その人のままで

社会には、<犯罪者の家族>というだけで犯罪者本人と同一視して、


『一族郎党、死刑にすればいい』


などと暴言を吐く人もいます。


……いえ、私が<暴言>と言うのは適切ではないでしょうか。なにしろ私自身、かつてそれに近い考え方を持っていたのは事実なのですから……


私はさすがに、


『遺伝子によって犯罪者になるかどうか決まる』


などというオカルトは信じていませんが、家族として一緒に暮らしていると少なからず影響はあるでしょうし、そもそも犯罪者を生み出す環境がその家庭にはあるのでしょうから、そこで暮らす人が犯罪者になる確率は、そうでない環境で育った人に比べると確実に高いだろうとは考えていました。


故に、場合によっては家族全員を社会から隔離する必要があるのではないかと考えていたことは紛れもない事実です。


ですから、私が、『犯罪者の家族は、一族郎党、死刑にすればいい』と発言する人を強く非難するのは、まさに自分を棚に上げている以外の何ものでもないのでしょう。


私には、そういう方々を強く非難する資格はないのかもしれません。


ただ、それは結局、自らの首を絞める行為であるということだけは理解した方がいいとは思うのです。他でもない、自分自身の為に。


そして、自分の大切な人の為に。


『犯罪者の家族になら何を言ってもいい』


そのようなことを許していては、それがいつ、自分の身に降りかかってくるか分かりません。どのような人でも、何かの弾みで事件を起こし、犯罪者になってしまう可能性だってあるのです。


自動車の運転中の<ひき逃げ事件>など、まさにその最たるものでしょう。


事故を起こしてしまい、気が動転して咄嗟に逃げてしまった。


逃げてしまった時点でそれは<事故>ではなく<事件>となり、<犯罪者>となってしまうのです。ましてや死亡ひき逃げ事件ともなれば、世間がどれほど冷酷に犯人をなじり、罵倒するか、知らない人はいないのではないでしょうか。


自分の家族がもし、死亡ひき逃げ事件でも起こしてしまえば、たちまち自身も<犯罪者の家族>となってしまいます。


そうなった時に、自分が<犯罪加害者>を罵っていたのと同じことが自分の身に降りかかってきた時、本当にそれを当然のこととして受け入れられるのでしょうか?


カナの身に起こったことを間近で見てきた者として、そのようなことは到底できないという実感しかないのです。


『レイプ犯と死亡ひき逃げ犯を一緒にするな!』


とおっしゃるかもしれませんが、世間はそんな区別をしてくれますか?


ヒロ坊くんもイチコも山仁さんも、そもそも犯罪者家族だからといって罵ったりはしません。その人はその人のままで受け入れてくれるのです。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る