第3話

 畑山、斎藤、小林に、突如大量の血や、肉や骨の破片が混ざった高波が覆い被さる。その驚くべき事象は、須藤恵美の背中が雷のような轟音を立てながら割れたことによってもたらされた。


 「現実」の床に、薄まることなく広がっていく人体の色。人間たちの靴を僅かずつ濡らしながら、また「現実」の果てまで空中を飛び散る液。


 残虐な破壊は、須藤恵美に寄生していた存在によるものであった。中からは、元宿主の人体の一部を散らしながら、彼女に寄生していたものが姿を現し、床に脚を下ろした。そして周囲を眺めた。


 不思議田ナゼなん太郎は、早速次の寄生先を探していた。紐を引かれたクラッカーの中央からやって来たかのような派手な登場の仕方をした異世界からの仕事人は、周囲の目を気にすることなく悠然と「現実」の中を闊歩している。それも奇異な目で見られることに慣れ、寧ろ自分に注目が集まっていることを楽しんでいるというよりは、そもそも「現実」内の人間たちの五感の外側を歩いているという風である。


 定められた務めを果たすべく行動している不思議田ナゼなん太郎の傍には、自分に甚大な傷を負わせた存在と同じように、ずっと変わらない調子で業務に邁進する須藤恵美の姿があり、また彼女の人体の多くを被った須藤恵美にもたれかかっている者たちも、寝返りさえ打たずに安らかにいびきをかいている。不思議田ナゼなん太郎にとって、被害者本人たちに、生死に関わるほどのダメージや、「現実」内に広がる生臭さや、眼が冴えるような赤の存在を気付かせないことなど、造作もないことなのである。


 不思議田ナゼなん太郎は考えていた。


 先程の人間は、表情から推察した通り、「現実」を苦痛に感じていた。データ収集は後何回か行う必要があるだろうが、「現実」内の人間たちの表情が彼らの心情を正確に浮かび上がらせているなら、恐らくほとんどの人間が「現実」における生活を苦痛に感じているはずだ。


 不思議田ナゼなん太郎は手を伸ばしかけたが、やめた。見栄えが痛々しいので先ほど寄生した人間の体を修復しようかと考えたが、仕事人は人間たちの生活への、し得る限りの宿主の主観に沿った観察を続ける上で、そうしない方が便宜上良いと判断したのである。寄生による観察を行った人間には、ラッパの口のように広がった傷口が、数多存在する「現実」内の人間たちによる雑踏の中で、目印として有効になる。と結論付けられたのである。よって「観察した人間」の方に、須藤恵美はカテゴライズされた。そして彼女は不思議田ナゼなん太郎の思索の中心から逸れ、これから先に待っている多くの真っ赤なラッパの口の花畑の一つに埋没した。不思議田ナゼなん太郎にとって、想像したこれから出会う多くの観察対象と見分けがつかなくなった彼女の「現実」内の他者に届かない咆哮は、もう不思議田ナゼなん太郎の耳にも届かなかった。既に興味は、定めた次の宿主に向いていた。


 行われた寄生は、人の栄養を貰い受けようという姑息な風ではなく、職場へと出かける際に作業着を着る職人の様子と似ていた。実際、人間の肉体に侵入しようとする不思議田ナゼなん太郎は、溜息交じりに重い腰を上げて、広い背中を最後に残しながら対象者に寄生した。新しい宿主の顎を外し、広がった入り口に体を、より具体的に対象者の現状を観察するために深く沈め徐々に、青年期を通り終わって数年経った男の生活を知った。今現在宿主が何を考え行動しているのかを細部に渡るまで理解した。


・・・ガタンゴトンガタンゴトン・・・

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