番外編 帝王は暁を仰ぐ

 ――今から約70年前、廃墟の群れと成り果てた旧東京の市街地。

 「魔王」と呼ばれる来訪者との戦争が幕を開け、800年もの年月が過ぎていた、この当時――かつての東京は死が蔓延る凄惨な戦場となっていた。


 人類は彼らの猛威に抗するべく、人を人ならざる「第3の種族」へと変異させる手段に踏み切り、現代の聖騎士「ゲオルギウス」を世に解き放つ。

 「聖鎧」と呼ばれる甲冑を纏い、「破邪武装」と称される武具を振るう彼らは、人類に残された最後の希望として――侵略者を穿つ、鉾となっていた。


 774年に渡る、被支配の時代。その悠久に等しい年月に終止符を打つべく、1人の男が廃墟の中を駆け抜ける。


 3mもの巨躯。黄金色の縁取りが施された、紫色の装甲。額に刻まれた戦犬の文様。2m半ばの漆黒の戟。背部の長刀、そして飛行ユニット。

 ――その異様な容貌を持つ、鋼鉄の兵士こそ。「ゲオルギウス」の筆頭にして、人類の希望たる勇者――「アカツキ」であった。


 彼はヒトでありながらヒトを捨てた、改造人間の戦士達を率いて、この戦地を走り続けている。彼の同胞達は皆、この救世主を魔王の元へ行かせるために戦い――次々と散って行く。1人、また1人、と。

 このままでは、敵軍を引きつけるための囮を買って出た仲間達が全滅してしまう。何としても、その前に首魁の魔王を打倒し、仲間達を救いに戻らねばならない。


 その焦燥に、突き動かされるかの如く。「暁」は背部のスラスターを噴射させ、さらに速度を増して行った。


「……!」


 ――そして、魔王が待つ旧東京の中心を目前にして。彼は行く先に広がる光景を前に、足を止める。


 死屍累々と地に転がる、悪魔の眷属。魔王の命に従い、人類を蹂躙して来た死の尖兵達。彼らは「暁」が辿り着くよりも先に屍と成り果て、辺り一面に散乱していたのだ。


 その景色を前に、鋼鉄の男は1人思案する。

 ――自分より先に、この地区に踏み込んで来た「ゲオルギウス」はいないはず。彼らは皆、この敵陣に自分を進ませるために、遥か後方で陽動戦を続けているのだから。

 ――同士討ち? あり得ない、彼らは長い歴史の中、互いを獲物にしたことなど一度もない。彼らの牙は全て、人類にのみ向けられていた。


 やがて、「暁」の視界に巨大な悪魔の影が映り込む。1kmにも渡る巨体が、物言わぬ骸と化して、廃ビルに寄り掛かっていた。


 ――通常の魔族の体長は、最低でも約5m。大型のものになれば、ここで斃れている個体のように1kmを超えるものまでいる。だが、上位種の個体に近づけば近づくほど、再び体躯は小さくなっていく。

 そして「暁」の足元で眠る、骸の群れは――皆、5m程度の体躯であった。ここが魔王の本拠地であることを鑑みると、彼らが最終防衛線を託された「近衛兵」達であったことは容易に想像できる。


 つまり。魔族の上位種の中でも、突出した精鋭である「近衛兵」を全滅させるほどの「何か」が、この一帯に存在していた――ということだ。少なくとも自分達ゲオルギウスとは違う、「何か」が。


「……先ほどまでの奴らとは、違うな」

「――ッ!」


 刹那。その疑問は、瞬く間に解消される。50mほど離れた先から響く、低くくぐもったような声が――「暁」に戦慄を齎し、臨戦態勢へと誘う。

 魔族達の骸に紛れた黒い塊が、ゆらりと蠢いたのは、その直後だった。やがて「暁」はそのシルエットから、声の主が自分達と同じ「人型の怪物」であると悟る。


 ――紫紺の肌を覆い隠す、漆黒の重鎧。腰まで伸びる漆黒の長髪に、紅い凶眼を備えた黒の鉄仮面。プロテクターを内側から押し上げる、膨張した筋肉。2m半ばにも迫る、筋骨逞しい体躯。

 魔族とも、自分達とも異なる「第4の種族アンノウン」。それが彼に対する、「暁」の男の認識であった。

 離れていても感じていた、魔王の殺気とも違う。自分達ゲオルギウスが皆等しく抱いていたような、燃え盛る闘志とも違う。こちら側の理解の外側から来た、得体の知れない異物。そうとしか思えないほどに、その者の存在は異質であり、歪であった。


「魔王……ではないな、貴様。何者だ」

「……魔王、か。少なくとも、その名で呼ばれたことは一度もない。俺を『帝王』と呼ぶ者は多いがな」

「帝王……だと」


 ――帝王。そう名乗る異質な存在を前に、「暁」は仮面の下で眉を潜める。

 相手が何者であろうと、今自分が倒すべきは魔王1人だ。それ以外に時間を取られている暇などないし、急がねば仲間達が危ない。

 僅かな逡巡を経て、そう決断した「暁」の男は――バーニアを噴かせてこの場を通り抜けようとする。が、帝王の放つ殺気の奔流が、それを阻んだ。


「……この星の闘争が生む、死と殺戮の波動。それに引き寄せられて来てみれば、随分と面白いことが起きているではないか。こんな辺境の星に、お前らのような連中がいたとはな」

「なに……?」

「我々にとって戦いとは、生への充足。その本能に従い、俺は生きる。それがシルディアス星人として生を受けた、俺自身の在り方だ」

「さっきから何を訳のわからないことを……!」

「――俺の欲求からは逃れられん。俺が言っているのは、そういうことだ」


 帝王の全身から迸る、悍ましいほどの殺気と闘争心。何百年も熟成させたかのような、破壊欲の塊が――眼光となって顕れ、「暁」の男を射抜いていた。

 その紅い眼差しを浴び、「暁」の男は悟る。この異物は、避けては通れない――と。


 ――シルディアス星人は血と闘争を本能で要求する、戦闘民族だ。彼らは母星を拠点に全宇宙を転戦し、死に絶えるまで闘いを続ける。

 そんな彼らには、星の外から戦いの波動を感知する習性があった。魔王と人類による永い戦争が、波動となって宇宙に轟き……血に飢えた「帝王」を呼び寄せてしまったのだ。


 この当時、人類はまだシルディアス星人という侵略者の存在は知らない。だが「暁」の男はすでに、この帝王が魔王と同じ人類の脅威であることを悟っていた。上位種の近衛兵を単騎で一蹴する戦闘力など、尋常ではない。

 彼は手にした戟を握り締め、一撃必殺の構えに入る。――後に魔王との決戦が控えている以上、長期戦は避けねばならない。


「……貴様の欲求に付き合っている暇はない。邪魔立てするなら、容赦はせん」

「案ずるな、時間は取らせん。お望み通り、一瞬で終わる」


 その意を汲んだ上で、己の欲望を満たすため。帝王も腰に手を伸ばし、一振りの剣を引き抜いた。

 ――真紅に発光する光刃剣。それは、彼が今まで縊り殺してきた星雲特警から奪った代物である。


 闘争を望む暴力の化身。そう形容して差し支えない帝王の容貌に反して、その手に握られた赤い光刃剣は、鮮やかな輝きを放っていた。

 その光を目にした「暁」の男は、彼の剣が「自前」ではないことを察して、仮面の下で目を細める。これまで一体、どれほどの命を奪ってきたのか――と、敵愾心を露わにして。


「……行くぞ」

「……あぁ」


 魔王だろうと、帝王だろうと。人類に仇なす敵であるなら、排除する。自分達はそのために、人間としての己を捨てたのだから。


 ――「暁」の男は、その一心と突き出した戟に、己の魂を委ねる。命を力に変え、ただ真っ直ぐに刃を突き込むために。

 それに応じるかの如く、帝王も赤い光刃剣を振り上げる。生への渇望。充足を得る為の戦い。その欲望を、満たすために。


 戟が、光刃が。閃き、激突し。唸りを上げて、互いの血を望む。


 ――その結末は。互いが望んだ通り、一瞬のことであった。


 ◇


 魔族の骸が散らばり、山となり、地に転がる死の大地。かつては東京と呼ばれていた、その地の中で――ただ1人の男が、得物を手に立ち尽くしていた。

 その男は、鋼鉄の手に握り締めた戟を振るい――戦いの終わりを、言外に告げる。彼の足元では、異星の来訪者が倒れ伏していた。


 「人間の意志」を燃料とし、「心の強さ」を以て刃を振るう「ゲオルギウス」の前には、本能のままに戦うだけのシルディアス星人など敵ではない。

 この結末が、その事実を雄弁に語っている。


「……殺す暇も惜しいか? この俺を、倒しておいて」

「貴様の首の値打ちなど知らん。確かなのは、魔王を討たねば我々の戦いは終わらない……ということだけだ」

「そうか。……そう、か」


 貴様など殺す価値もない。貴様などと遊んでいる暇はない。暗にそう告げられ、地に伏した帝王は乾いた笑いを漏らす。そんな彼を、どこか哀れむように見下ろした後――「暁」の男は踵を返し、バーニアを噴かし始めた。


「……行くのだろう。その前に、貴様の名を知りたい」

「貴様に名乗る名前などない」


 敵対者であるには違いない。だが、この男がいなければ自分は、さらに大多数の魔族と戦わなければならなかった。

 その事実から、目を背けるように。「暁」の男は、魔王との決戦に向かうべく――帝王を残して飛び去って行く。


「……ただ。この鎧は、『暁』と……そう呼ばれている。闇を切り裂く、太陽の輝きとして……な」


 最後の置き土産に、相棒の名を告げて。


 それだけを言い残した彼は、瞬く間に帝王の前から姿を消してしまった。その影を見送る来訪者は、自分を初めて下した強者の名を、その胸に刻み込む。


「……アカツキ、か」


 ――それから、間も無く。この星から姿を消した帝王は、戦いの結末を見届けることもなく母星へと帰還した。

 圧倒的な力と覇気を以て、自分を打ち倒したあの強者が――魔王と刺し違え、果てたことで。帝王を惹きつけた闘争の波動が、途絶えたのである。

 それにより地球への関心を失った帝王は、その星の名すらも忘れ去り――さらなる闘争を求めて、死と殺戮の海原へと漕ぎ出して行った。


 そして「暁」の男が消えた以上、シルディアス星人の存在を当時の人類が知ることはなく――人々がその力を思い知るのは、65年も先のことになるのであった。


 ◇


 ――人類の希望として、最期まで戦い抜いた「暁」の男。彼の死後、人類は「ゲオルギウス」を生み出した「W機関」の叡智を封印。シルディアス星人さえ穿つ最強の科学力を、自ら葬った。

 それは……自分達の手で、自然を穢し地球を汚染してきた彼らが。最後に見せた、良心だったのかも知れない。


 戦後、「ゲオルギウス」を欠いた人類は復興と並行して、新たな地球防衛組織を編成。聖騎士達が命を賭して紡いだ未来を、守り抜くための戦いに漕ぎ出していく。


 その果てに待つ激動の時代を乗り越え、平和な世界を掴み取るために。――「暁」の男が愛した、この世界を守るために。


 ◇


 ――今から約1年前。シルディアス星の王宮前では、星雲特警とシルディアス星人の最終決戦が始まっていた。

 全身装甲の兵士達と、鋭利な爪を振るう魔獣達が、血で血を洗う死闘を繰り返す。その地獄絵図を玉座から見下ろし、帝王は過去を思い返していた。


 69年前のあの日も、このような死地の中での戦いであった――と。


「……来たか、アカツキ」


 そして、数百年に渡る歴史において。初めてこの「帝王の間」に踏み込んだ、侵入者を前にして――帝王は黒の仮面に笑みを隠し、赤い煌めきを放つ光刃剣を手にした。

 ――「暁」の鎧を纏う、ヒトを捨てたあの男。彼と同じ匂いを持つ、赤い鋼鉄の戦士を見据えて。本能に生きるシルディアス星人の頂点は、光の剣を振りかざす。


「アカツキ? ――違う」


 だが。そんな帝王と相対する、長身の少年は――彼の言葉を否定する。

 そして、蒼く輝く光刃剣を引き抜いて――長きに渡るシルディアス星人との戦いに、幕を下ろそうとしていた。


「オレは……ヘイデリオン。――星雲特警ヘイデリオンだ」

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