第1話-11

11




マンションに入った一行は先ず、ライフラインがマンションに来ているかを、手分けして探った。




 しかし探ったところで無意味なことを皆、突きつけられた。




 若者たちは、物色へ各部屋へ散っていった。15階建てのマンションの2階の角部屋へ集合することにして。




ただ住民が放置して、逃げざるおえなかった食料を、壊れた扉をこじ開け、各部屋へ入り、確保に勤めた。罪悪感が有るのはもちろんだ。メシアの心にもマリアの心にも。しかし生きるためだ。そう割り切るしかなかった。それでも各部屋の生活感を見ると、メシアにとっては、この部屋の人はどうしたのだろうか? という気持ちになってしまい、気になって手が止まってしまった。




「こんなことして、いいのかなぁ」




冷蔵庫からハムやチーズなど、調理をせずとも食べられる食料を、これも部屋にあった布のバッグへ積めながら、マリアは自責の言葉を口にした。




「生きるためにはしかたないでしょ。甘いことなんか言ってられないのよ。貴女もメシアを心配するなら、覚悟して生き残ることだけを考えなさい。それができないなら、メシアから離れなさい。彼が危険になるだけよ」




棚を物色するエリザベスは、マリアの弱音を両断して、自らの仕事を終わらせると、隣室の物色へと向かうのだった。




入れ違いにキッチンへメシアがやって来た。彼女の顔色の変化をすぐに見てとった。




「エリザベスとなにかあったか?」




ここでマリアは初めて、メシアが横にいることに気づき、




「大丈夫、何でもない」




 と、無理に作った笑顔を押し出した。




もうここには食べられそうなものがない、と言ったように、部屋の玄関へ彼女は向かうのだった。この時、マリアはエリザベスの気持ち、女の心を見た気がした。




1時間後、一行は神父が物色する前に予定していた、15階建てのマンションの2階の角部屋へ集合していた。




角部屋の住人は避難したのか、あるいはデヴィルズチルドレンに喰われたのかは分からないが、室内は一瞥しただけで、慌て部屋を出たのが、クローゼットの荒れ方、ダイニングの朝食の放置のされかたなどで分かった。




リビングに集まった一行は、食料と逃亡に使えそうな衣服、毛布などを広げた。




「たいしたものは残ってねぇなぁ」




軽口を叩くイラートと言えば、どこの少年が遊んでいたのか、ベレッタM92のモデルガンを1つだけ、手にしていた。




これには全員が苦い笑みにしかならなかった。




エリザベスが、神父が手にする電気ランプの明かりでも分かるほど、顔を赤くして、手を振り上げた。




頬がひっぱたかれる音が高くなるとばかり思っていた一行はしかし、全員が予期せぬ、ドアが開く音がして、緊張の糸がピーンと張った。




 マックス・ディンガー神父は愛用のMAXI8 アンリミテッド リボルバー ABS SVを構え、ベアルド・ブルはH&K XM8の銃口を部屋の玄関へ向けた。




 メシアは身構え、マリアの自らの背中に隠す。




 ファン、エリザベスは今までの物色行為で発見したバール、金槌を構えた。




 イラートはというと、自慢げにモデルガンを構えるも、そこに脅威は微塵も感じられない。




 マンションの土台が傾いているせいもあって、開くドアは甲高い金属音を響かせた。この場に化け物どもが殺到したら、窓から地上へ落下するしかない。そのために神父はこの2階の部屋を集合場所に選んだ。




 今日見てきた、人肉の光景が全員の脳裡を、馬のように走り抜け、いちじんの不安が風の如く胸を抜けた。




 ドアがゆっくりと開き、脂汗の匂いが室内に充満すると共に、数個の人影が室内へ入ってきた。緊張の度合いが加速度的に上昇した。




 若い兵士が引き金に指先を掛けたその時、思いも掛けぬ声が人影の中から上がった。




「マリア、マリアじゃない?」




 自分の名を思わぬ形で呼ばれたマリアは、小さい頭をメシアの後ろから突き出す。




そこに見慣れた顔がランプで浮かび上がり、マリアの笑みが光った。




「マキナ?」




戸惑いつつもメシアの背から出て、ボブヘアでロングスカートの丸い顔をした、マリアと同じ20歳程度の女性へ近づいていく。




「やっぱりマリアだ! えっ、どうして?」




驚いた様子でこのマキナ・アナズは親友の生存を、眼を開いて喜んだ。




しかし、マリアと一緒にいる面々には、伏し目がちに顔を合わせるだけで、特にメシアを見た時の表情は、いびつさが張り付いていた。




彼もまた、彼女の出現が喜ばしくないと見えて、目尻がぎこちなくつり上がった笑みを被っていた。




丸顔のこの女性は、マリアの親友である。街の教会保育所で、むっつり黙り込んでいたマキナへ幼少のマリアが話しかけたのがきっかけで、親友となった。




お互い、人間関係を広げる方ではないため、学生の頃にもお昼を共にしたり、休息時間を共にするなど、仲がよかった。




ただ、同じくマリアと幼少の頃、教会で偶然知り合ったメシアとは、互いに良くは思っていない。それが今の2人の間に流れた、重たい空気の正体である。




 親友に彼氏ができた。しかもこんな頼りのない男。マキナはその印象から抜けられず、マキナはメシアを嫌っていた。




 メシアもそうしたマキナの態度に、自然と苦手な相手としていた。




「もう、大変だったんだから~」




マキナは堤防が決壊したかのように、言葉の洪水をマリアへと浴びせた。




「話は後だ。とりあえず中に入りなさい」




と、壊れたスピーカーとなりかけたマキナを笑顔で静止し、マックス神父は一行を部屋へ引き入れた。




あ、神父さま、と言いかけてマキナは口をつぐんだ。マリアの義理の父を彼女も好んでいる。よく教会へ遊びに行っていた。




 だが、その物腰の柔らかい神父が手にリボルバーを所持するのを目撃し、眼を剥きながら、後ずさった。




マキナに押される形で、彼女の後ろにある人影も、怯えた羊の群れのように下がっていく。




「大丈夫、心配しないで入って」




このマリアの声色が、何故だか羊の群れへ安心感を与えた。自然とマキナたち一行は、部屋へと殺到した。




瞬間、神父は本部へ意識転送し、部屋の周辺の次元遮蔽を提案、認証された。




この時点で彼らの瓦解寸でのマンション一室は、3次元物理空間から完全に遮断され、何人も出入りができなくなった。




ただ室内からの眺めは、3次元空間と何らかわりなく見えていた。




「食料はありますか」




神父はまず、人数分の食料確保がなされているかの確認をすべく、誰にともなくリボルバーをホルスターへ納め、入室してきた若者たちに語りかけた。




「皆、考えは同じですよ」




 と、1人の男性が進み出てきた。その手には獣を追い、身体を撃ち抜くための猟用の散弾銃が構えられていた。




 黒髪を坊主にした黒人。身長はメシアとさほど変わらない、平均的な大きさだ。細身ながら身体に密着した白く汚れたTシャツからも分かるほど、しなやかな筋肉質の黒人青年だ。年齢は26歳である。




「ニノラ・ペンダースと言います」




 ぶしつけにしゃしゃり出たのをわびるように、名を口にすると銃口を床に下げ、青年は自分の後ろに立つ東洋人系の顔をした大男からバッグを受け取り、中の食料を見せた。




「ここへ避難する前に食料を拝借してきました。生きるためには仕方の無いことですからね」




ニノラはそう言い、黒い顔に白い歯を顔に貼り付けた。




「ちょっと、後ろがつかえてるから、中に進んでくれない」




不機嫌にニノラ、大男の後ろから声が立ち上がった。声色は明白に不機嫌で、甲高く耳に障る。




うんざりだ、と言いたげに、甲高い声の被害をもっとも被る、声を放った小柄な女性の前にいた東洋系の、身体の大きな筋肉の塊の男が、嫌悪の矛先を後ろへ向けた。




「君は口を閉じることを覚えた方がいい」




今日、初対面なのだが状況が本音を引き出し、遠慮は忘却されている。アジアの顔をしたジーンズに黒いシャツを着た黒髪の短髪の大男イ・ヴェンス。年齢は28歳。その言葉にも遠慮は皆無だ。




「入り口の前にあたしを放置するなんて、男としてどうかしてるんじゃない。気持ち悪いあの生き物に食べられたら、あんた責任とれんの」




イ・ヴェンスの太い、筋肉の丸太を叩き寄せ、堂々と室内へ入ると、マリアとマキナを一瞥するなり、




「で、どうするのよ。いつまでも立ってるつもり」




小さい身体から発せられるエネルギーの膨大さに、唖然としている面々は、この自分を中心に世界を考えるフランス人の、茶色い髪が長く癖でねじれていて、赤いカーディガンを羽織ったジェイミー・スパヒッチ22歳に促されるように、リビングへ移動した。






神父、ファン、ニノラ、エリザベス、イが食料の配分を始め、他のものは寝る場所を配分し始めた。




ベッドとソファは女性たちに譲る話をしていたが、ジェイミーがベッドは自分1人が利用すると言い張り、イラートがジャンケンだ、と自らも権利を主張した。




このやり取りを尻目にマキナはマリアを独占し、2人でおしゃべりをしている。




その横では、ベアルドが全員が所有する武器を集め、状態をチェックして、残弾がどれだけあるのかを調べ、他に武器に使えるものがないか考えるている。




メシアはマリアの横に寄り添いたかったが、マキナの依存の様子は、メシアを遠ざけるようであった。




マリアも彼に近づきたかったが、友のおしゃべりは饒舌を極め、横目で彼がベランダへ出ていくのを見るだけだった。




ベランダから望む世界は、今朝までの見慣れた街とは、根底から変貌していた。各所で炎が摩天楼のように立ち上っていた。街に灯りが皆無だが、星空は分厚い黒煙で遮断されているのだけは、夜でも見えた。




粘りの強い腐肉が地面を這うような音が闇に染み、固いものがバリバリと砕け、液体が流れ落ちるような音は、数多の悲鳴と混じり、渦巻いていた。




人が喰われている音だ。ベランダに出てメシアは瞬く間もなく、現実に理解させられた。




「悪夢のようでしょう」




肩に暖かい手を乗せ、神父が食料分配の手配を済ませ、ベランダへいつもの穏やかな表情を闇に光らせながら出てきた。




「現実なんだよな、これって」




確認するようにメシアは言葉を噛み締めた。




「始まったばかりです。これからが人間の辛い時代になるのですよ」




未来人らしい、悟りを舌に巻いている神父の瞳には、今日以後のことが憂いとなってにじみ出ていた。




神父ら自らの憂いを払うように、丸い眼鏡を外した。




「昔は自分が老眼鏡をかけるなど思いもしなかった。上司が同じ眼鏡をかけていたのを、笑っていたものでしたがね。今ではわたしも必要だ」




遠い昔、上司と丘の上で会話をした夏を追憶していた。




が、メシアにはそれどころではない。現在を凝視するのが精一杯だった。




「これはいつまでも、この苦痛はどこまで続く」




メシアの憂いの顔を見て、眼鏡をかけ直し、神父はこの質問に、少し間をあけて、1つ咳払いをして、声を低くこたえた。




「人は戦いのなかで産まれ、戦争が日常となって、戦争の理由も知らぬまま、死んでいきます。そうした時代が来るのですよ。


人類は神話の世界と戦争をするのです」




日常が平穏なもので、安定していたのならば、あるいはメシアも、神父も冗談を言うのか、と笑えただろう。




けれども日常は崩壊した。メシアの前で。だから神父の言動は信憑性をまとっていた。




「どれだけ続く?」




苦痛の入り口をメシアは探した。終わらない戦争はないはずである。




神父は口ごもった。視線は階下へ焦点を合わせ、白髪混じりの髪の毛を撫で上げ、困った様子をみせた。




話しづらいことなのか、メシアはその空気を鼻孔で感じた。 




「娘を、マリアをお願いしますね。あの子は強い子だ。だから強がって我慢をします。弱いところを見せられるのは、甘えられるのは君だけなのです。娘を頼みますよ」




強めに言った神父の声音は、妙に遺言めいていて、彼の胸に不安を吹き込んだ。




この時、2人の様子を鋭く見つめる眼があった。ファン・ロッペンの針のような視線である。




彼はリビングから玄関へ向かう廊下の壁に立て掛けた角材のようにもたれ掛かり、腕を組んでいた。




すると彼の横に、半開きだった扉が内側から開き、エリザベス・ガハノフが凛とした様子で踏み出てきた。




「女性をトイレの前で待ち伏せるなんて、いい趣味とは言えないわね」




壊れた個室に若い兵士が所持していた簡易トイレを置きトイレとしている部屋の前だ。




エリザベスの態度に、片方の口の端を上げて、薄い笑みを浮き上がらせた面長の男。




「考えはまとまったかい?」




いつもと口調やニュアンスの異なる口ぶりは、粘液のような邪悪さをはらんでいた。




だが様子が変わったことを感じていない様子で、エリザベスも軽く笑みを唇に乗せた。




「運命の対峙。わたしの選択が全てを左右するのだから、迂闊には選べないわよ」




シャツの裾を引っ張り、衣服を調えてベランダのメシアを一瞥すると、彼女はファンの面長の顔を見上げ、静かに微笑んだ。




彼女は選択している。ファンは彼女の決断を見たような気がした。




 若者たちの運命はすでに動き出していたのだ。遥か昔、この宇宙誕生以前から。




第1話―12へ続く

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