[1]
十三になった頃だったと思う。
『ねぇお母さん、見て!』
私は無邪気に笑いながら、母の前でパンひとつを"錬成"してみせた。
ただ、役に立つと思って。
褒めてもらえると思って。
――その日、私は棄てられた。
* * *
英国の、とある田舎町。
ざあざあと雨が降り注ぐ路地の隅で、濡れた真っ白な衣を絞りながら、私は踞っていた。
寂れた住宅街の跡地。
私以外に人の気配はなく、砕けたアスファルトや朽ちた木材の壁面が、退廃的な雰囲気を感じさせる。
ひゅうと、風が吹き抜けた。肌に引っ付いた服に掛かって肌寒い。
濡れたくなければ、傘のひとつでも"錬成"すればいいだけの話だ。けれど、今の私にはそれをする意義を見いだせなかった。
雨に濡れたって、病気になるわけでも――死ぬわけでもないのだから。
雨足はどんどん強くなり、軒下の貧相な屋根では風雨を凌げなくなって。
追いやられるように、廃屋のひとつへと足を踏み入れる。
暗い。
軋む廊下を進んで、一番近くの部屋に上がり込むと、乱暴に腰を下ろす。
床が大きく弛み、下にいたネズミか何かが走り去っていく音がした。
……疲れた。
家を追い出されてから、一年ぐらいは経っただろうか。
幸か不幸か、飢え死にすることはなかった。食べ物はいくらでも作り出すことができたからだ。
食料だけではない。水も、服も、お金だって、何でも生み出すことができる。
その上、私に悪意を持って関わろうとしてくる輩は、少し"威圧"すれば、簡単に無力化することができた。
そんなだから、命の心配というのは、この放浪生活においてもほとほと無縁だった。
尤も、誰と関わるわけでもなく、ただただ無為に生命だけを繋ぐこの現状を、生きていると呼ぶかは甚だ疑問ではあるが。
……腹が減った。
落ちている木の破片を適当に拾い上げると、しばし考える。
腹は膨れさせたいのだが、特に食べたい物のイメージが湧かない。
『なんでもいい』では錬成できないのが、この能力の面倒な所だ。
しばらく思案していたが、何も思い付かなかったので、いつものように一欠片のパンを作り出すと、そのまま口の中に押し込んだ。
ぎしぎしと、風が家屋を揺らす。割れた窓から雨が吹き込み、たいして乾いてもいない服に新たな染みをつくる。
大した咀嚼もせずにパンを飲み込むと、より部屋の隅の方へと体を引き摺っていく。
こんな生活が、いつまで続くのだろうか。私は何がしたいのだろうか。それすら考えるのが億劫で。
自ら命を絶つというのは、さらに輪をかけて億劫だった。
……どうでもいい。
目を閉じて、暗闇に堕ちる。
とどまることを知らない大雨が、視界を塞いだ私へ、より耳障りに響く。
だがそれも、やがて遠くへと霞んでいって――
「こんにちは、お嬢ちゃん」
微睡みは、男の声によって遮られた。反射的に飛び起き、臨戦態勢を取る。
部屋の入り口に、スーツの男が立っている。暗闇に溶け込むような、全身黒づくめの服装。
――気配がしなかった。
いかに今まで命の危険が無かったとはいえ、周囲の警戒を怠って眠るほど愚鈍ではない。
ましてや、この閑散な住宅の墓場だ。接近する存在があれば、察知するはずだと思っていたのだが。
雨音に紛れ、近づいてきた? そう考えを張り巡らせた時、ひとつの大きな異常に気付く。
……この男は、雨に濡れていない。
コイツは危険だ。本能がそう告げている。とっさに"力"を辺りに拡散させ、"威圧"を行う。だが――目の前の男は倒れない。
「《ワーディング》か……当たりだな」
「……ッ!? なんで……!?」
「嬢ちゃんが、<モルフェウス>の少女だな。俺とともに、来て貰おうか」
口角を上げる男。顔を引き攣らせる私。
知らない言葉。未知の状況。疑念。混乱。動揺。
それらの理性の停滞が私を動けなくする前に、身体が疼いて。
刹那、私は窓から外に飛び出した。
窓にへばりついて残っていた、ガラスの破片が体に突き刺さる。
痛い。――久方ぶりの、肌を裂かれる感触。
でも今は、そんなものに構っている場合じゃない。
逃げなくてはならない。
裏手の路地、大きな水溜りに着地すると、雨の中を私は駆け出した。
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