わたしのFBコラム「サザエぼんと表現の自由」
FBのコラム「サザエボンと表現の自由」
以下は随筆というよりわたしのコラムです。
非常に有名な話なので、ご存じの方も多いでしょうが、過去に「サザエぼん」という作品が、発表されたことがあります。
これは、同じコメディということで、「サザエさん」と「バカボン」を融合させたセンセーショナルな作品で、「表現の自由」を巡って裁判にもなりました。結局は著作権違反で「サザエぼん」は巷から抹消されました。
わたしは、この「表現の自由」と「著作権」について、関心があります。
なぜなら、知識を告げると言うことは、著作権違反にならないか、ということが、常にこころのどこかにあるからです。
その知識、事実を単純に言うことによって、人によっては宣教と受け取られ、人によっては噴飯ものの浅薄な知識になり、人によっては「研究を勝手に使われた」と思うことでしょう。
そこで、サザエぼんです。
わたしの拙い知識で表現できるキリスト教は、しょせん「サザエぼん」程度なのかもしれない。
異質なものをまんま組み合わせて、「著作物でござい」と言っているのかも知れない。
異質な考え方を融合させるには、時間と手間と職人技と、特別な才能が必要のはず。わたしは、もしかしたら、とんでもないことをしているのかもしれない。
キリスト教の固定的イメージを、わたしのバカボン的発想がぶち壊しにする。
しかし、それに替わる、新しい代案を持っているか?
となると、表現の稚拙さや思考の硬直化などが邪魔をして、上手に言えない。
しかしわたしは思うのです。
いろいろな小説の背景には、その人の培ってきた経験や知識などがあります。わたしは、そういうものを知りたい。
わたしは経験不足ですし、安価で人の経験が追体験できるのは、小説や童話、ネット小説などでしか、考えられません。(テレビドラマは、朝ドラぐらいしか見てなかったりします)。
聞くは一時の恥と言います。だれも完全な人はいない。浅はかと思われるかも知れない。管理人から叱られるかも知れないし、下手したら排除されるかも知れない。
父の遺産は、聖書学的なキリスト教だけです。
その遺産を有効活用するためにも、今後も、恥を忍んで、いろいろ言うと思います。
よろしくお願いします。
(以上、FBの斉藤三郎さんのコミュ内でのわたしの発言4月20日頃発表より)。
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