[2]

 アスファルトを蹴り、バシャバシャと水飛沫を上げながら、生じた疑問を精査する。

 あの男は何者だ? どうして私のことを知っている?

 なぜ私に、『俺とともに来て貰おう』と声を掛けた?

 "威圧"のことを、男は《ワーディング》と呼んだ。

 呼称が存在するなら、何か、誰かによって定義されている行為だということだ。

 つまり、私以外にも"威圧"を使える者が――つまりは、超常の"力"を持つ者が存在すると推測される。

 そしてあの男も恐らく、何らかの"能力者"であるということだ。

 そしてその目的は……? 同じ"能力者"の抹殺? それとも――


 角を曲がり、建物の影から影へと隠れるように駆けていく。

 空気を取り込もうとす口腔に、降りしきる雨粒が流れ込む。

 焦りが思考を掻き乱す。

 威圧ワーディングが効かない。こんなことは初めてだ。

 ソレがあったからこそ、今まで危ない目に遭わずに済んだのに。

 恐れという感情が心の中に蘇ってくる。背筋が冷たいのは、決して水浸しだからじゃない。

 そんな極度の錯乱の中でも、脳が、この区画から抜け出すルートを構築し、身体を操っていく。

 とにかく、今は逃げるしかない。狼狽する私を切り離すように、手足を前に動かし続ける。

 そうして、幾つもの入り組んだ路地を通り抜け、やっと大通りに出られると思った矢先――

 、男は私の眼前に現れた。


「無駄だぜ、お譲ちゃん」


 男は拳を握ると、私の腹部へと打ちつける。

 細い腕だったのに、まるで棍棒か何かのような質量が体に掛かって。

 とてつもない衝撃とともに、私は宙へと投げ出された。

 今までの人生で感じた痛みなど、痛みと呼ぶのも烏滸がましくなるような、強烈な感覚。

 そのまま地面に打ち付けられて、仰向けのまま動けなくなる。

 熱い。体が灼けるようだ。

 血潮が雨で滲み、服を、アスファルトを薄い紅で染め上げていく、

 かは、と血を吐く。鉄の味。息をするたび全身に激痛が走る。

 気管に残った血液が呼吸の邪魔をして、途方もなく苦しい。意識が朦朧とする。


 ――死ぬ――?


 それまで遥か彼方の存在だと思っていた彼岸が、突如すぐそこに現れて困惑する。

 どうしてこんな目に遭っているのだろう。

 一体何を間違えたのか。

 ノイズのように響く雨音に混じって、男の足音が近づいてくる。


「たくよぉ、ちょこまかと逃げるから、濡れちまったじゃねぇの」


 そんな呟きが、耳を通り過ぎていく。

 ……ああきっと、これは罰なんだ。

 物質錬成なんて、大それた力に目覚めてしまった"罪"。

 そして、その力を無節操に振りまいた"罪"。

 そして――……を…した、最大の"罪"。

 あの男はそんな罪人を裁く為に、冥府から遣わされた死神。

 だから――これは仕方のないことなんだ。

 そんな迷妄に取り憑かれるようにして、意識を手放していく――

 その時だった。

 不意に、視界が白く光る。

 

「グギャアァァッ!?」


 男の悲鳴と雷の轟音が空間をつんざき、焦げ臭い匂いが辺りに満ちる。


「ふう、雨のおかげで助かった」


 別の男の声。


「大丈夫……ではなさそうだな。少し待っていろ」


 その男もまた、私に近づいてくる。

 今度は一体何なんだ? 碌に頭が働かない。

 来るな、と叫びたいところだが、生憎声は出ないし体も動かせない。耐え難い痛みだけが今の私を支配している。

 男はやがて私のすぐ側まで来ると、私に手を翳す。

 ああ、結局、殺されるのかな。

 身構える私の体に、一瞬電流が流れた。

 途端に、体の痛みを感じなくなって。

 けれど意識は鮮明になり、だんだんと視界が開けていく。思考が明瞭になっていく。


「まだ、動かない方がいい。失った血が元に戻るまでには、時間が掛かる」


 視点をずらして、その男の方を見る。

 眼鏡を掛けた、長身の男性。


「私の名はフィリップ・ハワード。キミを助けにきた」


 それが、"彼ら"との最初の出会い。

 雨は変わらす、ざあざあと降り続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る