出稼ぎのはなし
みなはら
第1話 『出稼ぎのはなし』
-カクヨム版まえがき-
これもなろうからの転載です( ̄▽ ̄;)
カクヨムとして何かしらの追加のお話を書こうかとも考えて、しばらく考えて保留していたのですが、
ちょっと余力がなくなったために、そのまま出すことにいたしました(苦笑)
内容は一応ノンフィクションです。
酔っぱらいが酔っぱらいに聞いた話ですけれど(笑)
以外に受けた内容だったお話でしたね。
楽しんでいただけると良いのですけれど(* ̄∇ ̄*)
----
山の親父さんから聞いたお話です。
酒飲みながら、
酔っぱらいが酔っぱらいから聞いた話で、要領を得ない内容ですがそこはご容赦を。
内容の間違いは自分の聞き間違い、書き間違いということで(笑)
農業で食べていけなくなった親父さんは、家族、両親とお袋さん、子供たち4人の兄弟を食わせるために家で稼ぐことをあきらめて出稼ぎに行きました。
戦後の高度成長期の頃のお話です。
初めは道路工事の仕事をしていたそうですが、稼ぎに比べてキツかったので、製鉄所の仕事へ切り替えたとのことでした。
(昼夜仕事を続けて、工事中の進路指示板?っていうんですかね?棒の先に標識のようなのが付いているやつ、
立ちながら寝て、あれを寝入りばなに手放しパタッっと倒れた拍子に目覚める。みたいなことを何度もやっていたとか。親父さん、どんだけガンバってるんだよ!!)
次の製鉄所の仕事はレンガ屋職人(耐熱レンガで鉱炉を作り、鉄鉱を加熱後に炉のレンガを崩し鉄を取り出し、また炉を作る仕事)の下働きだったそうです。
主な場所は千葉だったようですが、岡山まで行ったこともあったと言っていました。(岡山の方が千葉よりも大きかったそうです)
なんにせよ製鉄所の敷地は広大で、港湾地域にあった製鉄所の敷地には運搬用の路線が80Kmも走っていたと言っていました。(総延長でしょうか?走っていたのも一般的な車両でなく、重量物運搬車で、線路もレールの金属自体の幅が一般のものの2倍以上もあったと語っていました)
現場への移動はマイクロバスのような車で職人の組ごとに移動、現場には何日も詰めていたようです。
給金は日当で当時250円くらい(今でしたら10,000~15,000円くらいでしょうか?もっとするかな?)、そんな金額ですね。労働時間は6時間でしょうか?聞きそびれました(苦笑)
それを12時間連続して仕事をすると、日当が倍額。
24時間仕事すると4倍日当だったと言っていました(聞きませんでしたが、24時間働いていたのだと思います)。
盆正月は普通の労働でも4倍もらえたそうですから、当時は正月帰らずに働いていたみたいです。
仕事でキツかったのが、炉で熱した鉄を取り出す時だったそうです。
鉄が冷める前に取り出すために、屈まなければ入れないくらいの入り口から入って行って天井のレンガを棒で崩して外気を入れる。
炉は鉄鉱を溶かして、ゆ(水みたいな鉄の溶けた状態)にするのに1,300度くらいだったかな。潜ってゆく入り口あたりは送風機で外気を押し込んでいるから300度くらいだと言っていました。
人は300度くらいなら数十秒くらいは耐えられるので、下働きが列を作って順番に潜って、耐えられる間にレンガを崩し、崩せなくても大丈夫なうちに戻り次に代わる。
それを穴が開くまで延々と繰り返すのだそうです。
一度穴が開けばしめたもの。送風機からの風が通り抜けるようになるので、炉の温度が下がり始めるから忙しく天井の穴を広げて、上からクレーンで鉄を取り出せるようにする。
そして炉を直して、原料を熱して、炉を崩し取り出すの繰り返しです。
あの当時ですから、仕事はキツくてもいくらでもあった。詳しくは聞きませんでしたが、そんな印象でしたね。
そうやって稼いだ金を仕送りで全部(ほぼ全部かな?)家族へ送っていたそうです。
食事は飯場(はんば)で出るし、水や湯はパイプがどこにでも走っているから、職人が好きなところに作った浴槽で(休憩時間なら)いつでも入れるし、困りはしない。
寝るのは食事のあとの休憩で、テーブルやその下で仮眠が取れるし、炉を崩す順番待ちの間にだって寝れるそうです。寒ければ炉の近くなら暖かいと言っていました。
困るのは衣類で、風呂に入っても替えがない。数日も繰り返し着かえしているのはさすがに困ると苦笑いしていました。
だから何日間連続か判りませんが、24時間働くことを続けたり、繰り返していたんですね。
親父さんが昔、酔うと若かりし頃の歌「月月火水木金金~♪」なんて歌ってましたが、
マジで月月火水木金金だったんですね(汗)
今の労働時間なんちゃらとか、ブラックなんとかが鼻で笑えるレベル(苦笑)
ああいう人らが居て、今自分たちが生きているのかと思うと、なんか、なんか…凄い。
興味深くもあり、面白くもあるけど、何よりスゴい。当時、もしも自分がその立場だったら、家族のためにそこまでできたかな?なんて思います。
自分、まだまだちっぽけで弱っちい(苦笑)
あとは、外気温度300度くらいまで人間は耐えられるけど、それは渇いた空気の話で、
水がこぼれるようなことがあれば水蒸気で火傷するので、そんな事故があれば高温の蒸気にまかれないうちに、みんな必死になって逃げるとか。
現場の職人は、休みの時は競輪競馬につぎ込んで全部すって帰ってくるとか(仕事はあるし、現場で飯は食えるから困らないんですね)、
漁師の出稼ぎ連中は賭け事が強く(出航してから漁場で仕事をするまでの暇な時間、ずっと花札などのギャンブルに興じているからだとか、親父さん談)、飯場での素人賭場でかかわり合いになるとひどい目にあうとか(苦笑)
なかなかに刺激的な面白い話でした。
山の親父さんの逸話はほんとに盛りだくさんで、
親父さんが子供の頃に、崖上の鷹の巣まで登って卵を取って来て、鶏に抱かせて孵したとか、
台風の来た翌日に、子供を連れて濁流の渓流みたいなところに泳ぎに行ったこととか、
若い頃、親父さんの父親と兄弟あわせて4人で、5升(6升だったかな?)それも焼酎を一晩でのみ明かした話とか、
大学の友達を連れて帰ってきた子供ら全員を連れて松茸狩りに行って、取ったもので松茸ごはんとお吸い物を作って振る舞い、残りを持たせて帰したとか(30本くらいだったかな?自分も季節に何本かもらったことありますが、もらった15cmくらいのやつと同じですかね)、
あとは干し柿作るんで登った木から落ちて脛椎骨折したけど、気付かないで直して、だいぶ経ってからまた落ちて骨折して、入院した時に検査して初めて、初めに落ちた時にも骨折していたことがわかったとか(苦笑)
あの親父さんと話してるとほんとに面白い。
ただ、今でこそ丸くなったけど、自分が子供の頃は本当に怖かった。
今だからこんな話も聞けますけど、何年か前まではそんなこと聞くなんて畏れ多い。
そんな印象でした。昔の親父の怖さですね。
こんな出稼ぎの話を聞くと、自分が持っていた子供の時の怖さと比べてみて、
人間って一方の面から見ただけじゃ、本当に計り知れないな。なんて思います。
まったく、人間って面白い♪
出稼ぎのはなし みなはら @minahara
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます