[5] 祈雨

 十月。神無月。

 残暑の続くこの村でも、季節の行事は変わらず執り行われる。

 すなわち、秋祭り。収穫の宴だ。

 観光客も居らず、人口も限られる田舎の祭、大した規模ではないが、それでも今年は大変だった。

 というのも、祭の一番の見世物とされる巫女神楽、それを私一人で舞うことになったからだ。

 それまでは、こういった定例の祭事では姉さんが舞っていて、私は父や親族に混じって笛や太鼓を鳴らす役目だった。

 練習自体は昔から嫌ほどさせられていたが、それは姉さんが何らかの事情で舞えない場合の保険として。それだって、姉さんは一回も祭事を欠席したことはなかったから、今回が初めてだったのだ。

 あまりにも唐突だったので、理由を父に聞いたが、「お前も大きくなったから」だと当然のように返された。

 これが出来れば、一人前だと。

 それにしたって急であり、七月からの私の夏休み、及び祭までの期間は、殆どその練習と祭の準備に宛がわれてしまった。

 元々他の予定がある訳でもないので、それは別に構わないのだが。

 それでも、何かが引っかかる。私だけが、流れから取り残されているような。

 釈然としない感覚を覚えながら、それを振り払うように、私は神楽の練習に打ち込んでいった。



* * *


 

 そして、秋祭り当日。

 私は練習通り、巫女神楽を舞ってみせた。

 それなりに、上手く舞えた……と思う。

 村の人たちも、親族も、褒めちぎってくれた。あの人たちは、神楽の出来以外への感情が混じっていて、あまり当てにはならないが。

 父も父で、黙って見ていただけで、感想を零してくれない。こっちから聞きに行くのも、何だか癪だった。

 だから、私は姉さんにどうだったか聞きたくて、短い休憩のごとに姉さんを捜したのだが……今日は何故か、一度も会うことはなかった。

 

 宴は深夜まで続き、年甲斐も無く酔っ払った老人たちの、騒々しい笑い声も収まって。

 人のいなくなった境内の端に、私はへたりと座り込んでいた。

 昼間よりは幾分と涼しい山の上の神社に、スズムシの鳴き声がしんしんと響く。

 ただでさえ神楽に体力も神経も使ったのに、その後の挨拶周りまでやらされたものだから、私はすっかり疲れ果てていた。

 村の人たちと話すのは嫌いではないが、それでもやけに陽気で元気のありあまる彼らと話し続けるのは疲れる。

 お酒も何度も勧められて、その度に断るのは骨が折れた。

 そういう訳で眠いし、ここから立ち上がるのも辛いほどなのだが、この上周りの片付けまで私がある程度済まさなければならないらしい。

 姉さんと父母は、何か用事があってしばらく帰ってこないようなのだ。

 なので現在、この神社には私だけ。手伝いの一人も居やしない。

 流石に扱いがぞんざい過ぎる。姉さんは毎年、こんな苦労をしてたのか?

 後で両親に文句の一つでも言ってやる――と怒りをふつふつと溜めていると、ふと自分の白衣びゃくえに、小さな虫が付いていることに気付く。

 ぱっと手で払う。そういえばまだ着替えていなかった。

 しまったな、あまり汚してもいけない。洗うとはいえ、白い装束であるから、シミやシワは目立つのだ。

 私は力を振り絞ってどうにか立ち上がると、重い体に鞭打って、更衣室へと向かった。



* * *



 社務所の隅に、倉庫兼更衣室がある。

 木の扉を開けて中に入ると、小さな電灯を点ける。

 頼りない光源が照らす倉庫内は、無骨な木材の床壁と、衣服を収容する箪笥、それに儀式に用いる諸道具のみが置かれている。

 暖房も何もあったものではないから、冬は着替えの度に修行のような極寒に見舞われるが、まだ多少肌寒い程度で済む。

 疲弊した腕を無理くり動かしながら、自分の装束を脱いで、箪笥に仕舞おうとして……ふと、違和感を覚える。


 ――隣の箪笥の引き出しが、僅かに開いている。

 姉さんの、装束が仕舞ってあるはずの箪笥だ。


 疑念。

 魔が差した、というべきか。

 その引き出しに、手を伸ばす。

 ガタガタと、粗い音を立てながら開く。

 中には、姉さんの普段着と、いくつか予備の装束が入っている。

 普段着があるということは、今は巫女装束を着ているということだ。 

 けれど、今日着ていたのは小袖と緋袴だけのはず。

 だが箪笥の中には、千早も、羽織も、髪留めも……儀式に使う装束一式が入っていない。

 慌てて、視線を道具入れに移す。

 よくよく見れば、数が足りない。杖や扇、その他の道具が、持ち出されている。


 ……姉さんは、何かの儀式を行っていることは確かだ。

 それも、特に重大な儀のはず。

 だが私は、何も聞いていない。出掛けるとしか、言われなかった。父にも。母にも。……姉さんにも。

 胸騒ぎがする。燻っていた疑惑の数々が繋がり始める。

 山々を吹き抜ける風も、秋の虫たちの音色も、この室内ではくぐもった雑音として響いてくる中、自分の呼吸と鼓動だけがはっきりと聞こえる。

 チカチカと、電灯が点滅した。気が付けば、下着が汗でぐっしょりと濡れて重い。

 考えろ。抱えてきた疑念全てを吐き出せ。

 どうして姉さんは"大人"なのか。

 どうして時折、悲しそうな顔をするのか。

 どうして今日、私に神楽を舞わせたのか。

 まるで、私に巫女としての仕事を、継がせるように。

 そうだ。父はどうして、私に対していつもあんなに厳しかったんだ?

 巫女なら、姉さんに継がせればいい。無論、だからといって私を放任するような人ではないが。

 だが、こうは考えられないか。今日この場で、私に巫女を継がせなければいけない理由があったとしたら。

 姉さんが、理由があったとしたら。


 どうして今日、姉さんたちは黙って出て行った?

 

 暗影が、思考を覆い尽くす。

 そんな事、あるはずがない。

 誰にも聞いたことがない。

 いくらこの村が閉ざされた集落だとしても、そんな――命を捧げるような儀式など。

 そんなものは昔の話か、創作された御伽噺だ。   

 存在しない。こんな推測、妄想だ。気の迷いだ。

 けれど、もしそんな儀式があるとして。行わなければならぬとして。

 姉さんなら、どうする。私の信じる姉さんなら。


 ……きっと、それでもやり遂げるだろう。絶対に。完全に。

 そして、私には絶対に隠すはずだ。私を、心配させないために……!


 「……ああアッ!!」


 腹の底から唸るような叫び声を上げて、私は乱暴に装束を着付け直すと、道具入れから何かを……儀礼用の短刀を掴み取る。

 そのまま扉に体当たりするようにして、倉庫から飛び出した。

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