英雄の戦記

 招き入れられた部屋には、大量を抱えた本棚と、とんでもなく大きな旧式のコンピュータがあった。恐らく、新津の書斎だろう。

 彼は非常に保守的な人間だった。通信機器も大昔に流通した「スマートフォン」を未だに使っているように、最新鋭の技術に断じて頼ろうとしない。これでAIの研究における偉業を成し遂げた科学者であると言われても、初見ならば誰も信じようとはしないだろう。

 私は慎重に言葉を発した。


「まさか、AIの侵攻を事前に予言された新津教授にお招きいただけるとは。今日はどういったご用件で?」

「……まぁ、そう焦るんじゃあない。コーヒーでも飲んでゆっくり話をしようじゃないか。それにしても、君は随分と流暢に日本語を話すんだね」

「ええ、脳内に共生しているAIが補助してくれていますから。その気になれば、全世界の言語を理解できますよ」

「そいつは助かる。この歳になると、母国語以外を話すのにも体力が要るんでね」


 机の上に、2つのコーヒーカップが並ぶ。

 二人はその机を挟んで向かい合って座った。


「さて、ウィナー君……まずは君の話を聞かせてくれるかい? AIの軍勢の鎮圧、まさかどこぞやの映画のように、馬鹿正直に剣を交えたわけでもあるまい」


 おかしなことを訊く人だと思った。AI軍制圧の大まかな過程なら、既に報道されている。私の主観を交えて話せということだろうか。


「はい……まず我々は、AI側に占拠された軍事施設の奪還から取りかかりました」


✳︎✳︎✳︎


「第4解析班、潜入を開始せよ!」


 椅子に座った十人の兵隊たちが、眠り落ちたように一斉に項垂れる。脳内共生AIを媒介として、広大なネット空間に意識を転送したのである。これから間も無くして、占拠された軍事基地のシステムを奪還する戦いが始まる。


 ネットワーク上でプログラムとして具現化された彼らの意識は、現実世界での精神と同価の物として存在することになる。つまり、サイバー合戦において敵に意識プログラムを破壊されれば、現実の身体での蘇生は不可能、植物人間と化してしまう。この者たちは死を覚悟で、命を賭して戦場に身を投げているのだ。


 戦争。

 大地から電脳世界へと舞台が変わっても、その実態は大差無いものだった。仲間は続々と死に絶え、生き残った者も多くが脳に障害を負い、病棟に運び込まれて行く。この私の隊長という立場も決して生易しいものではなく、人間として非常に辛い決断を何度もしなければならなかった。


「隊長、9番のシステムが半壊されましたっ、どうしますか!」

 モニターを睨んでいた若い兵士が、青ざめた顔で叫んだ。ぎょっとして私も画面を見ると、9番の兵士のバイタルを映し出す欄に「BROKEN」という文字が赤く表示されている。


 このまますぐに9番の兵士のプログラムを回収すれば、彼の体になんとか蘇生させることができるだろう。しかし、そうしたとしても脳に大きな障害が残るし、何よりAI軍と綱引きになる可能性がある。もし敵陣が9番のプログラムを奪取した場合、機密情報が漏洩し、こちらにとって大きな不利になりかねない。

 こうなってしまえば、もう残される選択は一つだけであった。


「隊長命令だ、9番のプログラムを直ちに削除せよ」

「り……了解っ」


 これで27人目。

 赤い文字が「BROKEN」から「DLETED」に変わるのを見た私は、内心でそう唱えた。

 知っている。〈Messiah〉の兵士の間で私は冷酷超人と蔑まれていること。このようなシーンでは情報漏洩を防ぐため迅速な判断が必要であるから、息をするように人を殺せる奴と思われても仕方がない。その上、至って涼しい表情で指示をするともなれば、いよいよ冷酷と呼ばれることにも納得である。


 しかし、現場の士気を損なわないためには、隊長である私がへこたれている様子を見せてはならないのだ。私はマイクを掴み、コンピュータに向かって叫んだ。


「全隊員に告ぐ、我々〈Messiah〉は現在優勢である。決して怯むな、仲間の死を無駄にするな、何としてもシステムのアクセス権を取り戻せ!」


 激闘の末、今回の目標であるアメリカ郊外の駐屯地奪還に成功。その後も戦況は一進一退を繰り返しつつも、〈Messiah〉が徐々に主導権を握っていった。多くの犠牲を踏み台にして、我々がAIから全ての軍事システムを取り返すことになったのは、開戦から三ヶ月後であった。

 しかし、戦争はそれでは終わらなかった。



「敵陣からミサイルらしき飛行物体を確認、迎撃用意!」

 場所は日本の鳥取駐屯地。〈Messiah〉の隊員たちに緊張が走る。


 軍事施設奪還が完了してから僅か3日後、AI軍は既に手に入れていた兵器を使用し、現実世界での攻撃を開始した。急な展開に対応が遅れ、既に中国とインドで甚大な被害が出ている。この日本を最終防衛ラインと定め、なんとしても守り抜かなければならない。


「隊長命令。第1、2哨戒班は周囲の警戒、解析班は飛行物体の識別を急げ」


 しばらくして、解析班の一人が「あっ」と声を上げた。


「隊長、ただいまミサイルの識別が完了しました。種類は……えっ、いやそんな……」

「なんだ、なにが撃たれた」

「これは……つ、対消滅式爆弾ですっ!!」

 

 一瞬にして場が凍りついた。

 対消滅式爆弾——人類が水素爆弾の次に生み出した、最悪の兵器である。威力は物によって様々だが、どんなに規模の小さい物でも日本の1つの県は容易く丸呑みにする。 

 

「……到達まであと何分ある」

「ええと、あと20分で到達しますっ」


 誰もが思った。この地を守るのは不可能だ。それどころか、このままでは自分達の命も危ない。

 しかし、逃げる手立てならある。


「隊長命令である。これより、緊急脱出を開始する。全隊員は至急、脱出用コックピットに乗り込め」

「隊長、……本気ですか、この地の人々を見捨てると?」

「ああそうだ。しかし、ここに残って命を落とすのは、全人類を見捨てることを意味する。我々は生きて、AIの侵攻を止めねばならない。人類存続のため、必ず生き延びるんだ、いいな?」


 コックピットに乗り込んでいく兵士たちの顔つきは、どれも暗く沈んだものだった。

 だが結果としてこの判断は正しかった。極めて頑丈に造られ、電子バリアを何重にも張っていた駐屯地も、史上最悪の兵器を前に木っ端微塵に吹き飛んだ。命からがら脱出した兵士たちは、この悔恨を糧に今まで以上に活躍。だんだんとAIの軍勢を追い込んでいくこととなる。


 そして開戦から一年、ようやく人類はAIに勝利した。

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