脅威
ジャバウォックという化け物を説明すると、非常に危険な化け物である。
人の数倍ある体格。長い首と尾。いびつな二枚羽。顔は魚のようで、長い爪を四つ備えた長い足と手。体は鱗で覆われ、長い触覚が二本、鼻辺りから上へ延びている。真っ黒な巨大な瞳がアランを見つめていた。
風貌としてはドラゴンに近い。ただ、ドラゴンと比べて醜い容姿である。鼻息をまき散らし、口からはよだれが出ている。
性格は極めて狂暴で、スライムとは比べ物にならないほど強い。
「…………ジャバウォック」
アランは小さく呟いた。ジャバウォックという名前は知っている。その脅威も。
だからその時、アランが感じたのは、恐怖を超えて純粋な死であった。足は動かない。思考が停止する。どう抗っても、死ぬしかないように感じられた。
馬鹿な子供が一人。街の外に出て死んだ。
きっと街ではそんな笑い話になるだろう。
シルフはそんなアランの肩に乗ると耳元で囁いた。
「モドッテ」
アランはそこで意識が戻った。
どうして死ぬことを考えたのだろうと、自分を責める。戦えば、あるいは逃げれば生き残れるかもしれない。
木の剣を構えて、ジャバウォックと向かい合う。戦えるだろうか。方や巨大な化け物、方や刃の無い武器を持った少年。ジャバウォックのよだれが、自身の足元に落ちる。ゆっくりとした足取りでジャバウォックは前へ進みだす。
多分勝てない。
アランはそう思った。
死ねば、それまでだ。両親と同じ。死ねば、もう次はない。
生きるためにプライドを捨てることは、多分恥じではないのだ。アランは振り返り、木の剣を投げ捨てて、走り出した。
逃げ出したアランに対して、ジャバウォックも同じように走り出した。
ジャバウォックは長い足の爪が邪魔をして、うまく走れていない。それでも、アランと同じ速度で走ってくる。追う側と追われる側。同じ速度でも精神的弱みはアランの方が大きい。アランとジャバウォックの距離は数秒後には無くなっていた。
ジャバウォックの細長い触覚が、獲物を品定めするように、アランの背中をなぞる。
「ダメ」
そんな時、まばゆい光がアランの周囲を照らした。アランは反射的に目を閉じた。それが相まってつまずき転んでしまう。シルフはアランの肩から離れた。
アランは膝をこすり、鋭い痛みが走った。
シルフはささやかな魔法を唱えることが出来る。その光がシルフの魔法であると分かったアランはゆっくりと目を開ける。
すぐ後ろではジャバウォックも光で目がやられたのか苦しそうにしている。
アランは今がチャンスだとすぐに起き上がり、走り出す。シルフは再びアランの肩の上に乗った。
「ありがとう」
「アナタガ、シヌト、コマルモノ」
シルフはそう言って微笑む。
ジャバウォックは瞳が巨大故に、光のダメージをより受けていた。ただ、それもそう長くはない。ジャバウォックは瞳を開けて、奇声を上げた。
その苦しみを返そうと、ジャバウォックは羽ばたきながら走り出した。その羽の風力を得て、ジャバウォックの速度はより速くなる。
アランとの距離は数秒もしない間に縮まった。
一瞬肩に乗るシルフのせいで、より酷い状況になったと思った。しかし、先ほど助けて貰わなければ食べられていたことを思い出す。
ほんの数秒、時間を稼いだ。
その僅かの考える時間が良かったのかもしれない。
アランは咄嗟に横に飛んだ。ジャバウォックの噛みつきを寸前のところで避けて、地面に滑り込む。ジャバウォックは速度を止めることができず、そのまま前へ滑り込んだ。
激しい砂埃が上り、ジャバウォックは前方の木へぶつかる。木は大きく揺れ葉が揺れ落ちる。
アランはその光景を見た後、ジャバウォックの視線を遮るように木の裏に隠れた。
息をひそめる。体をまるめて小さくなる。
闘うことも逃げることも叶わない。でも一瞬視線をずらし、隠れたら。見つからなければ生きることができる。
アランは心の奥底で、咄嗟に思いついた考えの成功を喜んだ。
しばらくして、ジャバウォックは起き上がる音が聞こえた。
ジャバウォックは視覚、嗅覚は決して良くない。あとは思考力が足りないことを信じた。
アランは視線を木に向ける。
音は少し遠くから聞こえる。草木がなぎ倒される。鼻息荒く、よだれが地面に落ちる音が聞こえる。怒りはさらに募っているようだ。
しばらくして、ジャバウォックがアランの方に近づているのか、音が大きくなった。
ジャバウォックの顔が木の横から出る。アランはそれを目で追った。まだ気づかれてはいない。ジャバウォックはゆっくりとアランの横を通って行った。
助かった。
そう思った時、その油断が、ジャバウォックへ伝わったかのようにジャバウォックは勢いよく振り返った。
アランは今度こそ、終わったと思った。
すぐ目の前にジャバウォックの顔。鼻息を間近で感じられる。立ち上がる気力もない。
アランは目を瞑る。
「ダメよ。その子は私の大切な弟なんだから」
そんな聞きなれた声が聞こえた。
そして放たれるのは風の魔法。
輝く魔法陣を中心に七つの風の塊がジャバウォックの周りを囲む。そしてアランと距離を引き離すかのように、決してアランへ衝撃を伝えないで、ジャバウォックのみを遠くへと吹き飛ばした。
ジャバウォックの苦しみの声とともに転がり、木へぶつかる。
それを最初、アランは女神の声を勘違いした。うっすらと目を開けると、そこにはアリシアが、アランを守るように前に立っていた。
ジャバウォックはアリシアを脅威とみなしたのか、立ち上がるも、すぐには攻撃を仕掛けては来ない。
一定の距離が開かれる。
「私の言葉は分かるでしょ? ここはお互い手を引きましょう。お互いのために」
アリシアの提案にジャバウォックは考え込むように荒い鼻息を抑えた。
ただ数刻の時間が流れる。
ジャバウォックは一瞬アランの方を見た後、振り返り、森の奥へと戻った。その姿が森の奥へ消えていくのを確認すると、アリシアは安どの深呼吸をついた。
そして振り返り、怒りの目をアランに向ける。
「ダメじゃない。外に出たら」
「ごめんなさい」
アランは涙ぐみながら、謝った。
アリシアは杖を宙に投げる。杖は魔法で浮力を得て、宙に浮かび、アリシアの後を追いかける。アリシアはアランに両手を差し出した。
「ほら立って。まだここは危険なんだから」
アランはアリシアの手を掴む。力づくで立ち上がらされる。
アランは涙を服の袖で拭い、ふとシルフのことを思い出す。辺りを見渡すも、シルフの姿はなかった。
それを不思議に思いながら、アランはアリシアに手を引かれて、街へと向かう。
「どうしてここにいるの?」
アランは聞いた。
「前から薄々感づいていたよ。ただ、尾行をしたのは今日が初めてかな。もうだめだよ。こんなことするの」
アランはそんなアリシアの言葉から静かな怒りを感じた。
きっと家に帰ったら、もっと怒られるかもしれない。だから少し優しめにアリシアは自身を落ち着かせているのだろう。
そう思いながらアランは手を引くアリシアの顔を見た。
綺麗なアリシアの横顔を見て、ふとアランは女神の言葉を思い出した。
あなたには才能がある。
仲間を集める才能よ。
仲間を集めれば、集めれば、例え大魔王が相手であってもいずれ勝てるはずよ。
だから仲間を集めるの。
どうして今それを思い出したのだろう。
そんな疑問とともに、アランはこの後の説教への恐怖を心の奥底で感じた。
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