もう二度と同じ過ちは
ですがそれは、ヒロ坊くんの器の大きさもさることながら、何より千早自身が沙奈子さんに対して強く当たっていたことを反省できたというのが大きかったと思います。それがなければ、いくらヒロ坊くんでも千早を認めることはできなかったのではないでしょうか。
そう。だからこそ、自身の行いを省みて、それを悔い、改めることができるというのが大切なのだと分かります。
それも、口先だけ、上辺だけの謝罪ではなく、
<もう二度と同じ過ちはしないという誓い>
としての反省が必要なのでしょうね。そして千早はそれができてるのです。
だからこそ、沙奈子さんに強く当たった時と同じことを、ヒロ坊くんに対してはしない。
もしこれで、沙奈子さんにしたのと同じことをしていれば、『反省していない』と受け取られても仕方なかったでしょうね。
ですが、千早は、自身の<反省>を、行動によって示した。
それが目に見えることで、納得もできるのです。
けれど、千早が反省できたのは、
『反省できるだけの心の余裕』
があったことも事実だと思われます。
世の中には、自身の間違いや過ちを決して認めようとしない方が少なからずいらっしゃいます。かつての私もそうでした。
自身の行いが決して適切でないことを認めようとせず、上手くいかないのは常に自分以外の誰かの所為であると考え、故に反省などせず、謝罪も口先だけのものでしかなかった。
思えばそれは、自身の間違いを認めてしまえばもうすべてがお終いだというような強迫観念が背後にあったのだと今なら分かります。
心に余裕がなかったのです。
自身の過ちを認められるだけの余裕が、
当時の私は、両親に自らの存在を認めさせたいが為に、そうすることでしか自らの価値を示すことができないと思い込んでいたが故に、自分は決して間違わないと、間違っていてはいけないと思い込んでいたのでしょうね。
でもその思い込みを、イチコが融かしてくれたのです。彼女が、私を受け止めてくれたから、私は自身の過ちを認めても大丈夫なのだという余裕を持つことができたのだと感じています。
私はイチコにしてもらったことを千早にしてみせたにすぎません。
それにより、私と同じように千早も救われ、そして自らの過ちを認め反省するだけの心の余裕を持つことができたのでしょう。
最初に、教師に諭された時に口にした謝罪は、おそらく反省したからというものではなかったでしょう。ただその場を取り繕うために、その場しのぎのものとして口を吐いて出ただけのものでしかなかったのだと思います。
私も同じでしたから。
しかしその後、改めて反省し、それを行動で示すことができたのです。
それが、今の千早に繋がっているのだと感じているのです。
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