈りの為に奪われてしまうなんて、絶対に許せない。

 もし姉さんがそれを望んでいるのだとしても、それだけは、看過できない。

 もっと一緒にいたい。

 話し足りないことだって、教えて欲しいことだって、一杯ある。

 もし全てが私の思い違いなら、それでいい。後でいくらでも怒られるから。

 だからどうか、私の迷妄であってくれ。

 神様は私の味方なんだろ、姉さん。だったら、今だけは祈らせてくれよ……!


 太鼓の音はだんだんと大きくなり、神楽笛の高い音も耳につくようになっていく。

 音の発生源へと、近づいている証拠だ。最早執念だけで体を動かす。

 けれどその時、不意にピタリと演奏が止んだ。

 あれほどうるさく鳴り響いていた儀式の音は聞こえなくなり、静寂が辺りを支配する。

 ……間に合わなかった?

 いや、諦めるな。そんなのは、今『するべき』事じゃない。

 腰に差した短刀の鞘を握る。

 進む。そして事の真偽を確かめる。……姉さんを奪わせない。

 それが。それだけが。私の『するべき』事だ。



* * *



 茂みの間を抜け、開けた場所に出る。

 小さな原。周辺を森林が囲い、奥には岩石の崖と、それに空く洞穴。

 太鼓も笛の音も聞こえない。それどころか、虫の輪唱も、草花のざわめきもなく、一切が眠ったように静まり返っている。

 さらさらと流れる、水脈の音を除いては。

 辺りには誰もいない。けれど、一番奥、洞穴の前に、一人の女性が背を向けて立っている。

 半月の明かりだけでも、その純白の衣は、髪は、肌は、艶めかしく見えた。


「ねえっ……さん……っ?」


 息も絶え絶えに、声を絞り出す。

 倉庫から持ち出された豪華な装飾は、しかし身に付けられておらず。

 足元の岩場に並べられていて。

 姉さんは白衣びゃくえ一つのみをその身体に纏っている。


「……ミハル?」


 ゆっくりと振り向いた姉さんの顔は、吃驚としていて。

 けれどすぐに、全てを察したように、いつもの穏やかな笑顔に戻る。


「……姉さん、これは一体っ……」

「ごめんね」


 駆け寄ろうとした私を、姉さんが言葉で制す。

 どうして。

 どうして、謝るんだ。

 私が問い詰めようとしたその刹那。

 洞穴の奥から――ぎらりと、二つの紅い眼光が覗いた。

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