[9]
呆然と立ち尽くしていた。
倒れている"姉"を尻目にして。
"姉"は、倒れ込んだ状態のまま、動かない。
けれどその傷は徐々に塞がっていき、出血もいつの間にか止まっている。
その様子を、ただ見つめていた。
私は、何をした?
一時の感情に身を任せ。悪意の赴くまま詰り。
親に、刃を向けた。斬り捨てようとした。殺そうとした。
そして、"姉"を……斬った。
姉の姿をした、偽物を。
けれども確かに、姉さんの遺志を継いだ……"姉さん"を。
まだ、感触を覚えている。
肉を裂き、骨を断つあの感覚を。この手がはっきりと。
自ら望んでやろうとした、人殺しの感触を。
こんなの、許されない。許されていいことじゃない。
私だ。
「ミハル」
声を、掛けられる。
上体を起こした"姉さん"が、こちらを窺っている。
気付けば、あんなに床を染めていた血だまりも、鉄の臭いも消え失せている。
まるで、最初から何も起こっていないかのように。
「え、あ、体は……」
「大丈夫ですよ、すっかり元通りです」
にこやかにそう告げながら、立ち上がる"姉さん"。
ソレが人間ではないということを見せつけられ、嫌悪感を抱く。
けれど……
「わ、たしは……」
「……ごめんなさいね」
「……何が」
「ミハルは、もう普通の人間では、ないんです」
人でなしに、それを突きつけられて。
言いようのない不快感に襲われる。
けれど、何となく、そんな気はしていた。
疲労困憊だったはずの体は、すっかり疲れを感じなくなり。
極めつけは、鞘を太刀に変えた、あの"力"。
証拠は十分にあったし……もうそういうものが実在するということは、無惨にも証明されていたからだ。
「かつては
「……オーヴァード」
「ええ。不死の如き生命力と、奇跡や霊力のような超能力を得る。それが、オーヴァード」
「……お前も、そうなのか」
「ハクアは違いました。でも、私はそうです。……厳密には、少し異なりますが」
姉さんの顔で、姉さんとの差異を語る。
その中途半端さが私を苛立たせる。
けれど今は、そんな当然の怒りすら鬱陶しかった。
「オーヴァードは、その人ならざる力の代償に、理性を削られます」
己の手を見やる。
傷が塞がろうが、血痕が消えようが。
私が刀を振るったという事実は、消えない。
「その者によって異なる<衝動>を増大させられ、それに、支配されるようになる」
「……なら私は」
「けれど、それは、制御できるものなんです。慣れていけば」
姉さんの知らない単語。知らない概念。
それを、まるで姉さんみたいに私に教える。
本当に、ズレている。この
「"力"の使い方も、その制御方法も、私が教えます。だから、安心してください」
「……でも、もう私は人間じゃあないんだろ」
私はもう間違えた。
怒りのまま、"力"を私利私欲のために使おうとした。
「バケモノだ。お前と……あの蛇と同じ」
「いいえ、ミハル」
どうして、否定する。
「貴方は、誰よりも誠実で、優しいミハルのままです。今だって、自分のした事を悔いている。責任を取ろうとしている。そうでしょう?」
「……違う……」
姉さんは。姉さんは、そんな言い方しない。そんなこと言わない。
けれど、その諭し方は。声色は。紛れもなく姉さんのものなんだ。
「だから、ミハル。貴方は人間なんです。これから先も、ずっと」
"姉さん"はそう言って微笑む。
その。その優しさは何なんだ。
姉さんだけのものじゃないだろ。
けれど、何故
だったらどうして。どうして姉さんを奪ったんだ。
考えが何も纏まらない。
「……私は、ハクアの記憶を継いで知りました。ハクアがどれだけ、貴方のことを想っていたのか」
またこの"姉さん"は、蛇として話し始める。
いい加減にしてくれ。せめて成り切ろうとしてくれ。
「ハクアにとって、貴方は特別だった。大好きだった。……貴方と離れることを拒んだのは、ハクアなんです」
「……え?」
「我侭だとは、分かっていました。けれど父は、許してくれた」
何だよ、それ。
「一緒に、いたかったんです。ミハルと」
あの無欲な姉さんが、唯一望んだもの。
それが、私……?
「だけどハクアは同時に、貴方に負い目を感じていました。過ごす日々が長いほど、別れは辛くなる。きっとミハルを、傷付けてしまう。怒らせてしまう。悲しませてしまう。私の……我侭の所為で」
違う。姉さんは何も悪くない。何も……!
「だから、最期の時も……辛かった。貴方に嘘を破られてしまったから。せめて、笑顔でお別れすることしか、できなかった」
「ふざっけるなぁァァッ!!」
堪らず、叫んで。
"姉さん"の胸倉を掴み上げる。
「だったら……だったら! どうして姉さんを喰らったんだ! どうして今更、姉さんのフリして私の前に現れたんだッ! 返せよ……返せェッ!!」
「ごめんなさい。……それが、契約ですから」
「……~ッ!」
そのまま、乱暴に降ろす。
"姉さん"はふらつきながら着地すると、困ったように顔を伏せる。
どうすればいい。
どうすればいいんだ。
こいつは、姉さんじゃない。
けれど、その節々に姉さんの面影を残している。
いや、面影しかないんだ。
こいつを、許すわけにはいかない。あの
だけど、こいつは姉さんの事を、本当に"知っていて"。理解してくれて。
その無念を、遺志を、継ごうとしている。私の為になろうとしている。
それがどれだけ勝手な振る舞いだとしても、知らぬと斬って捨てることは……もう、出来ない。
何より。歪だとしても、中途半端だとしても。
そこには、姉さんの格好をした、姉さんの声をした、姉さんの記憶を持った存在が、ある。
それが嘘だと分かっていても、騙されたいと、甘えたいと思ってしまう自分が、ここにいるんだ。
私は。
何を『しなければならない』?
何を『したい』?
姉さんなら、どうする。
……分からない。
姉さんは自分を犠牲にすることで、村を守ろうとした。
けれどもうその手は使えない。私が死んだって、姉さんが帰ってくる訳じゃない。
なら、私もまた姉さんの遺志を継いで。
この地の平穏を、守っていく?
姉さんを喰い殺した、あの蛇に頼りながら。
……嫌だ。
それだけは、あってはならない。
絶対に譲れない。
この怒りを。無念を。絶望を。押し殺して従属するなど。
何より、私の子孫に。これから諏訪家を背負っていく者たちに。
こんな罪を、背負わせたくない。絶対に。
だから。
「私はお前たちを許さない。絶対に」
"姉さん"をしっかりと見据えて、宣言する。
「"ヤトノカミ"は、殺す。いつか必ず。そして、お前も」
"姉さん"もまた、私の目を見つめ返しながら、神妙な面持ちで聞いている。
「そしてこの地は、私が守る。
目を閉じ、深呼吸をする。
覚悟を決めて目を見開くと、要求を告げる。
「その為の"力"の使い方を、私に教えろ。その格好がしたいなら、好きにすればいい。……"姉さん"」
我ながら、勝手な願いである。
『お前の主の殺し方を教えろ』と言っているようなものだ。
けれど、きっとこの"姉さん"は断らない。
そういう、信頼があった。歪な信頼。
「ええ。分かりました。……ありがとうございます」
果たして思惑通りに、"姉さん"は承諾する。
そして、本当に嬉しそうに笑った。
それは、姉さんが最期に見せた笑顔に近かったが……やはりそれとも違う、未知の
* * *
強く、ならなければ。
一人で、村を守れるように。
姉さんの命を無駄にしないために。
これ以上、あの蛇の犠牲者を増やさないために。
だから、やることは単純だ。
――ヤトノカミを殺す。
――この地を護る。
――バケモノに成り下がらない。
この三つだけが、私の生きる理由であり。
私の……『するべき』事に、他ならない。
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