[5]
こいつが、
おずおずとやって来た幼い子供を、私は訝しんだ。
視線に気付いた娘――レイチェルは、怯えたようになって、目を泳がせていたが――やがて裾をぎゅっと握ると、私の方へ向き直る。
「え、えっと……はじめまして!」
レイチェルは小さな体で深々とお辞儀をしてみせると、精一杯の笑顔を浮かべて私の方を見つめてくる。
足を小刻みに震わせながら、私の返答を待っている。
その様子を睨みつけるように観察していたが、やがて耐えきれなくなったのか、レイチェルはフィリップの後ろに下がってしまった。
父親の足に抱きついて、小動物のようにプルプル震えながらこちらを気にしてくる。
「……あまり、怖がらせないでくれるか」
「……」
「レイチェルも、そんなにビクビクするんじゃない」
「ご、ごめんなさい……」
フィリップが窘めるように口を挟む。
今までの無感情な語り口とは違って、それには親としての娘を案じる心が込められているように感じた。
そのことに――無性に腹が立った。
「すまないが、私も仕事の方を済ませなければならないから。レイチェル、この家のことについて、代わりにメアリーに教えてやってくれ」
「えっ、私が!?」
「頼めるか?」
「わ……分かったわお父様! 私、頑張る!」
意気込むレイチェルにフィリップは穏やかな笑みを見せると、彼もまた廊下の向こうへと消えていく。
玄関ホールには私とレイチェルだけが残された。
この娘はしばらく唸りながら思惟していたが、やがてうんうんと頷くと、勢いよくこちらに振り向く。
「ええっと、あなた、メアリーっていうの? 私はレイチェル、よろしくねっ!」
私を見上げて、にこにこと微笑む。それは、透き通るほど純粋で。
今度は、私の方が先に目を逸らした。
レイチェルは少し困ったようにしたが、そのまま提案を切り出す。
「とりあえず、ここじゃなんだから……私の部屋に行きましょうか!」
* * *
長い廊下を歩いていく。
レイチェルはしきりにこちらを気にしながら、とてとてと私を先導する。
時折他の使用人とすれ違うと、一言二言、人懐っこく言葉を交わす。
そうして私に話しかけたり、私を他の人に紹介しようとする。全部無視したが。
そんな私の態度を見て、レイチェルは落ちこんだそぶりを見せるが――すぐに顔を上げると、また爛漫な笑みを投げかけてくる。
……何なんだ。
こいつには、他のオーヴァードから感じたような畏れを覚えない。
お嬢様らしく、所作の節々には格調高さの片鱗を感じ取れるが、それでもその動きは子供そのものだ。
素直に笑い、素直に悲しむ。大人のすることを真似ようとして、背伸びして、けれど幼さを隠し通せない。
こいつは、こいつは――ただのガキだ。
何も知らない、純潔で汚れない少女。それが、レイチェルという女の子だった。
――既に変貌している筈なのに。
屋敷に来てから生じていた苛立ちは、次第にこの幼子へと収束していく。
そんなことは露知らずというように、レイチェルは小走りに駆けていくと、やがて一つの扉の前に立った。
* * *
「ここよ」
連れられて、中に入る。
子供部屋だ。複雑な模様の装飾が施された室内に、小さな本棚や机、ベッドなどが置かれている。
カラフルな柄のカーペットや布団、幾つか置かれたぬいぐるみがファンシーな雰囲気を醸し出しており、本来の内装とは些か不釣り合いのように感じる。
甘く、柔らかい香水の香りがする。シャンデリアを模した照明が、部屋全体を橙に照らしていた。
もちろん、壁に穴は開いていないし、天井から水が滴り落ちてきたりもしない。窓も割れてない。
いたって普通の部屋だ。裕福な、普通の、部屋。
「ええと、座って座って……ああ、椅子を用意しなくちゃ」
あたふたと周りを見渡すと、レイチェルはその場から部屋の隅の方へ手を伸ばす。
置いてあった背の高い椅子が、ガタガタと音を立てひとりでに宙に浮くと、私の前まで移動してきた。
それは紛れもない
「これでよしっと……ああ、ごめんなさい、驚かせちゃったかしら? ささ、座って!」
レイチェルは言う。無邪気に笑って。
……ああ、驚いたよ。全然違うな、私と。
「えっとね、私の能力は<オルクス>っていうの。研究中で、何だかよく分かってないんだけれど……」
レイチェルは語る。当たり前の事象について説明するように。
……黒い感情が、ふつふつと湧き上がる。
私より、よほど流暢に喋りやがって。
「お部屋の中のものとか、自在に動かせるの。すごいでしょ!」
レイチェルは驕る。かけっこが速いとか、絵が上手とか、他愛のない特技を自慢するように。
……それは、人に見せるものでも、示すものでもない筈だ。そうだろ。
だって、そうだから、私は――
「メアリーは、どんな力が使えるの?」
レイチェルは問う。趣味を聞き出すような、気楽さで。
……笑みが、仕草が、言葉のいちいちが、私を刺激する。
こいつは、本当に知らないんだな。その力が何をもたらすのか。
両親は、とんだ親バカらしい。
俯き黙りこくる私を、このガキは心配そうにのぞき込む。
「あっと……えっと……ごめんなさいね! つい、嬉しくなっちゃって……初めてなの、お父様とお母様以外の……」
レイチェルは紡ぐ。
……嫉妬が、憤怒が、敵意が膨張する。
こいつは。
こいつは、持っている。私が欲しかったものを。
そして、その有難みを知らないんだ。自分がいかに恵まれているか。世界がどれほど残酷なのか。
教えてやれ。私にはその責務がある。
「私と同じ、オーヴァードの人と会うのは……」
ぷつん、と何かが切れる音がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます