感情がそのまま

「美味しい、美味しいよ! 千早!」


千早の作ったケーキを一口食べたカナは嬉しそうにそう声を上げました。


私も一口いただき、


「ん、美味しい」


と声が漏れます。


「美味しい」


「美味しいね」


「美味しい」


ヒロ坊、イチコ、フミも口々に千早のケーキを絶賛します。


だけど本当に美味しいのですから当然と言えば当然でしょうが。


それに千早が、


「えへへ♡」


と照れくさそうに頭を掻きながら、でもどこか自慢げに笑顔になっていました。


その様子に私の胸はあたたかいもので満たされていきました。なにしろ千早は、こうして磨いた腕で自分の家でもケーキを作り、お姉さんやお母さんにも振る舞ってあげようと考えているのです。


自分を虐げた人達に……


特にお姉さんは、失敗したホットケーキしかくれなかったそうなのに。


しっかりと大切にされ、心が満たされている人はこんなにも心に余裕を持てるようになるのでしょうか。


世間では、他人から見るといかにも大切されていそうな人でも、酷く我儘で横暴で自己中心的な人がいるそうです。


まさに、かつての私のような。


ですがそれは、他人からは大切にされているように見えても、実は満たされないものがあるのかもしれません。


私の場合は、幼い頃に両親が忙しくてほとんど家におらず、ベビーシッターと共に暮らした頃の寂しさが根底にあった気がします。


または、<愛情に見せかけた過干渉>により自我が十分に育たなかった事例とかでしょうか。


何もかも親が先回りしてしまい、子供が自分の意志で行動できなかったりすると、なんでも自分の意のままになることが正しいのだと思い込んでしまう感じかもしれないと思うのです。


そう、親が、子供のすべてを意のままに操ろうとしているその姿を見倣ってしまって、他者が自分の思い通りにならないと気が済まないという。


私達の関係はそうではありません。必ずしも常にお互いが相手の思い通りにはならないのです。だからこそそれぞれに言葉を重ねて妥協点を見出し、折り合いをつけるということが自然と行われていました。


しかも、それでいて相手のことはきちんと認めているのです。


千早はその中で、意図せず学んでいったのでしょう。本当に素晴らしいことだと思います。


だから、もう、自分を虐げてきたお姉さんやお母さんのことを必要以上に恨まなくても済むようになれたのかもしれません。


お姉さんやお母さんに対して<相応の報い>を受けさせてはいませんが、千早がそれでいいというのであれば私ももう口出しはしないでおこうと思います。


『千早を虐げてきたお姉さんやお母さんに相応の報いを受けさせるべきだ!』


という想いもないわけではありません。だけどそれはあくまで<私の感情>に過ぎないのです。そして、私の感情がそのまま認められる訳ではないという現実を、私は理解できているのです。


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