[4]

 それは、初めて見る光景だった。

 高い天井。石造りのアーチ。真っ赤な絨毯。ゆらめく無数の蝋燭。

 焦茶色と白色の壁面には絵画や肖像画が、奥には色とりどりのステンドグラスが飾られている。

 まるで教会のような――玄関という役割には、明らかに不必要なほどの空間が目の前に広がっていた。

 思わず、息を呑む。

 肺に、材木の暖かみある香りと蝋の溶ける匂いが流れ込んでくる。

 それは私にとって異物で――いや、この空間にとって私が異物なのか。

 世界が違う。

 そして、私なんかが存在していい場所ではないと、そう強く思わされた。

 今すぐ立ち去りたいという焦燥に見舞われる。尤も、それで逃げ出せる気概があるのなら、こんな所までノコノコと連れられてきてはいないのだが。

 私が動けないでいると、フィリップともう一人の女性――おそらく夫人だろう――が口を開く。


「いらっしゃい。わたくしはアマンダよ。よろしくね」と言って手を差し出す。

「……」私は応えない。

「ええと、あなたは……」

「アマンダ、この子は名前がないんだ」

「あら、そうなの」

「……べつに、困らなかったから、いままで」

「そう……。あなた、何か、名前を付けてあげたら」

「私がか? ……そうだな、"メアリー"……かな」

「……なんでもいいよ。勝手によんで」

「なら、メアリーちゃん。お外は寒かったでしょう? よければ、一緒にお風呂に入らない? それからお洋服も……」

「そういうの、いいから。……べつにいらない」

「まだ、来たばかりだからな。もう少し、そっとしておいてやってくれ」

「ええ、そうね。わたくしは夕食の用意をしているから――何かあったらいつでも呼んでね、メアリーちゃん」


 それだけ言い残すと、夫人は奥の方へと引っ込んだ。

 物腰は柔らかいが、彼女もまた、その瞳で私の全てをのぞき込んでいる――そんな印象を抱かせた。

 気味が悪い。何もかもが、恐ろしく、偉大で、不気味に思える。

 このホールだって、ちっぽけな私を飲み込んで喰らってしまうのではないか――そんな風に。

 

「彼女は私の妻で、妻もまた超人オーヴァードだ」


 フィリップはそう切り出して、"力"についての説明を続ける。


「妻アマンダは、炎を操る症状シンドローム、<サラマンダー>の使い手だ」

「私は雷を操る<ブラックドッグ>と、キミと同じ物質変化を司る<モルフェウス>の混血種クロスブリード


 私のように、二つの異なる症状シンドロームを発現する者もいる――とフィリップは付け加える。


「キミはもちろん<モルフェウス>だが、その精密な生成は、脳の能力を拡張する<ノイマン>も発症しているかもしれないな」


 目の前の男はそのように推論を述べる。

 ……症状シンドロームか。

 "力"の源、レネゲイドとはウィルスのようなものだ、と車の中でフィリップは言っていた。さしずめ、この異能は病気ということだろう。

 あまりいい気分はしないが、それでも『悪魔』とか言われるよりはマシだ――と思い至って。

 不意に、脳裏に景色がフラッシュバックする。


 ――この、悪魔がッ! ここから出て行けッ……


 視界が赤く塗りつぶされる。

 違う、違う、違う。悪魔はお前の方だ――


「大丈夫か?」


 その一言で、私は現実に引き戻される。

 肩に手を置き、語りかけるフィリップの姿があった。

 その腕を振り払うと、一歩後ずさって大丈夫だと主張する。

 フィリップは「そうか」と表情ひとつ変えずに呟き、押し黙る。

 重苦しい静寂。反響する雨音が、やけにくぐもって聞こえる。 


「……ここには、私と妻、二人のオーヴァードがいる。そして」


 沈黙を破ったのはフィリップ。


「……そこに居るんだろう、レイチェル」


 廊下の方に振り向くと、そう声を掛ける。

 私もその方向を見やると、小さな影が半身を乗り出してこちらを覗いていた。

 声を掛けられ、一瞬ビクッと体を震わせたその影は、恐る恐る私たちの方へ寄ってくる。

 それは小学生ぐらいの女の子で、ふわっとした銀髪をなびかせ、上品なドレスを思わせる子供服を召している。


「この子はレイチェル。私たちの子供で、この子もまた――超人オーヴァードだ」

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