[10]
もう夜だというのに、雨は一向に降り止まない。
ベランダの屋根の下で、真っ赤なペイントの施された衣を着て、私は踞っていた。
……最悪だ。
あの後、気がつくと空間は元に戻っていて。
先程作り出したぬいぐるみは、全て消えてしまっていた。
しばらくすると、目覚めた使用人たちがこの部屋に押し掛けたが、レイチェルは全員追い返すと、扉を閉め切ってしまった。
どうやら、全員意識を失っていただけで、居なくなった者もおらず、"お父様"――フィリップも、傷を受けたものの、命に別状はないそうだ。
レイチェルは、着替えを探すといって、タンスをごそごそと漁っている。
私はなんだか居たたまれなくなって、こうしてベランダに出てしまっていた。
「……~~!」
声にならない叫びを上げて、顔を伏せる。
確かに、まともな精神状態ではなかったし、一番欲しくてたまらなかったものを、与えてくれたんだ。
だからといって、年端もいかない年下の女の子に、母親の面影を重ねて抱きつくやつがあるか? もう十四だぞ、私は。
何より、弱い所を、自分という存在全てをあの娘に晒してしまったことが、耐えがたい恥辱だった。……本当に今更なことだとは思うが。
「……メアリー?」
後ろから、声を掛けられる。顔を両手に埋めながら振り向く。
レイチェルが、明らかに自分用のサイズの着替えを抱えて、心配そうな顔つきで、こちらを見つめている。
あまり、話をする気分ではなかったが……沈黙で返しては悪いと思い。
「……なに?」
一言、そう発した。
レイチェルは安心したように表情を綻ばせると、ぽつぽつと話し始める。
「あのね、ぬいぐるみが消えちゃったのは残念だけど……でも、とっても嬉しかったわ」
穏やかに、けれども感情豊かにレイチェルは話す。
それから、少しだけ躊躇して――その次の言葉を紡ぐ。
「ねぇ、また……今度も、作ってくれないかしら」
「……それは」
「……ええ。もっと、ここに……私の側に、いてくれないかしら」
「……ほんきで言ってる?」
「もちろん」
私を、引き留めようとする言葉。
レイチェルの瞳には、確かな意志が宿っている。
けれど、既に私は幾つもの過ちを犯した。
今更"やっぱり世話になります"とは、とても言えたものではない。
「その……オーヴァードはね、感情のコントロールが、効かなくなることが、あるんだって」
答えられない私を見かねてか、レイチェルはそう切り出した。
「<衝動>って呼ぶんだって。個人差があるんだけど……」
「……」
「例えば、何かを壊したくなったり……誰かを、殺したくなったり。私は、<恐怖>らしいわ」
「……わたしは?」
「それは、お父様とかに聞かないと分からないけど……でもねっ!」
私の隣まで来ると、レイチェルはちょこんと座る。
「<衝動>は、オーヴァードなら誰でも持ってるものだから。時には、暴走しちゃうこともあるけど……」
あせあせと、伝え方に苦慮する様子が見て取れる。
けれど、最後は決心をして、私を見据えて笑顔で伝える。
「だから、とっても怖かったけど、でも――メアリーのせいじゃないのよ」
だから、許すというのか。
「……でも、お父さんに……みてたでしょ」
「大丈夫よ、あれぐらいじゃお父様は死なないわ。て言うか、よくあることらしいわよ」
「……え?」
「オーヴァードの保護とかだと、よく死にかけるんだって。むしろ今回は軽傷のほう」
「……なに、それ……」思わず脱力する。
「まあ、あの時は、ちょっとびっくりしちゃったけど……ほら、知識と実際見るとでは違うっていうか……」
バツが悪そうに、頬をかくレイチェル。
「まあ、私も暴走してたのよ」
「でも、でも……怒ってたし……ほかのメイドにも、みられたし……」
駄々を捏ねる子供のように、否定する理由を探す。
強がりは、まだ治らない。けれど、レイチェルは諦めずに、語りかけてくれる。
「なら、一緒に謝りに行きましょう?」
「そ、それは……」
「大丈夫よ、みんな優しいから。許してくれるわ」
「……」
「ていうか、私も
「でもそれは、わたしのせい……」
「ううん、きっと、本当は誰のせいでもないわ。けれど、迷惑をかけたから、謝らなくちゃ」
……はは。
誰だよ、何も知らない子供――なんて称したのは。
私よりも、私の知っている誰よりも、よっぽど大人じゃないか。
心が、凪のように落ち着いている。
変われるチャンスというものがあるなら、きっとこれがそうだろう。
いや、フィリップに助けられたあの時から、その手は差し伸べられていた。
けれど、無理して払いのけて、そのまま沈みそうになった。
でも、待っててくれた。何度無下にしても、仇で返そうとしても、引っ込めずに。
辛抱強く、差し伸べ続けてくれていた。だからこそ、私は救われた。
ならもう、応えない理由はないんじゃないか。
……いや、違うな。
応えたい。その優しさに。
変わりたい。この人のように。
一緒にいたい。……キミと。
「……わかった。わかったよ」
「……本当!? ありがとう、メアリー! すっごく嬉しい!」
満面の笑みを浮かべて、今度はレイチェルの方から抱きついてきた。
……まだ、血染めの服から着替えていないのだが。
まあ、レイチェルがいいなら、いいか。
どうせ、着られるサイズじゃなさそうだし、力を使える体力は残ってないし。
「うわっ、血生臭いわ! 鼻が、つーんって……」
駄目じゃないか。
「ぷっ、あはは……」
「ちょっと、笑わないでよ!」
思わず、自然な――覚醒してから初めての、本当の笑みがこぼれた。
レイチェルはぷんぷん怒って抗議する。
そんなしかめっ面の娘に向き直って、呼びかける。
「ねえ、レイチェル」
「……! なあに?」
「その……これから、よろしくね」
恥ずかしくて、目は合わせられなかったけれど。
そう、はっきりと、自分の意志で言葉を発した。
「……ええ!」
レイチェルが元気よく返事をして。
そこで改めて、私は彼女の方を見る。
何よりも眩しくて、純粋で、爛漫な――レイチェルの笑顔。
今日だけでも、レイチェルはその顔を何度も見せてくれた。
これからは、何度その笑顔を見ることができるのだろう?
期待。未来。無縁だったはずのものが、今はこんなに身近にある。
ああ。
そうか。
これが、幸せか。
願わくばこの幸福が、いつまでも続きますように――
「よろしくね、メアリー!」
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