『たまには、時事ネタ』斉藤美奈子 パート1
中央公論新社の、
『たまには、時事ネタ』(斉藤美奈子)を読みました。
2001年1月から2006年12月までの時事問題を、
斉藤さんの視点で、中央公論新社らしく
語っています。
エッセイと言うよりはコラムなので、文芸的とは言えませんが、
2020年も、もうあと3ヶ月半。
たまには、過去のことを振り返ってみるのも、
アリだろうなと思って、この本から、気になった記事を部分引用し、
それについて、わたしの思うことを、
コラム風に、つらつら書いてみようかと思うのであります。
随筆に書くと、描写したり対象に沈潜したり
いろいろ、手間が掛かる割には、読んでくれない人が多いからな(だからネットって……)
まずは、北方領土の話。
これは、尖閣諸島問題と関係があるな、と思いつつ、読んでいました。
2002年1月から2月にかけて、鈴木宗男がやったことについて、斉藤美奈子はつらつら書いているんですが、
詳細は本を読んでいただくとして、ちょっと引用。
「(北方領土を返還するということで)領土の拡張を『国益』と考える発想はもう古いのではないか」
これと同じ事を、ホリエモンも言っていた記憶がある。
要するに、領土を争うより、実際の利権をわけあったほうが、建設的で実利的という意見。
北方領土が大事なのは、漁業と関係があるから。
おなじように、尖閣諸島が問題になっているのは、領土ではなく、資源がそこにあるからです。
利益が発生しているところに、争いはあるというのは
いまさら言うことではないのですが、
そこを「領土」というところに、コスい感じがあるわけですね。
そもそも、すでにインターネットで、国境というものはなくなりつつある。
言葉の壁はあるけれど、身振り手振りを見てりゃ、なんとかわかることも多い。
それでも領土がほしいっていう基準はなんだろう。
その土地にいる人を取り込んで、「日本人」にするのは、パレスチナ問題と似てるぞという
斉藤美奈子を読んでると、うなずくこともある。
日本人同士だって、方言の違い、土地柄の違いなどがある。
違いがある日本人が、同じ日本人だと安心していられるのは、背景に天皇(国民の象徴)がいるから。
つまり、日本の場合は、
外国人にも、天皇のありがたさを感じてもらおう、という
無謀な思慮があるのかもしれないな、と思ったりもする。
戦時中に、「天皇陛下」のためという口実で
東アジアや特攻のひとたちなどがどうなったのか、
考えてみると、ちょっとこわいかもねえ。
領土問題。歴史を見ていると、いろいろな考え方があるのがわかります。
歴史的にながい伝統のある考え方を変えるのは、
並大抵の努力じゃおっつかない。
根深い問題です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます