第5話
これが母との最後の散歩になるかも知れないと、相原洋介は覚悟していた。
八十代の中場に差し掛かっている母さんの顔は、最早表情が読み取れないほど老け込んでしまっている。顔中の肉が皺によって割れ目を作りながら垂れ下がっている。その重さのせいで表情を変化させるのも一苦労なのかも知れない。重ねられた非常に厚い年輪の奥で、母さんが今何を思っているのかは分からない。
車椅子は進む。親子二人は、自宅から数駅離れた商店街を進んでいた。春から夏の過渡期、花を押し退けるように若葉が茂っている季節に、何十年も昔に住んでいた二人の思い出の地を散歩していた。
会話に合わせてゆったりと車輪が回転する。
「休憩する?」
「いいよいいよ。」
「重いでしょ。」
「そんなことないから。」
「無理しないでね。」
「大丈夫だよ。」
レンガで舗装された以外は、商店街はほとんど昔のまま、両脇に様々な店が立ち並んでいる。それぞれは個々というよりは、一つの建物のように密接に並んでいる。それは物理的な繋がりだけではなく、商店街全体の雰囲気が、醸される黄ばんだ障子のような空気によって一色になっている。時折ある店と店の隙間には、それを塗り潰すかのように、葉を茂らせた入道雲のような木の枝が突き出ている。
軽い車輪の音と共に、向かいからお婆さんがやって来る。母さんと同じくらいの歳だろうか、短い白髪、薄い黄色のシャツに毛玉だらけの紫色のセーターを重ね着し、白のパンツを履き、小さいタイヤが付いた鼠色のバックを杖代わりに押しながら歩いて来る。お婆さんを構成する要素の一つ一つが不自然なほど見事に調和している。もしかした昔にこうして通り過ぎたことがあるかもしれない。
老婆が親子に会釈しつつ通り過ぎる一瞬、母親に向かって若干憐れんだような顔をしたことは、二人の話題には挙がらない。軽い車輪の音を背後にしながら、何を買うわけでもなく、親子は商店街を老いた街並み以上にゆっくりと進む。
昔に比べると、人はまばらで静かだ。平日を選んだせいだけではないだろう。以前のここは、商店街というよりは祭を貫く一本道のようであった。脇を彩る出店の数々には常に多くの往来する客が立ち止まっていたし、その喧騒を飛び越える大きな店主たちの大声が響いていた。全体が華やかで、年中ハレの日といった場所だった。子供の頃の思い出であるから美化している部分もあるだろうが、それを差し引いても寂しくなってしまったのは間違いない。道も昔に比べて痩せて細り、ほつれている。唯一見つけた人だかりの中心には青果店があり、大安売りの真最中であった。
野菜と果物が押し寄せる波のように大量に積まれている。その波と向かい合うように手を挙げながら我先にと注文する人々の向こう側から、店主の目がこちらを覗いているのが見えたが、通過の一瞬を超えると、その視線は背中の束に消えた。思わず目を逸らした際に見えた、太ったビニール袋の幾つかと、数珠の巻き付いた血管の浮き出た腕、カーペットのように重そうなスカート、連続する膝、そして簡素なサンダルを思い出した。
日はまだまだ高い。雲は多いが、あっという間に過ぎてゆく。額の真ん中から浮いた汗が、耳の方に流れてゆく。影がどこにも隠れることができない程辺りが明るいのだから、口にはしないが母さんもきっと暑いだろう。毛は邪魔なほど残っており、ここから見ると大型犬のようだ。きっと暑いに違いない。その証拠にさっきより息が荒くなっている。こちらの心配に気付いてか、母さんは「懐かしい店だね」と古本屋の前で呟いた。
車輪が音を立てずに止まる。
小さい古本屋は、店というより本棚が集合しているだけのように見えた。店の入り口の壁は本の背表紙で形作られている。元々は道の真ん中まで店が続いていたのを、途中で切断したかのような店構えである。断面のような入り口からは、この古本屋の髭の薄い老店主が、膨大な書物の影の中で埃を叩いているのが見える。ここからは桃色の束が忙しなく動くのだけがやけにはっきりと映る。
「お久ぶりです。」
母さんが店主に声を掛けたが、出て来ることもなく埃を叩き続けている。俺が声をかけると驚いた顔をしたが、気付いてもその場でこちらの様子を見ているだけだった。沈黙に白旗を挙げたのは母さんの方で、俺たちはそこを後にした。
「知り合い?」
「気のせいだったかもね。」
親子が歩く商店街は、徐々に潰えてゆく。店はその数を減らし、辺りは簡易的な紐の囲いで区切られた空き地ばかりが目立ち始める。所々に雑草が茂る砂利っぽいそれらの場所には立て札一つない。こんな場所なぞ誰かに侵入されても構わないというような、あるいは侵入しようとする人間などいないと断じているような扱いである。遠くの方で、石に絡まった生ゴミであろう人工的な何かをカラスが突いている。
いつの間にかレンガがアスファルトに変わり、店の代わりにガードレールが脇を埋めている。四角い土台に刺さったバス停の看板の横を慎重なエンジン音が通過する。破られた静寂はまた直ぐ元の形に修復される。しばらく歩くと持て余したかのように広い交差点に出る。嘘っぽい新緑色の歩道橋に近付く。越えて行こうとしたが、中央の階段の両脇の坂に車輪が掛かった時、急こう配に委縮してしまった。数年前ならなんとか昇り切れただろうがこの年では厳しいだろう。
「向こうから行こうか。」
母さんが黙って頷く。大人しく信号が変わるのを待つ。歩道橋の裏の空洞に細い骨組みが通っているのが見える。煤に気候のせいか渇きを感じる。全体像を捉えようとしているのか、無意識の内に反対側の嘘っぽい新緑色の一線が気になる。その歩道橋の手すりをなにやら赤いものが三つ四つ滑空している。その赤いものが角を越えてこちらに向く階段を駆け下り降りて来る。現れた下校途中の小学生たちが、あっという間に歩道に降り立って居なくなる。
横に居たヘッドフォンをした人が歩き出す。背後から見るとパーカー姿の小柄な若い男性で、高校生くらいだろうか。いや曜日と時間帯を考えると彼は大学生かもしれない。
公園に向かっての曲がり角が近付く。行き先に従って車椅子は徐々に逸れてゆく。同時に、高、大学生は公園ではない方に進行方向を傾けている。もしかしたら若者の描く進行の矢印がこちらと交差するかも知れないと思ったが、先をゆく彼はそのまま何事もなく歩いてゆく。
後輪を残して地を離れ、破砕した歩道の欠片を踏みつぶしながら車椅子がゆっくりと九十度向きを変える。
近付くにつれ、車道の反対側には木々が目立ち始める。奥行きも広がってゆく。
持て余しているほどやたら広い公園の入り口には仕切としての鉄のアーチが並んでいる。車を駐車場に誘導するための四角形のそれらの隙間を抜けると昔よく遊んだ公民館が見える。壁に埴輪であろうか、目と口が穴になっている人間やら鳥やらのオブジェが一体ずつ大きく張られている。それらには彩色がなく壁の灰色で統一されており、見ようによってはただの凹凸のようにも見える。公民館の近くには職員のものと思われるママチャリが一台止まっている。籠の光沢は木々に溶け込んでいる。
太い幹で隠れているのだろうか。暫く進んでも人が見当たらない。余りにも俺と母さんの二人きりなので、少し声が大きくなる。
「気持ち良いな。」
「そうだね。」
「自然は良い。」
「うん。」
「またこの辺りで住みたいと思う?」
「そうしたいけど、病気があるし。」
「そうか。」
「そうだね。」
親子の会話はいつもこの調子で僅かなやりとりで途絶えた。沈黙している時間の方がずっと長く、しかし気まずさはなかった。何十年も一緒に暮らしていると自然と会話も少なくなる。ふと鼻歌を始めた子に母が呼応する。やがて鼻歌は発声され、大きな音になってゆく。そのメロディを具現化したかのような爽やかな風が新緑の間から抜けてくる。親子は非常に良い気分になり、揚々と歌い続ける。
公園を貫くアスファルトの道を車椅子は進んでゆく。
前方に昔良く遊んだ遊具が見える。まだまだ距離があるが、馴染みの光景なので容易にその姿を思い浮かべることができる。縄で出来たトンネルを潜ったり、雲梯に乗ったりぶら下がったりなど等、様々なコーナーが用意されている木造のアスレチックの端からは、左右に蛇行しながら下る鉄製のすべり台が垂れている。子供の頃は「ゾウのアスレチック」と呼んでいたその遊具には今となってはとても乗り込めない。
ゾウのアスレチックの上部には木製の球がオブジェとして設置されている。地面からだと大人でも届くかどうかという中々の高さだ。ふと、父さんを思い出す。俺を肩車してその球に触れさせようとしたあの人は、最期の最期、心電図が直線を描くギリギリまで俺と母さんの先行きを案じていた。自分に死期が迫っているのを感じたのか、風呂場で倒れてからベッドで息絶えるまでの数時間の間ずっと俺たちに語りかけていた。そのほとんどは呼吸器のせいで乾いた息となって漏れてしまったが、目元の険しさと俺の手を握った力強さにメッセージの内容を読み取ることができた。それに対し俺と母さんは繰り返し「大丈夫だから」としか答えるしかなく、安心させるための具体的な根拠は何一つ伝えられなかった。そうして父さんは呆気なくこの世を去った。
悲痛な顔を自分がしていることに気付く。心配していないか母さんの表情を伺ったが、相変わらず笑っているような、泣いているような顔をしている。もう一度歌を始めようとした矢先、母さんの視線がゾウのアスレチックから若干逸れたところに向かっているのに気が付く。
前方の道から外れた草木の上に数人の子連れの女性がいる。厚い赤線と細い黒線のチェック模様のレジャーシートの上に女児向けのアニメキャラクターが描かれた水筒が置かれているのを見ると、ママ友たちが昼飯時を共に過ごそうとしているようだ。
デニム地の抱っこ紐の中に、耳付きの白い帽子を被った赤ちゃんが収まっている。その母親の目がこちらを見た一瞬、赤ちゃんと同じように不思議なものを見る時の形に変わり、そして憐れみの潤みを帯び始める。
見慣れている目だ。俺も母さんも慣れ切ってしまった。ずっと昔から、俺たちは「可哀想な親子」として世間に受け入れられて来たのだ。
相原洋介は、片目だけで相手を見返している。両目でそうしたいところだが、それができるなら苦労はない。
筋萎縮性側索硬化症。端的にいうと全身の筋肉が動かなくなる難病を患っている相原洋介は、首が捩じれているために顔の片側は車椅子の手すりに預けておくしかなく、よって片目は余り使えない。そして足も、腕も捻転しほとんど自由が効かない。
きっと彼女は自分の容姿を奇怪に思ったことだろう。
「休憩する?」
相原洋介は母親にまたもそう尋ねた。
「いいよ、いいよ。」
母親はそう返し、老体に鞭を振るって、息子の乗る車椅子を押し始めた。
これが最後の散歩になるかも知れない。母さんが死んだら、俺を押してくれる人はいなくなる。そしたら俺は、どうすれば良いのだろう。
ゾウのアスレチックまでにはまだ距離がある。果たして、あそこまで行けるだろうか。
・・・ガタンゴトンガタンゴトン・・・
突如見事に、相原洋介の母親に息子の血飛沫が掛かる。一色に染まった老婆は、息子に身を預けられていたため、被害は絶大であった。
だが二人は「現実」の中で生き続けている。そしてそれを間近で見ている若い母親たちは一人として血を受けなかった。彼女は「現実」内の、親子と関わり合うことはない遠いところで生活しているのである。
しばらくの間不思議田ナゼなん太郎の思考能力は沈黙した。寄生によって宿主の主観に自分の主観を重ねると、相手の感情に対しての共感力が危険なほど向上する。寄生が終わり相手の肉体から出た後は、休憩を挟まなければ人間と自分との境界線を元通り明確な形にすることができず、離れた肉体を他人だと断じ、この肉体を自分だと断ずることができずに混乱し続けてしまう。
離れてゆく重々しい車輪の音を聞きながら、不思議田ナゼなん太郎は業務を行う自己を少しずつ取り戻した。特殊な形の型にはまったせいで凝り固まった体をほぐしてゆく。体表を伝う液体の内、自分から出た汗を理解して、己の輪郭を取り戻してゆく。冷たい風が瞼の裏の暗闇に置かれた体にかかる。それをきっかけにふと、彼は満身創痍ながら働く女性に寄生していた時のことを回顧したが、その女性の名前は思い出せなかった。寝ぼけ眼で冷気の出所を探ると、「現実」の壁に隙間があるのが見える。
「現実」の扉であるそれは、外の暗闇の無機質な空気を内側に取り入れている。少しずつ開いている扉も向こうからやってくる冷たい風は「現実」内の熱気を僅かに和らげている。人と人の間に吹き込み、癒着する肌を少しだけ剥がしている。
対照的に、開いてゆく扉と開いたものの直ぐに再び閉じつつある一人に見える人間たちの間隔を見比べていると、一際大きい人間たちの束が気になる。「現実」の中央の方に位置してしるその束は華々しい飾りによって明るい色調になっている。形作る比較的沢山の人間たちの密着度は非常に大きい。その内の一人に、不思議田ナゼなん太郎は近付いてゆく。
・・・ガタンゴトンガタンゴトン・・・
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